「やれやれ……まだ人間が残っていましたか」 謁見の間に足を踏み入れた瞬間、身体を凍りつかせるような深い闇を孕んだ声が私達を出迎えた。 王座には一人の男が、祭礼服と蝶を模した仮面を身につけて鎮座している。仮面の所為でその表情を窺い知る事は出来なかったが、こちらに向けられた金色の瞳を見た瞬間、私は思わず息を呑んでしまった。 「イールズ……オーヴァ……」 そう、私は確かにこの男と会った事がある。シアンベルブの街でこの男の瞳に捕らえられた瞬間……それは確かに私を戦慄させたのだ。ありとあらゆる感覚がこの男を危険と察知し、そのあまりの存在感に圧倒されていた。後にも先にも……あのような恐怖を感じた事などなかった。ただこのイールズ・オーヴァを除いては−− 「黒いエルフ−−私の名を覚えていて下さったとは嬉しいですね。私はずっと貴女の事を探していたのですよ?」 「探していた……だと?」 「あなた方がこの国を訪れたのは偶然か? 否、偶然などありえはしない。全ては予め仕組まれた必然−−」 「ふんっ……馬鹿な事を!お前が全て仕組んだと?まるで神にでもなったような言い草だな」 「神?ハハハハハ!!!!それこそ馬鹿げていますよ。神など……何れは私の足元にも及ばぬ存在になる。私は神を超えた存在になるのですからね」 「戯言を……」 「ネツアク、イエソド、イェールス、カレルア、ユリアヌス、レファスタ……現存する古代神殿は全てこのアドビスを中心にヘキサグラムを描いている。アドビスは結界の核<コア>であり、全ての力が集まる場所でもある。その力を手に入れる事で私は全てを超越した存在になるのです。神をも超えた存在にね。しかしその為には黒きエルフの血が必要だ。だから貴女はここにいる」 「残念だが私には貴様のイカれた趣味に付き合うつもりなどない!」 「結構ですよ。床に刻まれた魔方陣が貴女の血で満たされれば結界は動き出す。後は術を完成させるだけだ」 「……ふざけんな!!」 それまで沈黙を守っていたカイが唸るようにして叫んだかと思うと、彼は盾にならんとばかりに私の前へと立ち竦んできた。背中越しに烈火のような怒りがピリピリと肌に伝わってくる。 「そんな事の為に皆を殺したのか!?女王を誑かして王までも!!」 「勘違いされては困りますね。私は彼女に手を貸してやっただけですよ?この女……ルハーツは国王を殺してこの国を我が物にしようとしていたのですからね」 「嘘だ!!」 「彼女は自らに反抗的なシオン王子を遠ざけ、ミト王女を利用して国権を手に入れようとしていた。貴方は知っている筈だ……王子が女王にどのような扱いを受けていたか。この国から逃げ出しただけでは飽き足らずに記憶までも閉ざしてしまったのですか?」 「…………」 「実質上の力は彼女に移行していた。しかし国権の象徴たる国王の存在は彼女にとって邪魔以外の何者でもなかったのでしょう。私を重用してくれたら国王を消して差し上げましょう−−そう言ったらこの女はまんまと食いついてきましたよ。ねえ、ルハーツ殿?」 嫌みったらしく鼻で笑うと、隣に立ち尽くした女性の腕を撫でるように触れてみせた。 「まさかその人は……」 「気付きませんでしたか?ルハーツ女王とミト王女ですよ。フフ……今は私の操り人形と化していますがね」 「そんな事をしてどうなる?神を超えるだと?所詮人間は人間だろうが。仮に全てを手に入れたとして、その後に何が残る?人々の畏怖の視線と引き換えにお前は独りきりになるんだぞ!?」 「おやおやおや……ダークエルフが何を言い出すかと思えば。いつからそのように感傷的になったのです?だが覚えておきなさい。いくら貴女が人間のふりをしたとしても、所詮はダークエルフに違いないのですよ。その浅黒い肌に血生臭い歴史の刻まれた、人間の忌むべきダークエルフ−−」 「黙れ!!!!!!!!!!!」 そう叫ぶや否や、彼は腰に刺した長剣をくと勢い良くイールズ・オーヴァめがけて斬りかかって行った。 「愚かな……」 侮蔑するような笑みを浮かべながら右手を突き出すイールズ・オーヴァ。表面を波打つ水のようなもので覆われた蒼白い光球が浮かび上がり、その中心から稲妻のような光が放たれる。そして部屋中が閃光に包まれた瞬間、光球はカイに向かって勢い良く吹き飛んで行った。 「カイッ!!!!!!」 「うわぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」 二人分の叫び声が空気を切り裂き、彼の身体は鈍い音と共に石造りの壁へと叩きつけられる。 意識を失ってしまったのか、彼は壁に背をつけたまま、そのままズルズルと床の方へと倒れこんで行った。 「貴様ァァァァァァァァァァ!!!!!!!!!!!!!!!!」 床に転がった剣を手に取った私はイールズ・オーヴァめがけて一心不乱に走っていった。しかし依然王座に座ったままの奴は私を見つめたまま口元にいやらしい笑みを浮かべたままだ。 そして私が大きく剣を振り被ったと同時に彼は指をパチンと鳴らしてみせた。その瞬間目の前に稲妻が走り、後を追うようにして水面のように揺らめく光の壁が形作られていく。 「どうしますか?」 彼は微かに唇を動かし、そして私の耳には届く筈の無いその声が響き渡っていたのだ。 それを断ち切るように剣を振り下ろして結界を切り裂こうとする。 しかし切っ先が光の壁に触れた直後、私の身体は勢い良く跳ね返されていた。 状況を理解する暇も無く床に叩きつけられて、私はただ獣のような唸り声をあげる事しか出来ないでいた。 一方、ようやく重い腰を上げたイールズ・オーヴァは、王座の隣に立てかけられた豪奢な剣を手にとってミトの元へと歩いて行く。 そして彼女の手に鞘から抜いた剣を握らせると、耳元に唇を寄せた。 「ミト王女、あのダークエルフはこのアドビスを滅ぼそうとする国賊なのです」 「な……姑息な真似を!!」 腹の底から声を絞り出しながら、剣を杖代わりにして起き上がった私は奴の顔を思い切り睨み付けた。 「あの女を殺しなさい。いいですね?あの女を殺すのです」 静かに頷くミト。そして自らの意思で剣を握り締めた彼女は切っ先を私に向けると、ゆっくりとこちらに向かって歩き出した。 ごくりと唾を飲み込みながら彼女との距離を保とうと後ずさりする。 こんな小娘に負ける筈はないという確信はあったが、それでも人間に対して刃を向ける自信はなかったのだ。 「どうしました?ダークエルフともあろう者がこんな小娘相手に尻尾を巻いて逃げ出すとは……」 「うるさいっ!!」 虚勢だと解っていながら、そう叫ばずにはいられなかったのだ。 私達のどちらかが死ぬまで続けられる事など容易に想像出来たが、その瞬間が来るのを出来る限り遠ざけたかった。 「一つルールを決めましょうか。今後貴女が少しでも逃げるような素振りを見せたら、そこにいる男に苦痛を与える事にしましょう。少しずつ……だがどこまでもつでしょうね。今ですらかなりのダメージを負っている筈だ」 「−−−−!!!!」 恐る恐る後ろに振り返ると、未だ青白い顔をして地面に横たわる彼の姿が目に入ってきた。 彼を救う為に人を殺すのか……それともこの手を汚したくないが為に彼の命を犠牲にするのか? その瞬間、私は肌に突き刺さるような殺気を感じて反射的に剣を振り上げた。 −−ギンッ ミトの振り下ろした剣と私のそれが勢い良くぶつかり合う。手首に鈍い衝撃が伝わり、それは凡そか細いミトの腕から繰り出されたとは想像できないほど洗練された物だった。 予想外の事態にひるんだ私は思わず剣を振りほどいて後ずさりしてしまう。 「ああ……言い忘れていました。彼女には戦術強化の術をかけているのです。下手に手を抜くとやられますよ?それから……」 「−−−−!!!!」 「……ルール違反だ。私は逃げるなと言いましたね?」 イールズ・オーヴァは口元に笑みを浮かべると再び右手を前に突き出した。 稲妻に包まれた光の球が浮かび上がったかと思うと、それはカイめがけて勢い良く放たれる。 「うぐぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!」 「止めろ!!!!!!!!!!!」 空気を切り裂くような鋭い音と共に彼の身体が激しく痙攣する。私はそれ以上彼の姿を見続ける事が出来なくて、雄叫びをあげながらミトに向かって刃を振り下ろした。 互いの刃金が激しくぶつかり合い、金属の鋭い音が部屋中に響き渡る。 「目を覚ませ!お前はイールズ・オーヴァに操られているだけなんだ!!」 鍔迫り合いをしながら、擦れてしまいそうなほどの大声で叫んでいた。しかしミトは私の言葉など聞こえていないと言わんばかりに虚ろな瞳のまま剣を握り締めているだけだ。 −−殆ど対等か、あるいは相手の方が優れているであろう状況の中で時間が過ぎればすぎるほど私の不利は決定的だ。 今でさえ彼女の剣を抑えるだけでかなりの体力を消耗しているのだ。彼女が私の攻撃を受け入れるほどの隙を見せる可能性など限りなくゼロに等しいし、そのチャンスを探っていくうちに私はどんどん磨耗していくだろう。だから決着をつけるのであればこれ以上時間をかけるわけにはいかなかった。 「許せ……」 誰にも聞こえない位小さな声で呟くと、私は彼女めがけて大きく剣を振り上げた。 その隙を彼女が見逃すわけがなかった。 一歩だけ後ずさりして、腰を据えた彼女は私の脇腹をめがけて物凄いスピードで剣を突き立ててくる。 肉を抉る嫌な音を知覚したのと同時に、身体の中に冷たい異物感と、そして焼け付くような痛みが走った。 「う……あ……」 ポタポタと赤黒い血が零れ落ちて床に飲み込まれていく。 一瞬のうちに白い魔法陣が朱に染まり、それは何時しか鮮やかな赤い光を放ちながら輝いていた。 「これが……うく……これが欲しかったんだろう!!」 私は渾身の力を振り絞ると、腹からとめどなく溢れてくる血を手に取り、それをミトの額に押し当てた。 その瞬間、ミトの額に触れた掌から蒼白い光が閃光のように瞬いた。後を追うようにして彼女の瞳孔がキュッと収縮して、白濁としたその瞳に光が戻っていく。 「あ……え……私…………どうして……」 その結末を見届けるかのように、朦朧とした意識の私は堪えきれずに結果の上へと崩れ落ちていった。 「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!」 先程までの彼女からは想像もつかないような生々しい叫び声が部屋中に響き渡って、後を追うようにイールズ・オーヴァの物と思しき足音が近づいてくる。 「解呪か……成るほど。記憶を失っても身体は覚えている、と……ん?何故結界が動かない?条件は揃った筈だ!それなのに何故!?…………ハハ……ハハハハッ……成る程、そういう事か!ここまで来て……私が新たなる神になれたものを!!」 そして意識が途切れようとした瞬間、私は確かに聞いたのだ。 私がこの生を受けてから唯一愛した者の声を−−獣のような雄叫びをあげた彼は物凄いスピードで私の方へと走ってくる。徐々に暗闇へと侵されていく意識の中で、先程聞いた肉を抉るような音が響いて、そして酷く擦れたイールズ・オーヴァの笑い声を漠然と知覚していた。 「ぐはっ……面白い……まだ私に刃向かう力が残って……ぐ……ぐふ……ぐふふふ…………だが………私は全てを断ち切ってみせる!!全てを……人間よ、次は無いと思え!!」
頭の中で無数の足音が重なり合っていた。 そして私が最後に感じていたのは誰かに抱かれる温もりと、そして私の名を叫ぶ彼の沈痛な声だった。 最愛の人の声を心の中でぎゅっと抱きしめながら、私はそのまま意識を手放していった。 |
to be continued...
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