そこに行けば、もう一度君に逢えると思ったんだ。
ギュッギュッと音を立てながら、踏み出した足は、深い雪の中へと呑み込まれていく。
もうどれだけ歩いただろう。見渡す限り白い世界の中で、深いくぼみとなった足跡は、一瞬のうちにその命を終える。何もなかったように、初めから存在すらしなかったように、滑らかな雪の下へと沈んでいく。
君は笑うかもしれない。いや、もしかしたら怒るかもしれない。私がこんな事をしていると知ったら。根拠も何もない、そんな御伽話を信じていると知ったら。だけれど、私はそうしたかった。どんな些細なことでもいい。くだらないことでも。それが拠り所になってくれるのならば。
剥き出しになった肌に雪が食らいついてくる。その美しい姿とは裏腹に、内に秘めた柔らかな牙で噛みついてくる。決して傷つけることなど出来ない。私の温もりに触れるたび、それは外から崩壊してゆくのだから。整然とした結晶は歪み、そして命を失っていく。せめてもの道連れとして、私から熱を奪っていくのだ。徐々に感覚が薄らいでゆき、それは鈍い痛みへと姿を変えていく。そして気づくのだ。私を私たらしめていたのは、その痛みであったということに。
私がまだ幼かった頃、兄さんは色々な話を聞かせてくれた。旅の途中で見聞きしたこと、古くから伝わっている不思議な話、吟遊詩人の諳んじる英雄譚ーー殆ど忘れてしまったけれど、それでも、一つだけはっきりと覚えている話がある。雪山の中にひっそりと隠れている洞窟。その奥深くに祠がある。誰が作ったのか、いつ出来たのかも解らない。だけれど、それは決して色あせることなく、真新しい、生々しいままそこにあり続ける。まるで時間が止まっているかのように。そこは自然の神様の隠れ家で、自分を見つけ出すことの出来た者に、一つだけ願い事を叶えてくれる。選ばれた者にしか見つけられない、特別な場所だから。世界を救いたい、兄さんはそう願ったんだよね。
君を喪ってから、世界は私に冷たくなった。いや、私が全てを閉ざしてしまったのかもしれない。君は私の中に傷みの種を落として、それは時間をかけて芽を出し、そして心の奥底にまで根を下ろしている。私の身体は、少しずつ蝕まれていく。あまりの傷みに感覚を失っていく。最後まで残っていたのは、君に触れたその感触だけ。今はそれすらも揺らぎだしている。だから、私は君を求める。くだらない夢幻に一縷の望みを託して。もしかして君に逢えるかもしれない。それだけでいい。そう思えさえすれば、私は歩いていけるから。
寒いよ、シオン。身体が凍ってしまいそう。感覚も殆ど残っていないや。肌が硬くなって、じんじんしてるだけ。レムはね、そんなの昔話に決まってるって、絶対ある筈がないって。危ないから、そんな所に行くのは止そうって。せめて嵐がやんでからにしようって。だから、黙って出てきちゃった。まだ暗いうちに、気づかれないようにして。あれ、おかしいな。身体が言うことをきかない。足が動かないよ。目の前が真っ白になってく。とても寒いよ。感覚なんて無いのに、寒いって事は解るんだ。じわじわと冷たくなっていくの。死ぬってこういう事なのかな。ねえシオン、僕はそんなことを君に……怖かったよね。一人で、寂しかったよね。辛かったよね。ごめんね、シオン。本当はね、解ってたよ。こんなの作り話だって。そんなこと、本当にありはしないんだって。僕は……僕は赦されたかったんだと思う。きっと、そうなんだと思う。君をそんな風にしてしまったことを、赦して貰いたかったんだ。だからこんな事をした。自分に出来ることを精一杯やってるふりをした。現実から目をそらして、ただひたすら逃げ回っていた。でも、もう疲れたよ。凄く疲れた。ぐったりしてる。もしも君が赦してくれると言ったら、僕は今すぐにでもーー赦さないって、そんな事言わないでよ。僕も君の所に行きたい。君と一緒にいたい。お願いだから、傍にいさせて。お願いだよ……もう一度だけ、僕の我が儘を聞いて。
「……ア、イリア!」
誰かが呼ぶ声が聞こえる。とても懐かしい声が。それに引き寄せられるように、ゆっくりと目を開いた。
ぼんやりとした視界に白い世界が映って、その先に、一瞬だけ君を見た気がしたんだ。
「イリア! ねえ、イリアったら!! 起きるのよ、ねえ、起きて!!」
「レ……ム……?」
「イリア! あなた大丈夫なの!?」
「どうして……ここに……」
「馬鹿っ!! 駄目だっていったのに、こんな馬鹿なコトして……村の人が手を貸してくれなかったら今頃」
顔を強ばらせたレムが口を噤む。
私はまだ生きているんだ。そう思ったら、何故かほっとして、少しだけがっかりしていた。彼の許にはいけなかったんだ。彼は、それを許してはくれなかったんだ。
「シオンが来てくれたんだ」
「何を言ってるの……ねえ、イリア、しっかりしてちょうだいよ。シオンは、シオンはもう……」
「私、怒られちゃった。何やってるんだって。そんなお前なんて大っ嫌いだって。へへっ……参っちゃうよね」
「当たり前でしょ! シオンがどんな想いであなたを助けたか……こんな馬鹿なコトして、あいつの命を無駄にしたら、私許さないんだからね! 絶対に許さないんだから!!」
命という言葉が、ずしりと胸にのし掛かってきた。私が今ここにいるという事ーーその礎となっているのは、紛れもなく彼の命なのだ。その事実から、ただひたすら逃げたかった。私があんな我が儘など言い出さなければ、彼はまだ生きていた筈なのだ。一緒に旅を続けて、色んなものを見て、聞いて、共に時間を共有していた。私は、認めたくなかった。そうなってしまったのは、他ならぬ私のせいであるということを。
「赦されたかったんだ」
「え……」
「私は……赦されたかった」
「イリア……」
「でもわかったんだ。そんなの、ただ逃げてるだけだって。だから、もうやめようとおもう。自分に嘘をつくの……やめようと思う」
「…………」
「それが、私に出来るせめてもの償いだから」
しんしんと降りしきる雪は、ゆっくりと、そして静かに、私の言葉を呑み込んでいった。 |
fin
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最後まで読んで頂き、ありがとうございました。以前からWeb拍手の方にもお礼小説をつけようと思っていたのですが、なかなか時間をとることが出来ずに放置しておりました(^^;こちらの方では、小説ページには載せないようなSSを好き勝手に書いていこうと思います。第一弾の「白い世界」は、坂本真綾の"THE GARDEN OF EVERYTHING "という曲をモチーフに、イメージしたものを文章にしてみました。多分これからも、何か一曲を選んで、そのイメージ小説のような形で書いておくと思います。あと、新作を追加するたび、ログも同じくweb拍手中のどこかにアップしておきますので(ランダムで出てきます)、その点お知らせしておきます。
今回は小説ページとは違うレイアウトを採用しましたが、見にくかった点等ありませんでしたでしょうか? これをテンプレートにして、小説ページに長編をアップする予定ですので、見辛い等ありましたら、下のメールフォームからお知らせ下さい。無記名で結構です。また、コメント等頂ければ喜びます♪ |
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