voice

 それまでの陽気な気分は難破船に足を踏み入れた瞬間に消え去ってしまった。見渡す限りの悲惨な光景に思わず唾を飲み込んでしまう。至る所に紙が散乱して、壁には抉り取ったような痕が、機械類も見渡す限り完全に壊れているようだった。殆どのモニターが割れて、寸断された配線からは火花が散っている。
「この中に……生存者がいるのか?」
 もっと不思議な事は、この状態にあって重力と酸素がきちんと維持されているという事だった。何度空気を調べてみても異常は見あたらない。という事は見た目よりも損傷は軽微なのだろうか? とにかく、今は生存者を捜す方が先決だ。そう考えた俺は、先ほどAIが見せてくれた地図の赤い点が表示されていた部屋へと足を進めていった。

 歩き回ってみて解ったのだが、船内の破損状況はどこも同じようなものだった。生々しい傷痕を見る度にこの船が未だ動力を維持して航行しているという事実を疑いたくなってしまう。
「誰かいるか? 入るぞ!」
 そう宣告して、一番奥まった所にある部屋の扉を開けた。
 他と何ら変わりない、電気もついていない普通の寝室だった。特に目立った損傷は見受けられないが、薄暗くて奥まで見る事が出来ないのでよく解らない。
 ゴクリと唾を飲み込む。心臓は早鐘のように波打って、俺は本能的に並々ならぬ「何か」を感じていた。その正体は解らない。それでも、これまで数多くの修羅場をくぐってきた俺の勘に間違いは無いはずだ。
「−−!?」
 空気がフッと揺れた。音はなかった。だが何かが動いた筈だ。反射的に銃を抜いたと同時に、闇の奥からも微かに金属が軋む音が聞こえてくる。
「「誰だ!!」」
 二つの声が重なった。この耳に届いてきた声は確かに女のそれだった。俺は銃のポインタを外さずにジリジリと距離を詰めていくと、相手の注意を逸らす為に話しかける事にした。いくら助けに来たとはいえ撃たれない保証などないのだ。それならばこちらも手を抜くわけにはいかなかった。
「俺はカイ。この船からの救難信号を受けて助けに来た。危害を加えるつもりはない」
「救難信号……だと?私はそのようなものを出した覚えはないぞ!」
「確かに受け取った。だからアニバピオに向かうコースを外れてここまで来たんだ。誰が好き好んでこんな辺境まで来ると思う?」
「んな事を私が知るわけないだろうが!」
 少しずつ暗闇に目が慣れて、彼女の姿がうっすらではあるが見えるようになってきた。どうやらベッドに横たわっているらしい彼女は無理な姿勢で上体を起こしてこちらに銃を向けているようだった。これなら何とか隙を見いだす事が出来れば押さえつける事も可能だろう。
「じゃあこの船の有様はどういう事だ? 見たところ生命維持機構以外はやられてるんじゃないのか?」
「お前の知った事じゃない!」
「それがわざわざ助けに来てくれた人間に言う言葉かよ? 俺はただお前を助けたいだけだ。このままここに居続けたらどうなるか……」
「うるさいっ!!」
 俺の言葉を聞いた直後、彼女は明らかに動揺を露わにした。張り上げた声とは裏腹に銃を握るては微かに震えて、この一瞬ならば懐にはいる事が出来ると確信できた。俺は身体を少しだけ横にずらすと、そこから身体を低くしながら彼女の両腕をグイと握りしめた。
パンッ
 乾いた銃声が響き渡る。しかし銃弾は辛うじて俺の身体の横をすり抜けていった。そして腕をつかんだまま彼女の上に覆い被さると、怯んだ隙をついて銃をもぎとって床に投げつけてやった。
「貴様ぁ!!!」
「いいから落ち着いて頭を冷やせ!!!! 俺はお前を助けに来たんだ! いいか、俺はお前を助けに来た! お前を襲って何の得になる?」
「どうして……人間なんか信用できるものか!」
 握りしめた腕からスッと力が抜けた。バランスを崩した俺はまともに彼女の上に倒れ込んでしまって、反射的につむった目を開いた瞬間に飛び込んできたその顔を見てハッと息を飲んでしまった。
「え……」
 暗闇の中でもはっきりそれと解る深紅の瞳と紫の髪。目の前の彼女は俺が長い間思い焦がれてきた彼女とそっくりで、それでもあの彼女であるはずがなくて。記憶の中の彼女と目の前の彼女を比べながら、頭の中は酷く混乱していた。
 対する彼女は顔を横に向けたまま微かに震えていた。犬歯のような八重歯がぷっくりと膨らんだ下唇に食い込んで、酷く荒い息づかいが耳についた。依然として身体の震えもおさまっていないようだった。
「あ……悪かったよ、乱暴するつもりはなかったんだ。ただ君が銃を持っていたから……」
「…………」
「いいか、三つ数えたらこの手を離すから暴れるんじゃないぞ? いいな? 1……2……3」
 合図と同時に固く握りしめた手を離した。出来るだけ刺激しないようにゆっくりだ。そのまま身体をスライドさせてベッドから降りる。しかし依然として彼女が動き出す気配はない。
 どうしたものか、と少し考えてはいたが良いアイデアがなかなか浮かんでこなかった。何度か話しかけようと試みてはみたけれど、何の反応も返ってはこない。そうこうしているうちに、俺は不意に宇宙服の非常用具入れの中に小型照明が入っていた事を思い出した。こんな薄暗い部屋の中ではますます気も滅入ってしまうというものだ。我ながら良いアイデアだと思ってライトをつけると、ベッドの脇にそっと置いてやった。
「やめろっ!」
 耳をつんざくような叫び声を上げたかと思うと、彼女はそのまま両手で頭を押さえ込んでうずくまってしまった。
「ただの照明だ。ほら、こっちを向いて話を聞いてくれないか? ここにいたら危険だ。早く逃げた方が良い」
「私の顔を見るんじゃない!!」
「君の顔……? さっき見たけど、どこも変じゃなかった。いや、むしろもの凄く綺麗−−」
「やめてくれ……頼むから」
「……解ったよ。今この船は俺の船とドッキングしてる。ハッチの鍵は開けておくから、だから、気が変わったらいつでもいいから来てくれ。いいな?」
 応えは無かった。このままここにいても埒があかないだろうし、生命維持機構さえ生きていれば今すぐどうにかなったりはしないだろうから、とりあえずは彼女をここに残して一端引くのがベストだと思った。
 部屋を出る前にちらりと振り返ってみたけれど、やはり彼女は怯えた子猫のように身体を縮こまらせたままだった。
 
 コックピットに戻ってきた俺は、それからしばらく窓の外に鎮座する彼女の船をじっと見つめていた。今さっきの不可思議な出来事を思い出すだけで胸がキュッと締め付けられるような思いがした。
 起こりうるはずのない現実。俺を唯一満たしてくれるあの視線。目の前のあの船は本当に存在するのか?彼女は……本物なのか?もしかしてシミュレーターの中に入ったまま、夢の世界にいる事すら忘れてしまっているのではないのか? いや……違う、あの感覚は現実だった。シミュレーターならあそこまでリアルに再現できる筈がない。コーヒーに垂らしたミルクのように、ほのかに甘い混乱はほろ苦い現実の中へととけ込んでいく。そして少しずつ茶色の現実ができあがっていくのだ。
「もう一度走査してくれないか?」
『了解しました。生体走査開始します。……終了しました。有機体一体を確認』
「有機体……か。あの船のシステムはどうなってる? 走査できるか?」
『可能です。実行しますか?』
「ああ、頼む」
『了解しました。捜査開始します。……終了しました。生命維持機構、重力制御装置は正常に機能。船体制御システムは停止。末端へのエネルギー供給は途絶えています』
「このままだとどれくらいもつ?」
『生命維持システム自体に問題はありませんので、酸素とエネルギー残量によるかと』
「そうか……この船からバイパスでエネルギーを供給する事は?」
『可能です。ただし制御システムが不安定ですので、一部制御が困難になる可能性があります』
「たとえば?」
『コントロールパネルからの入力を受け付けない等が考えられます』
「解った。バイパスを繋いでくれ。ただしアニバピオまでのエネルギーは残しておいてくれ」
『了解しました』
 AIの声が途切れると同時に、目の前の船の窓に一斉に明かりが灯った。一部暗いままの所もあるが、そこは断線しているという事なのだろう。
「もう一度あっちに行ってくるから、その間この船を頼んだぞ」
『了解しました。オートパイロット開始します』

to be tontinued...


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