love letter vol.1

 肌を打つ雨が体温を奪っていく。前髪が額に張り付いて、雨水は視界を遮るように流れ落ち、目の前の景色は白く霞んで見える。俺は傘もささず、雨宿りもせずに、ただがむしゃらに走り続けている。一秒でも早く、彼女の側に行きたかった。こんなずぶ濡れの姿を見たらきっと彼女は怒るだろうけれど、それでも、傘をさす時間すら勿体なかったのだ。

 仕事になど行かなければ良かった。それなりに蓄えはあったし、しばらく休んだ所で生活に支障が出る事もなかった。だけれど、彼女はそれを許しはしなかった。きっと、自分の為に生活が変わってしまう事を嫌っていたのだろう。それから、俺の将来について心配していたに違いなかった。そんなものどうだっていいのに、彼女と一緒にいられる時間が何より大切なのに、そのような「甘え」を彼女は許しはしなかった。それが彼女にとって精一杯の愛情表現だと痛いほど解るから、俺には何も言う事は出来なかった。

「ただいま!」
 家まで戻ってきた俺は、精一杯明るい声を張り上げ、威勢良くドアを開け放った。泥で汚れたブーツを脱ぎ捨て、寝室へと急いで向かっていく。いつの間にか太陽は沈んでしまっていたらしい。灯りのない廊下はうっすらと闇に包まれ、積み上げられた食材だの箱だのにつまずかないよう、それなりに注意しながら足を進めていく。靴下までぐっしょり濡れていたらしく、妙に水っぽい足音が廊下中に鳴り響いていた。
「帰ったよ、ジェンド!」
 ドアにぶつかる寸前で何とか踏みとどまって、もぎ取るようにドアノブを捻った俺は、彼女の待つ部屋へと飛び込んでいった。
「おかえり」
 ずっと起きていたのだろうか。ベッドの上に座った彼女は、腰の辺りまで布団をおろして、窓の外を見つめていた顔をゆっくりとこちらに向けてくれた。こう言ったらきっと怒るだろうけど、彼女には似つかわしくないほど穏やかな声と顔に、思わずほっと胸を撫で下ろしてしまう。それでも、ずっと酷使していた心臓は激しく波打ったままだ。荒い息を何とか隠すよう、一度だけ深く息を飲み込んだ俺は、彼女の方へと歩いていった。
「今日はどう?」
 彼女の口の端が微かに緩む。そんな表情を浮かべるのも、何となく彼女には似つかわしくないように思う。だって、普段の彼女は何となく不機嫌そうな顔をしているから。実際にはそうではないのだろうけど、きっと、ポジティブな感情を表に出すのに慣れていないのだと思う。出会った時からずっと。だから、こういう変化は望ましい事なのだろうと思う。だけれど、そんな彼女を見る度、俺はつかみ所のない不安に苛まれてしまう。手に入れた大切な何かがすり抜けていくような、何とも形容しがたい嫌な感覚だ。
「変わりはない。それより」
「ん?」
「何なんだ、その濡れ鼠みたいな格好は」
 やっぱり来たか、と思いながら苦笑を浮かべる。そう言えば、今日は言い訳を考えてなかったっけか。
「あはは、傘持ってくのを忘れちゃってさ。だから急いで帰ってきたんだ」
「嘘つけ」
「どうして?」
「傘がなかった。ちゃんと持って行ったんだろ?」
「あ……何で知ってるんだ? 外に出たの?」
「訊いてるのは私だ」
「いいから、答えろよ」
「……ちょっと片づけものをしてただけだ」
 俯きながら答える彼女。怒られると解っていたのだろう。それに抗うだけの力もないという事にも。
「あれだけ休んでるように言ったのに……何でそんな事するんだよ」
「別に、私は」
「お医者さんだって、安静にしていないといけないって。そうじゃないと」
 ハッとした俺は、そこで無理矢理言葉を切った。それ以上続けるわけにはいかなかった。口に出してしまえば、それが本当にそうなってしまうような気がして。そうじゃなくても、おいそれと言って良い事ではないのだから。
「お前に言われなくても解ってる。自分の世話くらい私にだって出来るさ。そんな事より、さっさと服着替えてきたらどうだ。そのままじゃ風邪引くぞ? お前が倒れても、私には何もしてやる事が出来ないんだからな」
 とても哀しげな声をしていた。そんな風にさせてしまった自分が憎たらしくて。後悔がもくもくと沸き起こってきて。俺はグッと拳を握りしめると、彼女に背を向け、クローゼットの方にのろのろと歩いていった。


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n o t e
 最後まで読んで頂き、ありがとうございました! うちの小説は一章が長すぎるというご意見を頂きましたので、今回は短めに行こうと思います。出来る限り毎日更新を目指しますが、都合によって無理な事もあると思いますので、その点ご理解願います。タイトル等は完結時にアップします。また、この小説は最終章アップまでWeb竜宝の方に更新履歴を載せません(検索エンジンを毎日更新するのは問題なので)。当サイトトップの履歴をご覧下さい。

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