金色の月が遥か遠くの空で輝いていた。 少し前まで赤々と燃え盛っていた薪は既に炭と化し、暗闇へと光を譲っていた。 ――ザッ 静寂が支配する世界を微かな衣擦れの音が切り裂く。 俺は少しだけ目を開くと音の聞こえた方へと視線を投げかけた。 蒼褪めた月光に照らされ、酷くやつれた様子のジェンドは十六夜をじっと見つめていた。 「……済まない」 ジェンドは擦れた声でそう呟くと地面に置いた剣を手に取り、音も無く立ち上がった。 再び十六夜を、そして俺を一瞥すると俺達に背を向けて歩き出す。 何故か声を掛ける事が出来なかった。 ただ俺に出来た事、それは拳を握り締めて自分の無力さを噛み締める事だった。 「くそ……」 誰にも聞こえないような、そんな小さな唸り声をあげる。 あの時、モンスターに操られたジェンドが十六夜を斬った時、俺は何もしてやれなかった。 一番大切な存在であろう十六夜を自ら斬ってしまったジェンドがどれだけ深く傷ついていたか、痛い程解っていた筈なのに、俺はただ空虚な言葉を連ねる事しか出来なかった。 そして今、ジェンドは俺達の元から去ろうとしている。 出会った時よりも少し丸くなって心を開いてくれたジェンドが、元の鋭くて冷たい瞳に戻って、また一人になろうとしている。 「……ジェンド」 乾いた唇を開いてそう呟くと、俺は両手を地面について起き上がった。 視線を横に向けると、十六夜はいつも通りの無垢な笑みを浮かべながら眠っている。 俺は腹の所まで下がった毛布を首の所までかけ直してやると、黒々と輝く髪をさっと撫でてやった。 まるで猫のような、そんな可愛らしい声をもらしながら十六夜は口元を緩めてみせた。 「すぐ戻ってくるからな」 十六夜を起こさないように、しかし懸命になって言葉を伝えるように一言一言咀嚼しながら呟く。 そして髪結いを解くと、乱れた髪の毛に空気を孕ませた。
ジェンドを見つける事は左程難しくなかった。 きっと何度も立ち止まりながら歩いていたのだろう。 俺が追いついた時も、ジェンドは拳をぎゅっと握り締めて肩をわなわなと震わせていた。 「……ジェンド」 少し離れた場所に立ち止まると、その名をゆっくりと呟いた。 俺がここにいる事に驚いたのだろう、ジェンドは身体をビクッと震わせると緩慢な動作で後ろに向きかえる。 「何故……貴様がここにいる。十六夜はどうした?」 蒼褪めた月光の下で、ジェンドのその言葉は酷く冷たく感じられた。 「ぐっすり寝てるよ。知ってるだろ?一度眠ると朝まで起きないって」 ジェンドは微動だにせず、ただ意図を探るように俺をじっと見つめていた。 何て悲しそうな顔をしているのだろう、その時の俺にはそう思えて仕方がなかった。 「どこに行くつもりだよ、ジェンド?」 自然と強張った顔を隠す事も出来ずに、俺はジェンドを睨み付けたまま少しずつ距離を狭めていった。 ジェンドはそれを止めはしなかった。 しかしその瞳には確かに、強い拒絶が映し出されていた。 「貴様の知った事か。私は始めから好きなように行動していたんだ。それをお前や十六夜がぞろぞろついて来て……いい迷惑だ!!」 「昼間の事……気にしてるんだろ。でもあれはお前の所為じゃない。あれは魔物が――」 「うるさいっ!!お前に何が解る!!!!!」 俺の胸倉に掴みかかると、ジェンドは唸るような声で叫んだ。 そのままバランスを崩して俺はその場に倒れこむ。 それに覆い被さるような格好になって、ジェンドは俺の上に乗りかかってきた。 「自分を受け入れてくれた……大切な十六夜を傷つけてしまったから、だからお前は逃げるんだろ?こそこそと誰にも知られないようにしてな!!」 「黙れ!!黙らないとその首を切り落として二度と喋れないようにしてやるぞっ!!!」 ジェンドの細い指が首に食い込んでくる。 俺は荒い息をもらしながらジェンドの手首をきつく握り締めると、身体を強引に回転させてジェンドの上に覆い被さった。 ジェンドはその紫色の瞳に燃え滾るような憎悪の色を浮かべ、八重歯を剥き出しにすると獣のような唸り声をもらす。 「あれはお前の責任じゃない!十六夜だって解ってる。あの笑顔を見ただろ。アイツはお前を憎んでなんかない!!」 「うるさいっ!!!お前に説教される筋合いなんて無い!!」 その瞬間、腹に鈍い痛みが走ったかと思うと俺は宙を舞っていた。 そして追い討ちをかけるように後ろの木に激突する。 「ぐはっ……」 口の中を錆びた鉄のような味が広がっていく。 「はぁっ……はぁっ……お前に解って……たまるか…………お前なんかに…………」 痛みさえも厭わずに頭を上げると、そこには瞳に大粒の涙を浮かべたジェンドの姿があった。 俺が今まで見た事もないような酷く弱々しい姿で、ジェンドは立ち竦んでいた。 月光の所為だろうか、まるで握り締めたらバラバラになってしまいそうな硝子細工のように、そんな風に見えた。 「そうやって……また殻に閉じこもるつもりか?出会った頃のお前は乱暴者でどうしようもないヤツだった。でも一緒に旅して行くうちに少しずつ……ほんの少しずつ心を開いてくれるようになった。俺はそれが嬉しかったんだ。それが俺に対してのもので無い事は知ってる。でも嬉しかった。なのに……また元に戻るのか?一人になるのか?」 「止め……ろ…………そんな言葉など聞きたくない……私は……私は一人で生きていける…………お前達のような弱い生き物じゃ…………」 気がつけば声も無く泣いていたジェンドを抱きしめていた。 今にも壊れてしまいそうなジェンドを、思いきり抱きしめていた。 「弱い生き物だよ。お前も……俺も。だから頼ればいいんだよ。迷惑かけてもいいんだよ。俺は絶対……お前を拒んだりはしないから」 応えは無かった。 ただ、ジェンドは俺の胸に顔を埋めたまますすり泣いていた。 俺はゆっくりと目を閉じると、やわらかなウェーブのかかったジェンドの髪を優しく撫でてやった。
それからどれだけの刻が経ったのだろう。 空は薄らと紅に染まり、夜明けの到来を告げるような鳥の囀りが聞こえてくる。 視線を下げると、そこには泣き疲れて眠ってしまったジェンドの姿があった。 昨晩の事が嘘のように、ジェンドは安らかな寝顔をしていた。 そんな顔を見て思わず顔を綻ばせた瞬間…… 「わーーーーーーん!!ジェンド……カイ……どこーーーーー!!??」 その声を聞くや否や、ジェンドはびくっと身体を震わせて起き上がると辺りをきょろきょろと見回した。 「はっ……私は!?あ……!!」 ようやく状況を掴めたらしいジェンドは、バツの悪そうな顔をすると、さっと俺に背を向けた。 「忘れろ!!」 「は?」 「……昨日の事だ。いいから忘れろ!!」 珍しく狼狽しているジェンドの姿を見て、思わず笑い声を漏らしてしまう。 そんな俺の態度が気に入らなかったのだろう。 ジェンドは腰に刺した鞘に手をやると微かに鍔を持ち上げてみせた。 「……何が可笑しい?」 「ははっ……いや……何も。それより十六夜が泣いてるぞ〜放っておいていいのか?」 そう言うと「思い出した」と言わんばかりに剣から手を離したジェンドは、「あっ」という間の抜けた声を漏らしながら十六夜の方に向かって走っていった。 しかし少し離れた所で立ち止まると、ぎこちない動作で俺の方に向きかえった。 「その……何だ…………昨日の事は……感謝してる。それだけだっ!!」 吐き捨てるように言うと、再び身を翻して走り去って行く。 そんなジェンドの姿を見て、俺は自然と微笑んでいた。
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fin
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