ressurection vol.3

 目をカッと見開いていた。僅かばかりの間ほど心臓の拍動がリズムを崩して、体中が燃え盛るように熱気を帯びていく。混沌とした怒りと不安がこの胸をざわつかせている。理由は解らないけれど、まるで道理など何も知らないままこの世に産み落とされた赤子のごとく、俺の頭は酷く混乱していて、この世界と現実を結び付けられないでいた。ただ頭の中にあったのはイリアの姿だけ。悲しそうな顔をして俺を見つめる彼女の姿だけ。
 風に舞う砂の如く、暗闇に浮かび上がる彼女の姿は、思考の奥底へとゆっくりと消え去っていく。その時になって初めて、今まで並立していた夢と現実の線が一本に繋がっていった気がした。混沌とした感情の後に秩序だったそれが姿を現し、理性が本能を駆逐していく。俺が見た彼女は現実ではない、そう言い聞かせる事によって、取るに足らない安心が手に入った気がした。
 ふいに、今朝の光景が頭を過ぎった。言い争うニールとホレース。それを諫めるシェーナ。何か大切なことを忘れているような気がする。先ほどとは異なった不安が胸のうちに沸き起こってくる。

『解りました。それでは本題に入りたいと思います。最初の案件ですが、皆さんも既にご存じの事と思います、城下で発生している連続殺人事件についてです』

 シェーナの言葉を思い出して、同時に「しまった」と思った。アドビス城下で発生している連続殺人事件。犯行は深夜帯に行われて、既に七名もの犠牲者を出している。夜間の外出は控えるよう彼女に釘を刺されたばかりだというのに。
 歯をギリっと噛み締めながら、未だふらつく体を何とか起こして、家の方へと足早に歩いていった。

 しかし、数分もたたないうちに「それ」は現れた。規則正しい足音に混じる異質な足音。人間のそれとは明らかに違う、タタッタタッとういう独特のリズム。
「くそっ……」
 悪態をつきながら足を止める。絵の具を塗りたくったような重たい暗闇の中に目を凝らして、何とかその正体を探ろうとしてみる。しかし、それは俺の周りをぐるぐると回るだけで、決してその姿を見せようとはしない。まるで狩を楽しむ獣のように。
 それが本当に魔物だとしたら、このまま逃げおおせる事など、決して叶いはしないだろう。しかし、酒でフラフラになったこの体で、一体何が出来るというのだろう。
 少しずつ目が慣れてきて、暗闇の先に潜む「それ」の姿がおぼろげに見えてきた。体は犬よりも一回り大きい程度。だが、だからと言って油断するわけにはいかない。体が小さくなればなるほど、魔法で狙いを定めるのは困難になるのだから。
 俺は右手を硬く握り締めると、声もなく術の詠唱を始めた。心の中で唱える一言一言に応じて、拳が少しずつ淡く蒼白い光に包まれていく。そして目の前にヤツの姿を捉えた瞬間、渾身の力を篭めて魔法を解き放った。
ーーザッ
 乾いた音と共に砂埃が舞い上がる。一瞬ほど視界が遮られて、その直後、地面を蹴る力強い音と共に、ヤツの姿が再び目の前に現れた。
「くそっ!!」
 悪態を吐きながら地面に倒れこむ俺。すんでの所で攻撃をかわす事が出来たが、すれ違った瞬間、頬に鋭い痛みがスッと走った。あと少しでもずれていたなら、ヤツの爪は容赦なく喉もとを切り裂いていただろう。そう考えるだけで、体中を嫌な悪寒が走り抜けていくような気がした。とにかく、この場から今すぐ逃げなければならない。相当の勢いをつけて飛び込んできたヤツの事だ。即座にきりかえしたりは出来ないだろう。逃げるなら今がチャンスだ。そう思った俺は、地面に体をつけたまま、極力音を立てないように、突き当りの壁まで這いつくばっていった。それから壁に背をつけ、息を殺しながら、出来うる限り体を小さく丸めていた。
 飲み込まれてしまいそうな暗闇の中で、ヤツの足音と、荒い息遣いだけが響き渡っている。俺の所在を捉えかねているのだろう。一歩一歩を慎重に踏みしめるような足音から、敵の痕跡を逃すまいとするヤツの姿がふと思い浮かんだ。このままやり過ごしてくれればいい。そんな楽観的な言葉を頭の中で繰り返しながら、沸きあがってくる緊張を抑えるように、口の中に溜まった唾をごくりと飲み込む。
 不意に、ヤツの足音をかき消すもう一つの足音が聞こえてきた。こちらに近づいてくるそれは、どうやら人間のものらしかった。一瞬ほど、ヤツが気を取られている隙に逃げ出してしまおうか、という思いが頭を過ぎる。
「どうする……」
 心の中で呟きながら、混沌とした暗闇の中に目を凝らす俺。一瞬ほど雲の切れ間から月光が差し込んで、闇の中に女と魔物のシルエットが浮かび上がる。
「シオンーーねえ、シオン! んもう、一体どこにいるんだよ……」
 背筋にひんやりとした感覚が駆け抜けていった。手足の感覚が麻痺して、まるで思考だけがそこに取り残されているような、そんな奇妙な感覚に取り付かれていた。その声の主がイリアであるということ……それを疑うべき理由などどこにもなかったのだ。
「イリア、こっちに来るんじゃない! 早く逃げろ!!」
 躊躇う事無く叫んでいた。あいつを餌にして逃げるくらいなら、この場で死んだほうが余程マシというものだ。いや、そもそも「あいつを死なせる」という選択肢など、俺の中に存在する筈がないのだ。例えこの命を失ったとしても、絶対に。
「どうしたのさ。もしかして、まだ怒ってるの? もういい加減……」
「早く逃げるんだ!! そこに魔物がいるぞ!!!」
 そう叫びながら、近くに落ちていた小石をヤツ目がけて投げつけてやる。同時にヤツの歩がとまって、一際荒い息遣いが蒼白の暗闇に響き渡る。
「な……そ……そんな……」
「いいから早く行けっ!! このままじゃ二人ともやられちまう!!」
「でも……」
「近くに見回りの兵士がいるはずだ! 俺がヤツをひきつけている間に、早くそいつを連れてくるんだ!」
「え……」
「いいなっ!!」
「う…うん、解った!」
 彼女が走り出したのと同時に、ヤツに向かって魔法を解き放った。炎の刃が暗闇を切り裂き、それは地面を深く抉って、砂埃がワッと舞い上がる。視界が完全に遮られて、「しまった」と思った時には、ヤツとの距離は僅かばかりのものとなっていた。
「くそっ!」
 悪態を吐きながら、壁に立てかけてあったほうきを手に取る俺。それを両手で握って、ヤツの口めがけて、一気に突き出してやる。
「ぐがぁぁぁ!!」
 ヤツの咆哮と共に、ズンと重い衝撃が手首に圧し掛かってくる。バランスを崩した俺の体は、突き飛ばされるように壁に叩きつけられていた。それでも、握り締めたほうきを決して離しはしない。それを離すということは、この命すら手放す事になるのだから。
 目の前には鋭い牙をむき出しにした魔物が。その瞳は鮮血の如く赤黒い光を放っている。その瞳に魅入られてしまえば、あっという間に、この暗闇の底へと飲み込まれてしまうのではないかと思った。じっとりと嫌な汗が零れ落ちて、ほうきを握る手の感覚が少しずつ麻痺していく。このまま手を離してしまえば楽になれるのかもしれない……そのような考えがフッと思い浮かんだ瞬間、泣き叫ぶイリアの顔が脳裏を過ぎった。俺はもう二度とあいつを泣かせないと誓ったのに、もしここで死んでしまったらアイツは……
「うわぁぁぁぁぁ!!!」
 獣のような咆哮をあげながら、ヤツを突き飛ばさんと、あらん限りの力を両手にこめる。少しでも時間が手に入れば、その中に僅かばかりの勝機を見出すことが出来るかもしれない。何とか術を完成させることが出来たならば。ほうきの柄が嫌な音を立て始めて、鈍い音と共に折れようとしていたその時、ヤツの体は不自然な体勢のまま宙を舞っていた。そして術を発動しようとした瞬間、ビュッと鋭い音が響き渡って、ヤツの体はすぐ横の壁に叩きつけられていた。
「え……」
 何が起こったのかわからないまま、壁に突き刺さったヤツの遺骸に視線を向ける俺。ヤツの背には鋼鉄の矢が、肉を食い破ったそれは、壁に深々と突き刺さっていた。
「シオンっ!!!」
 泣きそうな顔をしたイリアが俺の体に抱きついてくる。俺は何がなんだかわからないまま、ただ暗闇の先を呆然と見つめている事しか出来なかった。先ほどまでの現実が、整理のつかないまま、俺の中に堆積していく。それに埋もれながら、少しずつ現実と言う感覚が麻痺していくような気がした。
「大丈夫か?」
 彼女の背中越しに飛び込んできたのは、低く野太い声だった。声の主に視線を向けると、そこにいたのは、異国風の鎧を纏った兵士と思しき男だった。彼が手にしていた武器も、おおよそこの国のものとは思えない、螺旋やら歯車やらのついた奇妙なものだった。恐らく、オルヴァン辺りの傭兵が雇われてきたのだろう。
「あ……ああ。今のはあんたが……?」
「ああ、間一髪で間に合ったみたいだな」
「そうか……ありがとう。助かったよ。本当に……」
「なぁに、これが仕事だ。それよりも怪我は?」
「大丈夫、擦り傷程度だ」
「みたいだな。それなら医者に見せる必要もないだろう。しかし、城下に魔物とは……世も末だな」
「……全くだな」
 再び呆然と闇の先を凝視しながら、この体を抱きしめるイリアの温もりが、俺にとって唯一の現実だった。

to be continued...


↓E-mail↓返信希望の方のみメアドをご記入下さい。

書き終わりましたら、送信のボタンを押して下さい。

+ 戻る + トップ + Web拍手 +