ベッドの上では半裸のカイと女が絡み合っていた。 私が入ってきた事にすら気付かないのか2人とも行為に没頭している。女は細い指でカイの体をなぞりながら、体に刻まれた傷跡に舌を這わせていた。 女の舌はそれ自体が生きているかのように生々しい動きで刺激を繰り返し、唾を絡めながら吸い上げる淫靡な音が部屋中に響き渡る。一方のカイは何ら表情を変える事無く女の髪を愛撫し、耳元や髪の毛に口付けをしていた。 暫くしてカイの股間に伸ばした女の手が止まった。 そしてかきあげた髪を耳の間に挟むと、おもむろにズボンのチャックを開けて頭を沈めていった。 女がその行為を続ける間、カイはぼんやりと壁を見つめたままじっとしていた。 感じているのを我慢しているようでもない、生気を失ったその瞳は虚空を捉えているだけだ。 「…………」 不意に顔を上げた女は小さく息をついてカイを睨みつける。 「……白けちゃうわね。私じゃ感じないっての?」 その言葉にカイは答えなかった。ただ床に視線を落としたまま押し黙っているだけだった。 女が腰の辺りまで下げていた服を羽織り、ベッドから立ち上がる。そして追い討ちをかけるようにカイに一瞥をくれると「最悪」と口悪く罵った。 女の言葉に反応したのか、カイはベッド脇のテーブルに置いた財布に手を伸ばすと、何枚か札を抜き取って出した。 「……金がもらえりゃいいんだろ?ほら」 差し出された金の方に顔を向けた女は、すぐにカイの下腹部に視線を落として口元を歪めてみせた。 「フンッ……そんな金、アンタの役に立たない息子と一緒に仕舞っちゃいなさい」 そう言って鼻で笑うと、女は足早に部屋から立ち去っていった。 この瞬間、私には全てが解ってしまったのだ。私が迷い込んだこの街の正体、目の前で項垂れている彼――その意味を知ってしまった。 そしてカイが次に発した言葉を聞いた瞬間、私は胸が締め付けられるような衝撃に襲われた。
――ごめん、ジェンド
足がガクガクと震えていた。それを押さえつけながら何とか彼の横たわるベッドに向かってフラフラと歩いていく。そしてベッドの上に両手両膝をつくと、そのまま彼の体の上まで這い上がっていった。 依然として彼の瞳に私は映っていないようだった。しかし私はそうせざるを得なかったのだ。私の本能が、細胞の一つ一つが、そうしろと命じていたのだから。 私は両手で体を支えながら、ゆっくりと彼に顔を近づけていった。 彼の虚ろな瞳は漫然と私を捉え、それから逃れるようにして目を閉じる。そして彼の唇に触れた瞬間、羽根布団が空気を吐き出す音と共に、身体はベッドへと沈んでいった。
しばらく経って、私は街の広場へとやって来ていた。 大路とは対照的に人はまばらで、誰も座っていないベンチを探してそこに腰掛ける。 もう既に歩く気力すら残ってはいなかった。ただ指を絡ませた両手を膝の上に落として項垂れているのが私に出きる精一杯だった。 そこに一人分の足音が近づいてくる。規則正しい軽快なリズム――それはいつも聞いていたものだった。 その音に誘われるようにしてゆっくりと顔を上げる。 「…………カイ」 口元に浮かべた微笑を応えに代えると、彼は私の隣へと腰掛けてきた。 「どうやって?」 私の方を向くわけでもなく、その顔に微笑を浮かべたままの彼が口を開く。 「……さあ」 「うん、そうだな。そんな事どうでもいいか」 「…………」 「あれ……見たよな?」 「…………ああ」 「アイツがひた隠しにしようとした……己の奥底に仕舞いこんだ忌まわしい過去」 「アイツって……お前はカイじゃないのか?」 「俺はアイツが拒絶したアイツ自身。全ての記憶であり感情であり本能であり、そういった意味であれば答えはイエスだ。だけどお前の知っているアイツかと訊かれれば答えはノー。何故なら、俺はアイツが決してお前にだけは見せたがらなかったアイツ自身だから」 そう言うと彼は立ち上がって指を鳴らしてみせた。その瞬間に全てが闇に包まれ、後を追うようにして薄っぺらい窓枠のような物が無数に浮かび上がる。その全てに幼い頃から現在に至るまでの様々な彼の姿が映し出されていた。 「アイツの記憶の全てがここにはある。お前がさっき見たのはその一つ――」 「何故そんな事をする? カイが嫌がる事を知っていて……拒絶された復讐のつもりか?」 気がついたら彼の言葉を遮るようにして立ち上がっていた。そんな私に視線を向けた彼は、その顔からフッと微笑を消した。 「復讐? ジェンド、これはお前が望んだ事なんだぞ?」 「私が……望んだ?」 「お前はアイツの全てを受け入れる覚悟をし、それを望んだ。その瞬間にアイツの暗闇をも受け入れる覚悟をした。違うか?」 「…………」 「お前が何故こんな奥深くにまで入り込む事を許されたかは俺の預かり知る所じゃない。これを奇跡と呼ぶならそうかもしれないし、必然というならそれも正しいのかもしれない。夢だと思いたければそれでもいい。ただ一つだけ言えるとすれば、おまえ自身がそれを望んだという事だ」 「それは――」 「シオン王子ならこう言っただろう。全ての事象には原因と結果があるのみ……言いえて妙だな」 「一つだけ訊いていいか?」 「俺に答えられる事なら」 「私はアイツにとって……いや、何でもない」 「フフッ、お前らしいな。アイツは……俺はお前のそんな所が大好きなんだ」 「え……」 何かに強く引っ張られるような感覚が体中を走った。その強烈な違和感に思わず目を閉じてしまう。そして再び目を開いた瞬間、見覚えのある大樹が目の前に飛び込んできた。 「……ド、ジェンド!どうしたんだ、体の具合でも悪いのか?」 背後から聞こえてくる心地よいアルト。期待と不安を胸に抱きながら恐る恐る後ろに振り返ると、そこにいたのは紛れも無くカイだった。 「カイ……」 何故か込み上げてくる涙を押さえきれなかった。気がつくと生暖かい液体が頬を伝い、肩を震わせながら泣いていた。 その涙のやり場を探すように彼の胸へと顔を押し付ける。 「お……おい、ジェンド」 戸惑いながらも背中に腕を回してくる彼。その温もりを感じながら、私はいつまでも泣きじゃくっていた。
それは彼の為に流した初めての涙――
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