椅子にふんぞり返っているジェンドを尻目に、テーブルの上の皿やらフォークやらをてきぱきと片づけていく。わざとらしく彼女の傍で忙しそうにしてみるのだが、相変わらず手伝ってくれる素振りはない。今夜の料理当番は俺なんだから、まあ当然と言えば当然なんだが、あいつが当番の時は言われずとも手伝ってしまうから、無駄と知りつつ「もしかしたら」と期待してしまう自分がいる。片付け自体は大変でも何でも無いのだけれど、こう一人だけ慌ただしくしていると、妙な疎外感のようなものを感じてしまうのだ。
最後の皿を片付けてしまうと、俺は立ったまま「ふぅ……」と溜息をついた。特に意味もなかったのだが、彼女は何らかの意図を見いだしたらしい。俺の顔を見上げて、珍しく「終わったのか?」なんて訊いてくる。普段ならば、さも当たり前のように何も言いはしないのに。
「ああ」とおざなりに答えて、それから窓の外へと視線を向けた。数日前から降り続けた雨は、少し前から勢いを増して、嵐と呼んで差し支えないほどのものになりつつあった。薄闇の中に目をこらしてみると、朧気ながら、荒れ狂う風に身を任せるしかない木の葉を、地面を叩きつける大粒の雨を見て取る事が出来た。せっかくのクリスマスだというのに、何もこんな天気にならなくても良いじゃないか。何をするというわけでもないのだけど、こんな日くらいはもう少し素敵な夜になっても良いと思う。ふわふわの雪が降って、外は真っ白な銀世界になって、どこか色気づいたジェンドがそっと俺の身体を抱きしめてくれて……
「おいっ」
「ごめんなさいっ!!」
不意に飛び込んできた声に思わず謝ってしまう。
すぐさま、彼女に気付かれているはずがない事に気がついた。俺が頭の中でどんな妄想をしようと、どうして彼女にバレたりするだろうか。面と向かっていたら解らないけど、今は背を向けているわけだし、まして背中にピンク色のオーラが漂ってたりはしないだろう。多分……そう願いたい所だ。
「何謝ってるんだ?」
「は……ははっ、何も変な事なんて考えてないからな?」
振り返りながら軽薄な笑みを浮かべてみる。ああ、もうっ! 俺ってば何で自分で墓穴掘るんだよ!!
「全く、どうせまた妙な妄想でもしてたんだろう? これだから男ってヤツは」
「そ、そんな訳ないだろ?」
「声が上擦ってるぞ」
「ま、まさか」
「じゃあ何でどもるんだ」
「そ、それより、一体どうしたんだ?」
やれやれ、といった風に呆れた視線を向けてくる彼女。俺だって健全な男子なんだからな、なんて主張したくもなってくるが、したらしたで空しいだけな気がする。こいつがお義理で慰めてくれるわけがないし、そんな事されても嬉しくないし……なんてあれやこれや考えていたのだが、彼女の関心は既に別の所に向けられていたようだ。顎をしゃくってテーブルの上の蝋燭を指すと、「そろそろ消えるんじゃないか」と冷たく言い放った。そういえば、買ってくるように言われてたっけか。ええと、どうしたっけ? 夕食の買い物に行く時に道具屋に寄って、そこでとびっきりの美女に出会って、それでご挨拶なんてしてたらあっという間に時間が無くなって……そうそう、あんまり遅くなるとジェンドに怒られると思って急いで帰ってきたんじゃないか。こうやって見ると、俺ってばつくづく尻に敷かれてるよなって、買うの忘れたじゃないかっ!!
冷や汗がタラリと流れ落ちて、再び軽薄な笑みを浮かべた俺は、わざとらしい笑い声を漏らしながら彼女の方に視線を向けた。
「あはは……買ってくるの忘れちゃった」
みるみるうちにジェンドの顔が鬼の形相に変わっていく。いや、何もそんな顔までしなくてもいいじゃないか。ああもう、眉間にそんな皺寄せて、牙みたいに八重歯剥き出しにしちゃって、それじゃホントに鬼だぞ!?
「忘れた……だと?」
「あ……ははっ」
「笑うんじゃないっ!!」
「わ、悪かったって」
「もう店だって閉まってるんだぞ!? これからどうするつもりだ!! どうせ、そこらの女にでも見とれて忘れて帰ったんだろうが!!」
「ギクッ」
「図星か」
「ギクギク……じゃくて! やだなぁ、俺がそんな事すると思うかい? マイハニー」
「何がマイハニーだ! 気持ち悪いっ!!」
「な、何もそこまで……」
「今夜の事は私だって色々考えてたんだ。なのに、お前ってヤツは」
そこまで言った所でフッと蝋燭の火が消えた。
一瞬ほど視界が真っ暗になる。それから少しずつ目が慣れていって、青みがかった薄闇の中に彼女の姿が浮かび上がってきた。鬼のような形相はなりを潜めていたが、いかにも不機嫌そうな顔をしているのには変わりなかった。触らぬ神に祟りなしとはよく言ったものだが、先程言いかけていた言葉も気になって、俺はゆっくりと彼女の方に近づいていった。
「なあ、まだ怒ってるのか?」
いかにも怒った風な肩を押し込めるように、両の手をそっと肩の上に乗せる。彼女は、さもうざったいように頭を一振りして、でもそれ以上は何をするわけでもなかった。
「ホント、ちょっと挨拶してただけだって」
「……私が妬いてるとでも思ってるのか?」
「違うのか?」
「ハッ、ろくに口説き落とせた事なんて無いくせによく言う」
「ひっでぇ」
「それじゃ、今まで成功した事があるのか?」
「あ、あるさっ。一度くらい」
「いつ、どこで、誰とだ?」
「いや……その……だから……」
「ああん? はっきり言ってみろよ、ほら」
「……え」
「聞こえない」
「嘘付け、聞こえてるくせに」
「ホントに聞こえなかったんだよ。ほら、もう一度言ってみろよ」
「だから、お前だっての!」
触れていた肩が小刻みに震え始める。それはすぐさま全身に広がっていって、まるで涙を堪えているようにすら見えたのだ。もしかして嬉しくて泣いてるとか、そういう事なのだろうか? だったらいいけど、男として女を泣かせるのはやはりーー
「ふふっ……くくく……」
「え……?」
「あっはっはっはっは! ほら見ろ、言った通りじゃないか」
少しだけムカッときたけど、いや、正直結構ムカついたけど! とりあえず文句を言える立場にはないから、おとなしく黙っている事にした。それにしてもジェンドのヤツ、そんなに笑う事もないじゃないか。まったく、そんなモテない男に惚れたのはどこのどいつだっての!
「うるさいうるさいっ! 何もそこまで笑わなくてもいいだろ」
「ふんっ、自業自得だろ」
「いやまあ、そうだけどさ」
「だったら、黙って笑われてろ」
「へいへい……」
その瞬間だった。窓の外がピカッと光って、直後、空を切り裂いてしまうほどの轟音が鳴り響いたのだ。
反射的に彼女の耳がピクッと震える。すぐさま身体が強張っていって、それは肩に触れた手からも明らかに感じ取る事が出来た。
「もしかして雷弱いとか?」
ますます肩の筋肉が強張っていく。どうやら図星だったらしい。こいつが雷に弱いだなんて知らなかったけど、こうやって見てみるとなかなか可愛らしいじゃないか。もっとも、本人にそんな事を言った日には八つ裂きにされようものだろうけど。
「そ……そんなわけあるかっ!」
「上擦ってるうわずってる」
「う、うるさいっ!!」
彼女の声と重なるようにして雷鳴が響き渡った。長く尖った耳が再び震える。それから自らを抱きしめるように肩を抱いて、「何でもないっ!」と吐き捨てるように言ってみせた。
そんな彼女を目の当たりにして、ちょっとばかし悪戯でもしてやろうかという気持ちがわき起こってきた。さっきあれほどバカにしてくれたんだから、少しくらいは構わないよな。
「蝋燭」
「え……」
「蝋燭探してくるよ。もしかしたら一本くらい残ってるかもしんないし」
「あ、でも昼に私が見てみたから」
「見落としたって事も考えられるだろ?」
「そうだけど……でも」
「そんなに心配しないでも、すぐに帰ってくるって」
返事は無かった。その意味をもっと早く察するべきだったのだ。彼女の肩をポンッと叩いた俺は、口元が緩んでいくのを何とか我慢しながら、しばらく戸棚を開けたり引き出しの中を探したりするふりをしていた。その間も何度と無く雷の音が鳴り響いて、その度に、噛み殺した彼女の声が微かに聞こえてきていた。そしてふとテーブルの方に振り返った瞬間、稲光が彼女の顔を照らして、そこに浮かび上がった恐怖の色をはっきりと見てしまったのだ。もうくたびれきってしまったのだろうか。ピンと張っていた耳はウサギのようにへにゃっとなって、剥き出しになった八重歯は痛々しいほど唇に食い込んでいた。
ハッとした俺は、急いで彼女の元へ戻っていこうとしたが、すんでの所でそれを思いとどまった。この期に及んで意地悪をしようと思ったわけではない。そうではなくて、今俺がそうしたら、きっと彼女は気付いてしまうから。絶対に見せたくないような顔を俺が見てしまった事に。それだけは何とか避けたかった。
「んーーやっぱ無いなぁ」
「だからそう言っただろうが……さっさと戻ってこい。そんなトコうろちょろしてたら転んでケガするぞ。手当てするのは私になるんだから、余計な面倒かけさせるな」
思わずクスリと笑ってしまった。いかにも彼女らしい言い回しじゃないか。本当は傍にいて欲しいくせに、そうと言い出せないから、わざわざ悪態をついて。ホント、こういう素直じゃないところが好きなんだよなぁ。ムキになってるトコとか、正直可愛くて仕方がない。そんな事を考えながら、ゆっくりと彼女の方に歩いていった。
「ツレない事言うなよ。ちょっと手当てするくらい、減るもんじゃなし」
「減る」
「何が?」
「私が……元気じゃなくなる」
彼女が本音を出した事にちょっぴり驚きつつ、縮こまったその身体を後ろからそっと抱きしめてやった。
「そりゃ大変だ」
「そうだろ?」
「お前が元気なくなったら、俺までしょんぼりしちゃうよ」
少しふざけた風に言いながら、柔らかそうな耳にそっと唇をつけた。彼女は身体をブルッと震わせ、その唇からは甘ったるい声が微かに零れ落ちる。
「何て声出してるんだよ」
「ふんっ、そんな事ばっか考えやがって……これだから男ってヤツは」
「でもお前だって嫌いじゃないだろ?」
「そんな風に言われるのは嫌いだ」
「ははっ、ごめんごめん」
もう一度だけ耳に口づけする。それから耳に頬を擦り寄せて、幾分力が抜けた彼女の身体をギュッと抱きしめた。
「少し寒いな。布団か何か取ってきてくれないか?」
「まだ寝ないのか?」
「寝ない」
「解ったよ。ちょっと待ってろよな」
寝室まで行った俺は、大きめの布団をひったくるようにして取ると、足早に彼女の元へと戻っていった。
彼女は窓際に立って、外の景色を眺めているようだった。雷はすっかり遠のいてしまったようで、窓の外には嵐の後の静けさが訪れていた。
無言で佇んでいる彼女の肩に布団を掛けてやる。それを自分で羽織り直すと、彼女はゆっくりと振り返って、俺の胸にそっと手を触れた。
「なあ」
そう呼びかけると、彼女は俺を見上げて、微かに声を漏らしてみせた。
「さっき『色々考えてた』って言ってたよな? 一体何考えてたんだ?」
答えたくなさげに唇を突き出す彼女。視線を右上に持って行ったり下に持って行ったり、いかにも焦らしている風だ。
「まだ怒ってる?」
「別に怒ってなんか無い。ただ、ほら、今夜は特別な夜なんだろ? だから、さ」
「ごめんな、台無しにしちゃって」
「責任とれ」
「どうやって?」
「……鈍いヤツ」
俺の胸元をグッと握りしめて、それ以上何も言わずに目を閉じてしまった。こいつらしいな、そう思いながら髪の毛を優しく撫でてやる。小さな顎に手を触れ、おもむろに唇を重ねた。啄むような口づけを幾度となく繰り返していく。唇が触れあうたび、胸のあたりに熱いものが込み上げてくる。それは体中に広がっていって、あっという間に理性のたがを溶かしてしまう。
これ以上続けたら抑えが効かないと思って、せっかくの素敵な雰囲気を壊してしまうのではないかと思って、おでこに軽くキスをした俺は彼女の身体を抱き寄せていた。
彼女の爪が痛いほど胸に食い込んでいた。どうして、と言わんばかりに。いや、それは都合のいい男の解釈か。そうやっていつも無理させてるんだから、今日くらいは俺が我慢してやらないと。そんな風に珍しく殊勝な事を考えてみる。しかし、次に彼女の口から出てきた言葉は、全く予想だにしていないものだったのだ。
「どうしてやめる?」
一瞬ほど刻が止まった。バレてる……そう思うと何ともいえずバツが悪くて、恥ずかしくて。何とか言い繕う事が出来ないかと言葉を探ってみるが、出てくるのはロクでもない科白ばかりだ。
「何の事?」
「誤魔化すんじゃない。私が解らないとでも思ったか?」
「何言ってるんだよ、お前の勘違いだってば。俺はそんな……」
「私は……嫌じゃないんだぞ? だから、その、別に我慢しなくてもだな……いや、ホントにしたくないならいいんだけど」
言葉を遮るように肩を掴む。彼女の身体をゆっくりと離して、そして口元に微かな笑みを浮かべて見せた。
どれだけの時間が経ったのだろう。窓からは一際強い月明かりが差し込んで、部屋を蒼白の色に染め上げていた。俺達は服を着るのも億劫になって、窓の下に座り込んだまま、二人して布団にくるまっていた。
「お前……見てただろ?」
そう言って気怠い静寂を破ったのはジェンドだった。一体何を言ってるのだろうと思って、酸欠になりかけていた頭を強引に働かせてみる。だけど、答えはなかなかでてこない。
「見てたって、何を?」
「別に、私は雷が苦手な訳じゃないからな」
なるほど、さっきの事を気にしていたのか。きっと、こいつには俺が仕組んだ事も、ずっと見ていた事もお見通しだったのだろう。それがどうしても気になって、こうやってどうにかして誤解ーーかどうかは疑問だがーーを解こうとしているのだ。
「からかったりして悪かったよ。ついつい調子に乗っちゃってさ」
「私は何ともなかったんだから、謝る必要なんてどこにもない」
「なあ、ジェンド」
「何だ?」
「俺、これでも結構嬉しいんだぜ? 今まで知らなかったお前の事を知る事が出来て。別に、何を知ったからってお前の事嫌いになんてならないさ」
「私はそんな事を心配している訳じゃない。そんな器の小さい男ならとっくに切ってる」
「うわ……物騒な事言うなよな」
「誰が剣で斬ると言った、誰が!」
「はいはい、じゃあ何でなんだ?」
「……お前を喜ばせてやるなんて癪だからな」
答えを考えていたのだろうか。少しだけ間をおいた彼女は、妙に強がった風な声でそう言ってみせた。思わず全身から力が抜けてしまって、呆れた風に溜息を漏らしてしまう俺。まあ大した意味など無いのだろうが、そうはっきり言われるとがっくりこない事もない。そんな俺の様子を察したのか、彼女は俺の掌にそっと手を重ねると、身体を傾けて肩に頭を預けてきた。それから指を絡めて、意味ありげに親指で俺の手をなぞってみせた。
そう、これが彼女なりの「ごめんなさい」なのだ。ちょっと行き過ぎたかな、と思いつつも謝れない時は、いつもこんな風にしてくる。珈琲を入れてくれたり、意味もなく寄り添ってきたり、何か俺の喜ぶような事をさりげなくやってみせる。こんな彼女がたまらなく可愛く思えるとは、俺も相当重傷だと認めざるを得ない。
「お前ってやっぱ」
そこまで言って言葉を止めた。
彼女の真似をして「可愛くないよな」と言おうとしたけれど、そんな思ってもいない事を言える筈もなく、かと言って「可愛いよ」なんて言って喜ぶとも思えないから、結局いつもの通りの言葉を続ける事にした。
「俺の事、よく解ってるよな」
少しだけ屈折した愛情表現。だけれど、二人にだけ通じる言葉も悪くないかもしれない。端から見れば曲がりくねっていても、俺達にとっては頑ななまでに真っ直ぐなのだから。
この後、そのまま眠ってしまった二人が仲良く風邪を引いた事は言うまでもない。 |
fin
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