深いふかい闇に抱かれている。 身体中に絡み付いてくるじっとりとしたこの闇は私を縛り付ける記憶の鎖。 それは心の奥深い場所にまで食い込んできて、気がついたら私は少しずつ自由を奪われていく。 このアニバピオという扉のない鳥篭に閉じ込められたまま、翼をもがれた私は飛び立つ事すら叶わない。 このままいつまでも紺碧に輝く記憶の海の深遠に沈んでゆくのだろう。 助けを求めて手を差し出したとして、その手はきっと空を切るに違いない。 −−怖いよ 心の一番深い所、一番柔らかな場所でその言葉を呟いてみる。 しかし決してそれが表に出る事はない。 口にする事が出来たらどれだけ楽だろうか……だが私の中でそれを良しとしない私がいる。 その私は弱い自分を隠す為に男のふりをして、乱暴に剣を振り回して、他人を拒絶して。 でも私は知っているのだ。 弱さを隠そうとする私自身が一番弱い私なのだと。 その弱さのために、私は私を棄てる事が出来ないでいる。 「俺の姫様、見かけなかった?」 背後から聞こえてくる柔らかな声にゆっくりと目を閉じる。 そうして……いつも心の中で抱きしめるようにして彼の言葉を聞くのが大好きだった。その瞬間が、そんな自分がとても愛しく思えるから。 「…………さあ」 呟くように答えると、彼は私と背中合わせになって静かに腰を下ろした。 背中越しに彼の温もりと規則正しい心音が聞こえてくる。まるでこの世界の中に二人しかいないような気がして、それは酷く私を安心させた。 「一体どこに行ったんだか。いつも一人で突っ走るからなぁ……全く、人の苦労も知らずにさ」 「だったら放っておけばいいだろう?別に頼まれたわけでもあるまいし」 「そうなんだよな……でも放っておけないんだ。俺が手を離すとどっかに飛んでっちゃいそうで……一人じゃ飛べないクセしてさ」 「とんだお姫様がいたものだな」 「ふふ……全くだ。でもそういう所がたまんなく可愛いんだよな。無茶して、傷ついて、ボロボロになって……そんなアイツを壊れてしまうほど抱きしめたくなる。俺がいるよ、一人で苦しむ事はないんだって……そう言ってやりたいんだ」 「…………」 「俺がお前の翼になってやるよ……ジェンド」 背中越しに伝わってくる彼の心音が急に激しくなる。 それに負けない位私の鼓動も早くなって、身体中が酷く熱気を帯びていた。 「知らないからな……後悔しても」 彼の大きな手が冷たくなった私の手にそっと触れた。 「一度くらい『後悔させないよ』とか可愛らしい事が言えないかね?」 「そんな保証などどこにもないだろ」 「……保証を求めるくらいならとっくにお前の傍を離れてるさ。そうだろ?」 「…………」 答える代わりに彼の手をぎゅっと握り締めると、彼の背中にそっと身体を預けた。 そしてゆっくりと目を閉じると、「そう……だったな」と消え入りそうなほど小さな声で呟いた。
「目……覚めたか?」 微かな倦怠と身体の奥に残る鈍い痛みを感じながら目を覚ますと、そこには笑顔で私を見つめる彼の姿があった。 もう見慣れた筈のその顔を見ながらほっとする自分がいる。 いや……見慣れたからこそほっとするのかもしれない。 私はいつもこの笑みに支えられ、そして生きていく道標にしてきたのだから。 「……ああ」 目を細めながら少しだけ顔を傾けた彼は「良かった」と吐息のような声で呟いた。 「ずっと私の傍に?」 頭を振りながら「いいや、さっき来たばかりだよ」と答える彼。 しかし目の下に出来た隈はそれが嘘である事をはっきりと示していた。 無理しやがって−−そう心の中で呟きながら、でもそんな彼の気持ちをとても嬉しく思う。 「夢を見ていたんだ……眠っている間ずっと」 「どんな?」 「秘密。でも……とってもいい夢だった。温かくて……心地よくて……」 囁くように言いながら彼に微笑を向ける。 「何だよ……話してくれたっていいだろ?」 「うん……でも秘密。ただ−−」 唇だけ動かして「私の傍にはお前がいてくれた」と付け加えた。 「え……何?」 「だから秘密だよ」 女達がするような甘ったるい声で囁きかけてみる。 一瞬だけ呆気にとられたような表情を見せた彼はパッと顔を紅潮させると、それを隠すように下を向いてしまった。 解けた髪の毛が顔にふりかかって、ただでさえ女のように整った顔は酷く可愛らしく見える。 「そ……そう!何か欲しいものとかないか?食べ物とか……飲み物とか……」 わざとらしい奴だな、そんな風に思いながらも敢えて触れはしなかった。 「……今はいいよ」 「じゃあ添い寝でもしてやろうか?」 本当に嬉しそうな顔をして尋ねてくる彼。 さりげなく色気を感じさせる顔に今度は私が面食らってしまう。 「ば……馬鹿!」 「何だよ……そんなにあっさり言わなくてもいいじゃん。俺ショック受けちゃうぜ?」 それ以上彼の顔を見ていられなくなった私はそっと顔を横に向けると、口の辺りまで布団を引き上げてみせた。 そして聞こえるか聞こえないかくらいの声でこう呟いた。 「でも……もう少し傍にいて欲しい」 それに応えるように髪の毛に触れてくる彼。 優しく愛撫するような指の動きに身体中が徐々に熱を帯びていく。 そしてゆっくりと顔を向けると、彼は顔中に満面の笑みを浮かべて私を見つめていた。 「仰せのままに……俺の可愛いお姫様」 窓から差し込んでくる心地よい日差しに照らされながら、彼の顔はまるで天使のように輝いていた。 そう−−私と対の翼を持った天使のように。 |
fin
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