温もりの距離 vol.3

 夜の帳が下りてからしばらくの時が経っていた。
 長旅で疲れていたのだろう。イリアの奴は夕食を取って部屋に戻ってくるなり「疲れたから」とか言って床についてしまった。
 俺も疲れていないわけではなかったけど、宿の主人が気を利かせて用意したダブルのベッドに一緒に入るのには些か気恥ずかしいものがあった。だから「少し考え事をしたいんだ」とか何とか適当な言い訳を見繕ってイリアを寝かしつけた。
 ザードの情操教育を受けたおかげでこういう事に全くもって鈍感なイリアだが……まさかこの俺が緊張して敏感になっているというわけではないだろう。いや……それよりもイリアの奴は俺の事を男だと思っていないのか?そもそもアイツにとっての俺とはどのような存在なのだろうか?
 そんな事を考えながら、ふとイリアの眠っているベッドの方に顔を向けた。
 人の気も知らずにぐっすりと眠っているアイツの顔を見ていると、知らないうちに口元の筋肉が緩んでいた。
――馬鹿な奴、と自分自身に呟く。
 俺がイリアに抱いているこの気持ちこそ、アイツが俺に対して抱いてくれている気持ちに他ならない事など知っているだろうに。
 どうやら、男と言う生き物はどこまでも馬鹿に出来ているらしい。
 俺は微笑を浮かべると、窓際のテーブルに置いていた琥珀色の液体の入ったグラスを手に取り、少しだけ口に含んだ。
 カラン、という涼しげな音が薄墨色の世界に響きわたる。それは少しだけ眠気の入った思考を冴え渡らせてくれた。
「たまにはこういうのもいいか……」
 そう呟きながら窓の外に視線を向ける。
 灯火に照らされた街は小さいながらやわらかな光に抱かれ、とても幻想的だった。
 イリアにもこの景色を見せてやりたかったけど、振りかえって見たアイツの寝顔があまりに安らかだったから、敢えて起こすのは止めにした。
 その代わりに手にしたグラスを頬に当てて静かに目を閉じる。
 そう、たまには一人きりで色々考えるのもいいだろう。
 自分を見失わない為に、アイツにとって必要な存在である為に。俺達は馴れ合いで一緒にいるのではないから。
 今は……そう確信できるから。

「……オン、シオンったら!!もう朝だよ。起きる時間だよ!!」
 ぼんやりとしたまま目を開くと、そこにはもう既に寝巻きを着替えたイリアが突っ立っていた。
「んん〜あと五分……」
 ろれつの回らない口でそう呟くと再び目を閉じる。
「あと五分じゃないよ!!もう太陽だって上ってるんだから。さ、起きておきて!」
 ぐらぐらと体を揺すられて仕方無しに目をこじ開ける。
「おはよう、シオン」
 再び目に入ったイリアは妙にニコニコしていた。
「ああ……おはよう」
 取りあえず頭を掻きながら挨拶を返す。
 それにしてもいつもは俺が起こす方なのに、何で今日に限って……成る程、昨日飲んだ酒の所為か。
「それより……何でそんなに嬉しそうな顔してんだ、お前?」
「今日はね、町のお祭りなんだって。ホラ、露天がたくさんでてるよ♪早く着替えて行こうよ!」
 お祭り……?そう言えば町の外の方は何となく騒がしいし陽気な音楽も聞こえてくる。どうやら本当に祭りらしい。
「私外で待ってるから、早く着替えてきてね♪」
 嬉しそうに部屋を出て行くイリアに生返事を返すと、俺はゆっくりとベッドから起きあがった。


「あっ、シオン!こっちこっち♪」
 急いで着替えて宿から飛び出してきた俺を迎えてくれたのは顔中に満面の笑みを浮かべたイリアだった。
 頭には淡い紺色のバンダナをつけて、花柄の入ったルーズフィットのローブを着ているアイツは何となくレムと三人で旅していた頃のようだった。
 懐かしい思い出が頭の中を駆け巡って、思わず微笑んでしまう。
「待たせたな、イリア」
 綺麗だよ、の一言でも言えればいいのだが……如何せんそんな歯の浮くような台詞を言えるワケがない。
 尤も、たまにこんな自分が堪らなく憎らしく思えるのだが。
「わぁ……シオン。その服よく似合うよ♪」
 イリアは俺の服をじっと見つめながらニコニコ笑っている。
 実を言うとこの服は前の村でイリアがプレゼントしてくれた物なのだ。
 その村に代々伝わる草木染めの民族衣装らしいのだが、イリアの奴がえらく気に入って「絶対シオンに似合うよ」と言って買ってくれた。
「あ……ああ。ありがとな」
 思わず頬の辺りがポッと熱くなってイリアから視線を外してしまう。
「うんうん、普段の法衣も好きだけどこういうのもいいね」
 とその瞬間、遥か頭上でパンパンという小気味いい音が鳴り響いた。
 反射的に視線を向けると、真っ青な空にまるでイリアのローブに描かれた花弁のような花火が弾けていた。
 宝石箱をばらけたかのように、大空というキャンバスに様々な光の粒が舞いあがる。
「綺麗だね……」
 溜息をつくように紡がれたその言葉は、まるで空気のように胸の奥へすぅっと染み込んでくる。
 俺は気付かれないように視線だけを横に向けると、じっとイリアの顔を見つめた。
 口をポカンと開けたまま空を見上げるイリアは、まるで子供のように目を輝かせて花火に見入っている。
 パーンという乾いた音と共に弾ける度、イリアの薄いネイビーブルーの目はその光を映し出していた。
 そんな彼女の姿が、この花火なんかよりもずっと綺麗に見えた。
「ねえねえシオン、本当に綺麗だよね!」
 その瞬間、二人の視線が絡み合う。
「シオン……?」
 不思議そうな顔をしながら俺を見つめるイリア。
 それに答えるように、俺はイリアの瞳を見つめたままニッと笑ってみせた。
 その瞬間、イリアの頬がサッと朱色に染まったかと思うと、彼女は恥ずかしそうに地面に顔を向けてしまった。
 自分にしては大胆な事をしたと思ったけれど、どうしても「綺麗だよ」の一言を言うには未だ気恥ずかしかった。

「ね……ねえ、そろそろ街の中回ってみよっか?」
 しばらく続いた沈黙を破ったのはイリアだった。
 未だに頬を高潮させて上擦った声を出すその姿はいつにも増して可愛らしい。
 もう少しだけこの心地良い沈黙に浸っていたい気もしたけれど、このままではイリアの奴が本当に茹蛸のようになってしまいそうだったから――大げさではなく本当に、だ――小さく頷いて「ああ」と答えた。

 街中がこの祭りに色めきだっていた。
 アドビスにも祭りくらいあるけど、俺は一度として参加した事が無かった。
 自分が行く事によって皆を白けさせたくはなかったのだ。そして何より、その事実を目の当たりにする事が嫌だった。
 だからいつも自室に閉じこもって本を読んでいた。
 陽気な楽隊の演奏や楽しそうな歓声が聞こえてくる度、ページをめくる手が震えた。そして気がついたら本を壁に投げつけていた。
 そしてそういう時には決まって、婆やがレモンティをいれて部屋にやってきた。
 苛立っている俺をたしなめるわけではない。まして同情して慰めるわけでもない。
 ただ、婆やはニコニコと笑いながら父上の小さい頃の話をしてくれた。
 自分と良く似た父上の一面を知る度、俺は漠然とした安心感を心の中に抱いた。
「そう言えば……これって何の祭りか知ってるか?」
 くすみがかった記憶を掻き消すように口を開くと、イリアは少しだけ歩く速度をゆるめて俺の方に顔を向けた。
「収穫際だって。一年間良いお天気を恵んで下さってありがとうございます。今年も立派な作物が育ちますように、って神様にお祈りするお祭りだよ」
「へぇ」と声を漏らしながら辺りを見回すと、成る程、太陽を模したオブジェが街の中央広場に建てられていた。
「よく知って……」
 そう言いかけてイリアが傍にいない事に気付く。
 後ろに向きかえると、何やら露天をじっと見つめるイリアの姿があった。
「どうした?」
 イリアの視線の先を目で追うと、そこには綺麗な石がちりばめられたアミュレットが所狭しと並べられていた。
 そう言えば異世界に行く前の村でアミュレットを見て異様にはしゃいでたっけ。
 あの頃は男として生きていたアイツだけど、今は――
「買ってやるよ。どれがいい?」
 スッとイリアの前に出てそう言うと、彼女は慌てた様子で胸の前に置いた手を振ってみせた。
「そ……そんな……悪いからいいよ」
「ばーか。買ってやるって言ってんだから遠慮する奴がいるかよ。ほら、どれでも好きなヤツ選べよ?」
 念を押すようにそういうと、イリアは頬をさっと朱色に染め、それを隠すように「うん」と応えながら身体を屈めてみせた。
 暫く物色していたイリアは、数ある中の一つをじっと見つめて「これがいいな」と指差してみせた。
 それは俺がマント止めにつけていた柘榴石と同じ、深紅色に輝くガーネットのアミュレットだった。
 イリアは嬉しそうに「へへっ」と笑いながら俺の方に向きかえると「シオンとお揃いだよ」と言って握り締めた右手を胸の辺りに置いてみせた。

to be continued...

n o t e
 シオン……完全に恋する少年ですね♪
こういう類の話は書いた事がないのですが、少しでも彼らのココロに迫れればいいなと思いつつ、続きを書いていきたいと思います。

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