仄暗い闇の中、私は見覚えるのある街を歩いている。 記憶の奥底に眠り続け、今も私を縛り付けるこの光景−−だが思い出そうとすればする程頭の中にどす黒いもやが垂れ込めていく。頭の芯に鈍い痛みが纏わりついて、それは思い出す事を拒んでいるようにすら思えた。 「ダークエルフだ……」 「邪心に魂を売り渡した呪われた生き物め……!!」 「人間の敵め!!」 そうだ……私はいつもそんな目で見られていた。 私という個人を認めずに誰もがダークエルフとしての私を見ていた。 突き刺さるような冷たい視線をいつも全身に感じていた。 しかし私が私でいる事の出来た理由は−− 「……そうだった……お前はダークエルフ……」 その瞬間背筋に冷たい感覚が走る。私はその声の正体を恐れながらも確かめずにはいられずにゆっくりと後ろに振り返ろうとする。しかし身体が強張って思い通りに動いてはくれなかった。 「道化だ……そうは思いませんか?何故貴方は人間であろうとするのです?憎むべき存在に同化しようなどそれこそ愚の骨頂だと思いませんか?」 その声に純粋な闇を感じずにはいられなかった。私の感覚の全てがこの声の主を危険だと警告していたのだ。身体中の毛が逆立って、思考は少しずつ混沌とした闇へと飲み込まれていく。 「お前は……誰だ……」 恐怖に震える身体を何とか動かして振り返ろうとした瞬間、私の意識は深い闇の底へと飲み込まれていった。
「−−−−!!」 目を覚ました私は呆然と天井を見つめながら、それまで見ていた光景が全て夢であったのだとようやく理解した。 身体に纏わりついてくる深い闇、そして私を戦慄させたあの声−−全てが生々しい感覚として身体に刻まれている。 「あの声は……」 酷く擦れたその声は暗闇の中へと消えていった。
彼が出かけた後、私は王立図書館へと向かって行った。 この国の現状を映し出しているのか、館内には殆ど人影も無くひっそりと静まり返っている。 足を進めるごとに冷たい足音が部屋中に響き渡り、ある種不気味な静寂と共に不協和音を奏でているようにさえ思えた。 私は威圧するように立ち尽くした本棚の合間をすり抜けていくと、ある一冊の本の前で立ち止まる。 ダークエルフの真実−−古ぼけた表紙に擦れた文字でそう書かれた本を手に取り、ページをめくってみた。黴臭い匂いと厚く積もった埃は長い間誰の目にも留まっていなかった事を物語っている。 『ダークエルフとは極めて攻撃性が高く激情的であり、邪神に魂を売り渡したエルフの事を指す。力に依るオッツ・キイム支配を目論み、長い間各地で人間の大虐殺を続けていた。しかし邪神竜ディアボロスに反旗を翻した事で滅びの憂き目に−−』 その瞬間部屋中に誰かの足音が響き渡り、反射的に本を閉じた私は音のした方向へと勢い良く振り返った。 「ここは寒いですかな?」 顔をしわくちゃになるほどに綻ばせた老婆は、そう問い掛けるとこちらに向かってゆっくりと歩いてきた。 古びた杖で身体を支えながら、背中を丸めている所為もあってかなり小柄に見える。 訝しげな私の視線に気付いたのだろうか、老婆は乾いた笑い声をあげながら「なに、大して寒くもないのにローブを着なすってるからの」と付け加えた。 「別に……何を着ようと私の勝手だろう?」 ローブを着ている真意を悟られたようで、少し苛立ちながら言葉を返す。 私がこのような服を着ている理由は人々の好奇の、そして蔑むような視線を避ける為に他ならないのだから。 「ダークエルフとは人々から忌み嫌われる存在……多くの者達が彼奴らの刃にかかっておるゆえ仕方のない事じゃ」 「……何が言いたい?私が同じだと?」 「そなたはどう思う?」 唐突な問いかけに私は答える事が出来なかった。 今ですら畏怖の念に満ちた視線を向けられる私自身が本当の姿ではないかと思う事があるから。本当の私は人を切り刻む事に何の躊躇いをも感じる事無く、まして快感すらおぼえてしまうようなおぞましいダークエルフではないかと本気で不安になってしまう事があるのだから。 「私は……」 「その瞳……幼い頃の王子と良く似ておる。籠に入れられた小鳥ような」 「王子……?」 「アドビスに生まれたウィザード……誰もあの子の事を理解しようともせず、悪魔を見るような目を向けておった。だが婆は知っておる。本物の悪魔はそのような目で見る事しか出来なかった者達の心の中におるとな」 「え…………」 「人が何と言おうと、そなたはそなたでいなされ。決して自棄になってはならぬ」 「何故……私に……?」 「婆は王子に何も出来なんだった。せめてもの罪滅ぼしじゃ……所詮は許される道理もないが」 再び乾いた笑い声をあげた老婆は、そう言うと私に背を向けて歩き出した。 足音だけが耳にこびりついたまま、私はその場に立ち竦んでいる事しか出来なかった。 そして頭の芯が痺れるような感覚に襲われながら、自分とは何だろうと、漠然と考えていた。
それからふらふらと宿まで戻ってきた時、辺りはすっかりと暗くなっていた。 部屋のドアを開けるや否や心配そうな顔をしたカイが近づいてくる。 「ジェンド!今までどうして……お前顔色悪いぞ!!一体どうしたんだ!?」 彼は矢継ぎ早に何かを言っていたようだったけれど、私にはそれを聞き取る余裕など微塵もなかった。 その代わりに、彼の服を握り締めながら胸元に顔を埋める。そして額をこすりつけると、擦れた小さな声を絞り出した。 「カイ……私って何だろう?」 酷い倦怠感を覚えながら、私は彼に身体を預けたままゆっくりと目を閉じた。
身体に絡まりついてくるじっとりとした闇−−意識すら飲み込まれてしまいそうな深い闇の中で、忌まわしい記憶はいつまでも私を縛り付ける。 私と言う存在を扉の無い鳥籠の中に閉じ込め、あまつさえ翼をもごうとする。 必至になって抗おうとすればするほど、記憶の鎖は心の深い場所まで食い込んで来て、私は徐々に自由を奪われていく。 何故だろう?昔の私なら自嘲的な笑みを浮かべて何も無かったふりをしていた筈だ。 だが今はそれすら叶わない。 私は知ってしまったのだ……自分が酷く小さい、弱い存在であると。 それを認めてしまうのが口惜しかったから、今までずっと自分に嘘をついて強い自分を演じてきた。 だけど……彼と出逢って全てが変わってしまったのだ。 依存する事で弱さを知った。 一人で生きていく事が出来なくなった。 ずっと恐れていた……私を見る彼の目が変わってしまう事を。
『俺は知ってる……ダークエルフってのは凶暴で好戦的な種族だと……』 知ってる……本で読んだ 『邪悪な神と契約し、エルフや他の人間にとっておぞましき存在だと……』 だからどうした?私の知った事か…… 『皆!ダークエルフの言い分に騙されるな!』 ふんっ……私が人間だったら信じるのか? だったら人間同士お友達ごっこでもしていればいいだろうが 私はお前達に信じられなくても痛くも痒くもないんだ 『確かにコイツ見るからに凶暴な目ツキしてるし……』 悪かったな……生憎とお前達に振りまく愛想なんて持ち合わせていないんだ
−−そうだった……お前はダークエルフ……
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!!!!!!!」 意識を取り戻した瞬間、雄叫びのような自分の叫び声と酷く乾いた音が耳に飛び込んできた。後を追うように私の両腕を掴んできたカイが「ジェンド!!!」と乱暴に叫ぶ。 聞いたこともないような彼の怒声に我に返った私は、彼の顔を見つめながら自分で何をしてしまったのかを悟ってしまった。 薄闇の中でもはっきりと解る、彼の頬を伝う赤黒い液体が全てを充分過ぎるほど物語っていたのだ。 「私……私なんて事を……ごめ……ごめん…………カイ……私……どうしよう……私…………」 「ジェンド!!」 頭を振りながら動揺を隠せないでいる私の名を叫ぶカイ。しかし今度は先程よりも落ち着いた、いつも通りの彼の声だった。 それは私の心を酷く落ち着けさせたが、それでも彼の頬に残る傷跡を見ると拭う事の出来ない不安と恐怖が心を縛り付けた。 「ごめ……私……ごめん!!!」 そう叫ぶと、私は強引に彼の手を振り解いて部屋から飛び出して行った。 「あ……おいっ、ジェンド!!!」 彼の声を背に受けながら、私はただひたすら走り続けた。
私は何をしてしまったのだろう? いつも彼に嫌われる事、彼を失う事だけを恐れていたというのに……こんな事で全てをふいにしてしまうなんて。 ハハッ……いつまでも過去の記憶に縛られて大切な今を失ってしまうなんて……いい加減自分の馬鹿さ加減に笑えてくるじゃないか…… 「クソッ……」 口悪く叫び散らすと、私は思い切り地面を殴りつけた。 鈍い痛みが拳を包んで、これが現実なのだと改めて思い知らされる。 「……ジェンド」 改めて確認するまでもなかった。 私は地面を見つめたまま、彼の荒い息遣いだけに耳を傾けていた。 アイツの事だ……こんな私の為に必死になって町中を駆けずり回って探してくれたに違いない。 そんな彼の姿を思い浮かべると酷く胸が締め付けられて、思わず涙が零れ落ちそうになった。 「……ごめん」 「謝らなくていい。別に怒っちゃいないさ。でも……理由くらい教えてくれるんだろ?」 「殴った理由か?」 「……お前がそんな顔をしている理由だ」 「別に……ただムシャクシャしているだけだ」 「ジェンド!!」 彼の野太い叫び声に一瞬ひるんでしまう。 女のような可愛い顔とは裏腹なしっかりとした芯のある男−−そうでなければ私が惚れるわけがないか。 私は唾を飲み込むと、意を決して重い口を開いた。 「毎晩のように夢を見るんだ。私は暗がりの中にいて……目が慣れてくるようにゆっくりと周りの輪郭が見えるようになって。決まって私はある町にいるんだ。どこか見覚えのある町。どこか見覚えのある人間。彼らは私を見ながらこそこそと話をしている。皆口々にダークエルフの名を言うんだ」 「…………」 「でも私は気にしない。見ず知らずの人間に何を言われようとどうだっていいんだ。だから私は人の合間を縫って歩き始める。そして少しずつ……少しずつ自分がどこにいるか思い出すんだ。…………そう、その街の名はアニバピオ」 私がその名を口にした瞬間、彼がごくりと唾を飲み込む音が聞こえたような気がした。 彼にも私が何を言いたいのか解ったのだろう。だが私は敢えて先を続けた。 「私の前に現れた一人の男がこう言うんだ。『そうだった……お前はダークエルフ……』私は……お前にだけはそういう目で見て欲しくなかった。ありのままの自分を受け入れて欲しかったんだ。でもその事で今のお前を責めているわけじゃない。あの時の私はそう思われても仕方ないくらいの乱暴者だったし、お前に対しても酷い事ばかりしていたから。ただ……怖いんだ。またお前にそんな目で見られるんじゃないかと思うと怖くてたまらない……」 無言のまま隣に座ってきた彼がそっと髪の毛に触れてくる。ついに言ってしまった−−そう思いながら、私には彼の顔を正視する事ができなかった。 「……すまなかった。謝って済む事じゃないって解ってる。あの時、俺は一瞬でもお前の事を疑ってしまったから。いつの間にか他の奴らと同じになってたんだ……大切な仲間なのに……お前の事、ダークエルフとしか見ていなくて。だから−−」 「やめてくれ……お願いだから」 「ジェンド……十六夜の言ってた意味、今なら良くわかるんだ。ダークエルフだけどダークエルフじゃないって。過去にダークエルフが何をしたとしてもお前はお前だ。ジェンドなんだ。だから……俺が言うのも変かもしれないけど、もっと自分に自信を持って欲しい。お前はジェンドなんだ。ダークエルフじゃない。」 「カイ……」 その瞬間、物凄い爆音と共に地面が大きく揺らいだ。 バランスを崩しかけた私は思わず彼の身体に抱きついてしまう。 「大丈夫か?」 「あ……ああ。カイは?」 「俺も大丈夫だ。でも今のは……」 「城の方から聞こえてきたぞ」 「嫌な予感がする……ジェンド、城の方に行ってみよう!!」 二人で頷きあって立ち上がると、私達は城下町に向かって走り出した。 |
to be continued...
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