evergreen vol.4

 大地が張り裂けんばかりの轟音が体の芯を突き抜けていく。一度、二度、三度……その度に私の体はビクッと震え、おぼろげな意識は徐々に輪郭を取り戻していく。
 まるで刃と刃が食らいつくような音だと思った。そして次の瞬間、閃光の如くあるイメージが思い浮かんできたのだ。
 それは燃えさかるアドビスの城下。息絶えた人々の体は幾層にも積み上げられ、肉のタペストリーと化した遺骸は赤黒い血によって彩られる。その滴は大地を紅に染め、アドビスという国は巨大な墓標と化す。
 いや、これはただの夢想などではない。この頭上高くで実際に起こっている事なのだ。それなのに、私がのうのうと生き延びて良い道理などあるというのだろうか。率先して命を投げ出すべき私が、どうして穴蔵の中に隠れ仰せて良いものだろうか。
 そのような思想が頭をもたげた瞬間、私の体は抗うべくもなく動き始めていた。
 錆び付いた体を起こして、一歩、また一歩と足を進めていく。その間にも地面がぐらりと揺れて、鼓膜が破けるほどの爆音が幾重にも重なっていた。
「ちょ……シェーナさん! 駄目だよ! 外に出たら危ないって!」
 私の右手首をがっちりと掴んで、何とか踏み止まらせようとするイリア。しかし、彼女の言う事を聞くつもりなど毛頭なかったし、何より、彼女に私を止める力などありはしなかったのだ。もちろん、女にしては力のある方だと思う。少なくとも、あのシオンよりは強いに違いない。それでも、本能に突き動かされた今の私を止める事など、彼女に出来よう筈がなかったのだ。
 それを彼女が理解できるとは思わなかったし、私自身、そのような手間をかける気も更々無かった。だから、私は彼女を引きずったまま、ただひたすら足を進めていった。
 何度かよろめく事はあったけれど、その度に歯を食いしばり、必死に足を踏みしめていた。そしてついに見たのだ。薄闇の中で揺らめく光を。私は確信していた。それは地上へと繋がる出口であると。心臓がドクンと波打って、体中の血が沸き上がるような興奮を覚えていた。傍にいたイリアは何かを叫いていたが、そのような声は、決して私の耳に届いてはいなかった。足枷の如き彼女を引きずりながら、その光を求め私は歩き続けていたのだ。まるで、そこに光明を見いだしていたかのように。
 しかし、私を待ち構えていたのは、体の芯からいずるような興奮などではなかった。そこにあったのは、まさに血にまみれた現実だったのだ。
 どこを見ても、目につくのは肉塊と化した、あるいは逃げまどう臣民の姿だった。そしてとある家族の姿を目にした瞬間、体中から血の気が失せて、私の中の刻はハッと動きを止めていた。
「あっ……」
 言葉を発する猶予すら与えては貰えなかった。
 両親と思しき男女は、女の子の背中を押しながら、彼女を庇うようにして走っていた。その頭上高くを飛んでいたガーゴイルが滑空を始め、奴が赤黒い炎を吐いた瞬間、もう全てが終わっていたのだ。
 女の子は足をもつれさせて、体を貫かれた両親がその上に覆い被さってくる。
 私は、イリアの手を振り解いて走り出していた。
 胸がざわついている。先ほどの興奮など微塵もなく、嫌に冷めた頭の中で考えていた事とは、振り切ろうと思えば簡単にできたのか、という事だった。
 倒れ込むようにして少女の前に跪き、両親の遺骸の下から少女の体を引きずり出した。彼女の顔が見えた瞬間、それでも少しはホッとしていたのだ。だけれど、少女に触れた手を見た途端に、頭の中が真っ白になってしまった。
 掌には血と砂の混じった赤黒い液体がべっとりと付いていた。その生臭いにおいに思わずもどしてしまいそうになる。
 歯をギリッと噛み締めながら、両の手を彼女の体に押しつけた。同時に、イリアは私の名前を叫びながら肩をぐいと掴んできた。
「ダメだ! 早く逃げないと!!」
 彼女の手を振り解こうと肩を大きく揺さぶる。それから術の詠唱を始めた。掌から産み落とされた光は、とけ込むように傷口の中へと流れ込んでいく。しかし、ゆっくりと塞がっていく傷口からは、前にも増してドロッとした血が溢れ出していた。
 どうして良いか解らなかった。このままでは間に合わない。でも助けなければならない。そのような思いが交錯して、その時の私は、ただがむしゃらに術を唱えていた。

 どれだけの時間が過ぎ去っていったか、それを知る術などありはしなかった。ただ、私は彼女を救おうと躍起になっていた。五感を遮断し、己が内に存在する魔力の全てを目の前の少女に注ぎ込んでいた。しかし、不意に背筋が凍り付くような嫌な感覚が沸き起こってきたのだ。
 時を同じくして響き渡る爆音。地面が小刻みに揺らいで、砂埃がブワッと舞い上がってくる。
 目を覆う時間すら惜しかったのだ。
 足を踏みしめて、彼女の肩と太ももをグッと掴んだ。そのまま術の詠唱を再開する。しかし、長くは続かなかった。目の前に見覚えのある金髪の少年が姿を現し、私の肩をがっしと掴んできたのだ。
「離しなさい! 私は」
「終わったんだ! こいつは、もう助からない!!」
「そんな事ーー」
 言いながら視線を落としてみる。そこで見たのは、既に物言わぬ肉塊と化した少女の姿。胸には大きな穴がぽっかりと空いている。既に流れ出す血も残ってはいなかった。
「あ……ああ……」
 突然体中から力が抜けてしまって、わなわなと体を震わせながら、その場にへたり込んでしまった。
「どうして出てきた! ミトはどうした!?」
「じ……女王は……」
「どうしたんだ!」
「女王は……女王は彼女に任せて……」
「一人でおいてきたのか!?」
「ええ……でも……」
「でもじゃない! ここにいたら危ないのが解らないのか?」
「私は何か……何かできると思って……ただ……」
「今のお前に何が出来る! しっかりしろ!!」
「シオン!!」
 イリアの叫び声を聞いて我に返ったのだ。私には何も出来ない。足手まといにしかなっていないと、不安や恐怖にまみれた己の声が聞こえてきた。
「私……私……」
「話は後だ! ミトの所に帰るぞ!!」


 薄暗い地下壕の中をイリアの声が木霊していた。
 どうして、と彼女は言った。どうしてーーそう、その言葉はミト様の上に覆い被さったハギス神官に向けられていた。
 私は、ただ呆然とその姿を見ているしか出来なかった。それはあまりに衝撃的で、その現実を受け入れるのに、些かの時間が必要だったのだ。
「どうして何もしないの!? シェーナさん、ねえ、助けてあげてよ! ねえ!!」
 私の腕を揺すりながら懇願するイリア。私は彼女の顔を見ずに、ただハギス神官の姿だけを瞳に映していた。
 シオンが止めていなければ、今頃は私がこうなっていたのだろう。私が失うべき命を彼女が失った。そして、私は未だに生きている。その現実が、私にはあまりに重すぎたのだ。
「駄目よ……私には……何も出来ない」
「どうして!? シオンの傷を治してくれた時みたいに……どうして何も出来ないの!?」
「魔法は、魔法に出来るのは、人が本来持っている治癒力を高めてやることだけ。一度失われた命を取り戻すことなど出来はしない」
 イリアの手からフッと力が抜ける。彼女の方に視線を向けると、そこにはシオンが、彼女の体を抱き寄せていた。
 行けよ。そう言わんばかりに頷いてみせるシオン。それに後押しされるように歩き始める私。ミト様の前で跪いて、彼女の口元に手を翳してみた。
 シオンの方に顔を向け、一度だけこくりと頷いてみせる。それから、すぐ傍で横たわっているハギス神官の方へと視線を落とした。
 薄闇の中で、はっきりとは解らないけれど、彼女は微笑んでいるように見えた。とても穏やかな顔をしていると、私はそう信じていた。
「ごめんなさい」
 二人に聞こえないほど小さな声で呟く。
 彼女の体を抱き起こして、そっと目蓋を閉じてやった。それから、もう一度だけ「ごめんなさい」と呟いた。

to be continued...


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