目の前には混沌と呼ぶにふさわしい凄惨な光景が広がっていた。
 城下町の至る所から煙があがり、街路は逃げ惑う人々で溢れ返っている。
「これは一体……」
 息を切らせながら街路に立ち止まった私は、目の前の惨状を呆然と見つめながら乾ききった唇をゆっくりと開いた。
「ジークに聞いたんだ。最近女王の様子がおかしいって。妙な魔術師を城に招きいれて……」
「妙な魔術師?」
「クレリックでもない、ウィザードでもない……それ以来女王の様子が変わったらしい。謁見の間に妙な魔法陣を描かせたり−−ジェンド?」
 胸の辺りが酷くザラついて、不安とも恐怖ともつかない感覚が私を支配していた。
 その正体を探るようにゆっくりと歩き始める。そして腰に差した長身の剣を抜くと、その切先を地面につけた。
 空気の変化を悟ったのか、緊張を孕んだ周囲の視線が一気に私の方へと注がれる。
 だが私には剣を仕舞うつもりなど微塵も無かった。
「あ……ああ……」
 落とした視線の先に腰を抜かした少女がガタガタと震えている姿が目に入った。
 人ごみの中で離れたのか、両親と思しき男と女は今更ながら娘が傍にいない事に気づいたらしい。雑踏の向こうから娘の名を叫ぶ悲痛な声が聞こえてくる。
 その光景を漫然と見つめながら、私は鈍い光を纏った剣の切先をゆっくりと天に向けて振り上げていった。
 後を追うようにして剣の先へと視線を上げる。
「「ターシャ!!!!!!!!!!!」」
「ジェンド、危ない!!!!!」
 三つの声が重なった瞬間、私は勢い良く剣を振り下ろした。
「キャァァァァァ!!!!!!!!!」
 耳を劈くような甲高い叫び声が響き渡り、剣の柄を通して肉と骨を切り裂いた確かな感触が手首を伝った。
 直後に赤黒い血が飛び散り、グロテスクな肉塊が鈍い音を立てながら地面に叩きつけられる。
「……またダークエルフが人間を殺した、と?」
 既に絶命したガーゴイルを一瞥してから周囲の人間を睨み付けた。
 人々は血に塗れたダークエルフの姿をまるで腫れ物に触るかのような視線で見つめ、各々が呻きに似た声を漏らしている。
 私は舌打ちをして悪態をつくと、顔だけ後ろに向けてカイを横目で流しながら「……行くぞ」と呟いた。
 呆気に取られていたらしい彼は「ああ……」と間の抜けた声を返しながら私の傍へと駆け寄ってくる。
 そして剣を仕舞おうとした瞬間、背後から消え入りそうなか細い声が聞こえてきた。
「ありがとう……お姉ちゃん」
 反射的に足を止めたその先には、無邪気な笑みを浮かべながら私を見つめる少女の姿があった。そんな彼女の表情<カオ>を見つめながら、私は自然と強張った顔の筋肉が緩んでいたのに気づいた。
「怪我はしてないか?」
 一瞬だけ視線を地面に落として、瞬きをしながら再び彼女の方へと顔を向ける。
 眩しいほどの笑みを浮かべたまま「うんっ」と頷く少女−−そんな無邪気な姿に飲み込まれてしまいそうな錯覚を抱きながら、心の芯がぼぅっと熱くなっていくのを感じていた。
 そして彼女の後ろで穏やかな笑みを浮かべるカイに視線を移すと、唇を微かに動かしてこう呟いた。 
「ありがとう……私を信じてくれて」
 この瞬間を惜しむようにゆっくりと身体を翻す。そして拳をギュッと握り締めると足早に歩き出した。
「どこまでも着いて行きますよ、俺のお姫様」
 背後から心地よい声が聞こえてきて、私は一瞬だけ目を閉じると心の中でその言葉を思い切り抱きしめた。


 城のすぐ傍までやって来た頃、アドビスの空はガーゴイルで埋め尽くされていた。
 逃げ惑う人々の間でクレリックの神官達はロッドを天に振りかざし、僅かに残された兵士達は棒切れのような粗末な剣を振り回している。
 ベテ・クルルソーに依存した結果がこれとはお粗末なものだ−−そのような事を考えながら辺りをぐるりと見回してみた。
 神官の張った結界などいとも容易く破られて、彼らの薄っぺらい肉体は次々とガーゴイルの餌食になっていく。グロテスクな鋭い爪が肉に食い込む瞬間ぐしゃっという嫌な音が耳に響いて、その音を知覚したと同時に原形を失った身体が地面に崩れ落ちる。そして地面はトマトを潰したような肉塊で埋め尽くされていくのだ。
 勝機が無い事など誰もが承知していた筈だ。それなのに彼らの誰一人として逃げ出そうとする者はいない。一体彼らを突き動かしているものとは何なのだろうか−−私は呆然と剣を振り回しながら、ただその事だけを考えていた。
 体中が酷い倦怠感に包まれ、自分を取り巻く時間という時間が酷くゆっくりと流れている。私が剣を振り上げるこの瞬間にも多くの命が失われ、その命の多くは救う事の出来た筈のものなのだ。彼らの無謀な勇気さえなかったら失う筈の無かった命なのだから。
 そして私の頭の中には常に一つの疑問がこびりついていた。
−−私は何故人間の為に剣を振るっているのだろう、と。


「ジーク!!」
 人込みの合間をすり抜けながら声を張り上げるカイ。その視線の先には昨日話をしていた男の姿があった。
 男はオフィエル神官と思しき女と何かを話していたようだったが、彼の姿を確認するや否や手振りで女を制してこちらの方に駆け寄ってきた。
「カイ、無事だったのか。よかった……」
ほっとした表情を浮かべる男。しかし対するカイは先程よりも険しい表情<カオ>で男を睨みつける。
「魔物は城から現れてる。俺昨日言ったよな?」
「…………」
 一瞬表情が翳ったかと思うと、男は視線を地面に落としたまま黙り込んでしまった。
 しかし、依然男を睨みつけたままのカイは答えを待つように微動だにしない。
 そんな暗黙のやり取りを尻目に、私はギリッと歯を噛み締めると苛立ちを隠さずに彼の方へと詰め寄っていった。
「そんな事はどうだって良いだろうが!それより−−」
 その瞬間、突如降り注いできた強風に言葉を飲み込んでしまう。あっという間に巨大な影にすっぽりと覆われて、反射的に空を見上げた私は、そこに私達の元へと飛び込んでくる一際大きなガーゴイルの姿を確認した。
「伏せろ!!」
 そう叫びながら、風に耐えかねた私は腕で顔を覆いながら身体を仰け反らせる。
 そして目の前に降り立ったガーゴイルを確認したと同時に、握り締めた長剣を空に向かって勢いよく振り上げた。
「グギャァァァ!!!!!」
 耳を劈くような咆哮と共に肉塊が地面に叩きつけられる物凄い音が鳴り響く。
 私は舞い上がる砂埃に目を覆いながら、指の隙間からしゃがみこんだ二人の姿を確認すると、まくし立てるように声を張り上げた。
「これをどうにかしないと埒があかないぞ!!まともな兵士はいないのか!?クレリックに何が出来る!?」
 私の言葉が気に触ったのか、依然地面に尻をついたままの男は、苦々しい表情を浮かべながら私を睨み付けてきた。しかし傍にいた女性は彼を抑えるようにポンポンと肩を叩いて、口元に穏やかな笑みを浮かべながらこちらに向かって歩いてくる。
「大切な人を守るのにクレリックも何も関係ないわ」
「だが無駄死にする事が解っていて何故そのような事をする?」
「無駄?何が無駄だというの?確かに何もしなければ結果は見え透いているわ。だけど何かしてみたら?ほんの僅かでも可能性があれば私達はそれに全てを託す。限りなくゼロに近かったとしてもそれはゼロではない。何もしないで後悔するくらいならこの命をかけてでも僅かな可能性に賭けてやるわ。私の愛する者達……かけがえのない仲間達の為にね。あなたにもそういう仲間がいる筈だわ。違う?」


 ひっそりと静まり返った城内に二人分の足音が木魂していた。
 背筋を凍らせるほどひんやりとした空気が肌に纏わりついて、血なまぐさい匂いが城中に漂っている。

−−あなたにもそういう仲間がいる筈だわ。違う?

 先を争うように走りながら、私はその言葉の事ばかり考えていた。
 人間はダークエルフである私を罵り、常に冷たい視線を投げつけていた。
 ことあるごとにダークエルフの名を持ち出して、決して私を見ようとはしなかった。
 それなのに何故私はこのような事をしている?
 私にとって大切な人を守る為ならこんな事をせずにアドビスから逃げればいい筈だ。
 しかし私はそうせずに、敢えてここに留まり、人間達を救おうと奔走している。
 私の中で何かが変わろうとしている。
 彼の温もりに触れながら、凍りついた私の心は少しずつ解けてゆく。
 たまらない違和感を覚えながら、何とか受け入れようとする自分がいる。
 何故なら、私は知ってしまったから。
 誰かに寄りかかって生きる術を−−知ってしまったのだから。

to be continued...


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