Zyend
雨音が聞こえる。もう随分長い間、この音を聞いていた気がする。
かなり激しく降っているのだろうか。屋根や地面を打つ水の音は妙に乾いて聞こえた。
矛盾した表現には違いない。それに気付かぬほど思考力を欠いていたわけでもない。だけれど、それ以外にうまい言葉が見つからなかった。
唇を噛み締める。右手を胸に押し当て、ぐっと躯を縮こまらせた。
またか、と吐き捨てるように呟いた。
胸の辺りに鈍い痛みが渦巻いている。ゆっくりと肉が剔られていくような痛み。それから、躯の末端から徐々に冷たくなっていくのが解った。指、掌、腕ーー順を追うように感覚が鈍くなって、ついには、痛みの中心こそが躯の全てではないかと思えてくる。
一体私の躯はどうしてしまったのだろう。今まで気付かないふりをしていた。考えないようにしていた。だけれど、あと少ししたら「彼」が戻ってくるのだ。こんな状態で迎えるわけにはいかない。
意を決した私はゆっくりと躯を横に倒した。これでもかと言うほど胸を強く押さえ、布団から這い出すようにしてベッドから起きあがった。幾度か躯がよろめいたが、それでも、歩けないほどのものではなかった。
「くそっ……」
奥歯をギリッと噛み締める。思いのままにならない躯に、悪態の一つも吐かずにはいられなかったのだ。
そんな私をあざ笑うように、胸に鋭い痛みが走り抜けた。足ががくがくと震え、一瞬にして背筋が冷たくなってしまう。どうしよう、どうしよう、目を閉じる
と不安がもくもくとわき起こってくる。いや、不安と言うよりも焦りに近い感覚かもしれない。それを振り切るように、益体のない足を何とか動かして、隣にあ
る洗面所までのろのろと歩いていった。
随分と長い時間歩いていたような気がする。
気が付いた時には洗面所に着いていて、私は鏡の前に呆然と立ちつくしていた。不思議と痛みは消えて無くなっていた。
ホッといきをつきながら胸に手を当てた。何度かさすってみるが、やはり痛みらしい痛みは何も無い。一体どうしたのだろう。そう思いながら、胸のボタンを一つずつ外していった。
プチンという音と共に露わになっていく褐色の肌。どこにもおかしいところはない。そう思った瞬間、谷間の辺りが何やら黒く染まっている事に気が付いた。
きっと影に違いない、と自分に言い聞かせながら、胸の辺りの生地をギュッと握りしめた。服を掴んだまま、親指だけでどんどんボタンを外していく。そのスピードが少しずつ速くなっていくのが自分でも解った。
全てのボタンを外し終わって、私はゴクリと唾を飲み込んだ。何かあったらどうしよう。そのような事を思いながら、ゆっくりと服をはだけていく。
「え……」
思わず声を漏らしてしまった。
ふっくらとした喉から胸にかけてはなだらかな曲線を描き、鎖骨の辺りには控えめな窪みが出来ている。その下には柔らかい桃のような乳房が、いつもと変わることなくそこにあった。
だが、私は見つけてしまったのだ。両方の乳房を覆うようにして、魔法陣のような黒いシミが浮かび上がっているのを。
「どうして」
呟いた瞬間にドアが開く音がした。
私は反射的にドアを閉めると、残りの服を一気に脱ぎ捨て、浴槽の中に飛び込んでいった。
「ただいまー」
それは最愛の人の声に違いなかった。
奥歯をきつく噛み締める。喉の奥がカラカラになっていた。焦りと不安の入り交じった嫌な感覚が胸をざわつかせる。どうしよう、どうしよう、と胸の中で呟きながら、唇は「ごめん」と言葉を発していた。
「い、今風呂に入ってるんだ。だから、だからちょっと待っててくれないか?」
彼が興味をもちませんように。それだけを心の中で祈り続けていた。間違っても「俺も」なんて言って入ってきて貰っては困るのだ。彼ならやりかねないだけに、私の不安は沈黙が続くと共にムクムクと大きくなっていく。
「あれ……ジェンドいないのかな? それとも洗面所か?」
「ま、待て! 今風呂に入ってるから、もうちょっと待ってろ。部屋でゆっくりしてて」
我ながら酷い台詞回しだと思う。だけれど、彼は何の疑問も抱かなかったらしく、「ああ」と言うと、部屋の奥に行ってしまったようだった。
私は温くなったお湯の中に口までつかると、目を閉じて静かに溜息を吐いた。
ブクブクという泡の音だけが、やけに寂しく響き渡っていた。 |
to be continued...
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