薄暗い部屋の中に微かな雨音が鳴り響いている。
街の輪郭をなぞる小気味よい水の音だ。その音に耳を傾けながら、私はベッドに横たわっていた。
胸の辺りまで引き上げた布団を握りしめる。それから、虚ろな視線を天井に向けた。
少しだけ混乱している。胸の奥で、雑多な感情が底流をしている。激しい風雨に遭って、今にも氾濫しかけた河の如くーー清らかな水流は舞い上がった土に穢され、そして微かな黄土色に染まっていく。まるでコーヒーに落としたミルクの如く、ゆっくりと混ざり合っていく。
「どうして」
気がついたらそのような言葉を発していた。どうしてーーそれは彼自身に向けられたものではない。どうしてこのようになってしまったのだろうという、自分自身に対する問いかけだった。
カイや十六夜と出会って、一緒に旅を始めて、はじめはウンザリするような事ばかりだったのだ。二人のやることなすことが気に入らなかった。だから、私は事ある毎に反抗していた。周りにいる誰をも拒絶し、傷つけ、自分の殻に閉じこもって。
そんな私を、彼らは決して見捨てようとはしなかった。決して私の手を離しはしなかったのだ。頑なだった私の心は徐々に解けていって、その時に気づいたのだ。私は一人ではないと。共に手を取るべき仲間がいるのだと。彼らは本当の意味での強さを教えてくれた。
だけれど、独りで無くなった瞬間に私は弱さを知った。独りになることの怖さ、寂しさ、そういった負の感情の芽が、心の奥底に芽生え始めたのだ。
だから、自分自身に向けた問いかけとは即ち、どうしてこのような気持ちになるのだろうということ。
彼の肌に触れた瞬間、そこに他の女の温もりを感じてしまった。香水と体液が混じり合ったような雄と雌の匂いがしていた。私たちが肌を重ねる時とは少し違う、他の雌の匂いが。
頬を叩くことも、暴言を浴びせる事も出来たはずだ。だけれど、私はそうしなかった。胸の奥底から沸き上がってくる哀しみに、体中が強張ってしまっていた。その時の私が考えていたこととは、何とか彼を繋ぎ止めたいという、ただその一念だけだった。その為だけにベッドに誘うだなんて、自分でも馬鹿げたことだと解っている。だけれど、私にはそうする他に、何も思いつきはしなかったのだ。
木が軋む音と共にドアが開いて、その一瞬、私はビクッと震えてしまった。音のした方に恐る恐る視線を向けてみる。
そこには半裸のカイが立っていた。口の端を微かに弛めて、とても穏やかな笑みを浮かべていた。
『他の女の前でも、そんな風にヘラヘラ笑っていたのか?』
喉元まで出かかった言葉を何とか飲み込む。
胸の辺りがキリキリと痛んで、彼の顔を見ているだけで吐き気がこみ上げてくるような気がした。
私の様子が違う事になど気づきもしなかったろう。ドアの傍に佇んだ優男は、「待った?」なんて当たり障りのない言葉を吐いて、ベッドの方へと近づいてきた。
胸の当たりまで引き上げていた布団をギュッと握りしめる。それから、窓の方へとゆっくり顔を背けた。
「ジェンド」
嫌に甘ったるい声だった。
彼はベッドに腰を下ろして、その瞬間、背中の辺りが沈んでいった。
窓の方に傾けていた体が彼の方へと転がっていく。不意に視線が絡まり合って、彼はフッと優しい笑みを浮かべてみせた。まるで子供をあやすように頭を撫でて、体を屈めながら顔を近づけてきた。
何をするつもりかくらい解っていたし、それに抗うつもりもさらさら無かった。だから躊躇いがちに目を閉じ、彼がキスしてくるのをじっと待っていたのだ。
鼻の辺りに熱い吐息がかかって、そのすぐ後に、私たちは唇を重ねていた。時間にすればほんの一瞬程度だったろう。彼はすぐ傍に体を横たえると、左手でそっと頬に触れてきた。人差し指と中指でまさぐるように肌をなぞっていく。頬から耳へ、そして首筋へーーゾクゾクするような快感が肌を駆け抜けていく。
「外すよ」
少しだけ掠れた声が響き渡った。
そんな事言わなくていい、そう思いながら「ああ」とだけ答える。せっかくの雰囲気を壊したくはなかった。それだけの理由だったけれど、彼に媚びている自分が何となく嫌だった。
一つ一つボタンを外していく彼。その度にブツッという音が鳴り響いて、胸元が露わになっていく。肌に絡まりついてくるひんやりとした空気。彼に見られているという緊張感。その全てがプレッシャーのようにのしかかってくる。
どれだけ肌を重ねても、この瞬間だけは慣れることが出来ない。服に守られているわけでもない、裸になっているわけでもない、この中途半端な感じが何とも言えず恥ずかしいのだ。それを悟ってか、彼はいつものように服の中へと手を忍ばせてくる。口元にニヤリと笑みを浮かべながら。
いつもの私ならば受け入れていただろう。だけれど、今日はそのような気分になれなかったのだ。彼の手を取った私は、そのまま彼の上に覆い被さってやった。啄むような口づけを何度か繰り返して、それから、首筋に舌を這わせていく。
その行為に没頭しながら、自分は何をしているのだろうと思った。私は、肌を重ねることで、彼を繋ぎ止めようとしている。彼が好きだから抱かれているのでなく、彼との関係を続ける為に抱かれている。それがたまらなく情けなかった。私にとって大切なのは、彼などではなく、彼と繋がっている事なのだ。
自分でも馬鹿げていると思う。
だけれど、これが私にとっての全てだった。
「入れるぞ」
有無を言わせず、彼の物を自分の内に受け入れる。彼が私の中に入ってくる度、心も体も苦しくてたまらないのに、私は腰をふらずにはいられない。彼を繋ぎ止めるために。この関係を少しでも長く続けるために。
そして彼自身を最奥で迎えた瞬間、薄れゆく意識の中で、私は幸せに似た感覚を味わっていてた。 |
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to be continued...
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