くっ……息が詰まりそうだ……
皆の視線が俺の存在を否定する
この国にいると俺は俺でなくなる
分かっていたはずなのに……受け入れたはずなのに……何故今になって…………
頭が混乱していた。
それは今までの俺なら感じ得ない感情だったはずだ。
ウィザードとして生まれた自分を押さえつけ、一クレリックとして振舞ってきた。
それなのに何故、今になって俺は己が存在を主張しようとする?
――シオン、ここでのお前は"異端"でしかない。ウィザードとしてのお前はあってはならない存在。己が存在を主張する事はあってはならない筈だ。
理性が本能を押さえ込もうとする。
しかし俺の本能は理性を駆逐するかの勢いで大きくなっていく。
何故だ……何故俺はこの圧力に耐えられなくなったんだ?
以前なら当たり前の事だった筈だ。
アイツの所為か?
お前が俺を変えようとしているのか……ウリック?
「考えても仕方がない……か」
俺は一人呟き、布団から這い出した。
微かに開けられた窓から月の光が漏れていた。
薄白い輝きを放つ光が部屋を照らしている。
緊張を孕んだ蒼白い夜が切り裂かれたような気がした。
その光を手に受けてみる。
蒼白い暗闇の中でぼうっと手が浮かびあがってくるようだ。
それは酷く幻想的に見えた。
不意に違和感をおぼえた。
いつもの自分とは違う、それでいて根幹的な部分の自分――表現のしようがないがそれが一番適切な表現だろう――を感じる。
しばらくその違和感がどこからくるものなのかを考えていた。
ウリックやレムとの旅の中で俺自身が変わったのだろうか?
――いや、違う。
俺は何一つ変わってなどいない。
ただ、自分自身を取り戻しただけだ。
そう考えると答えが浮かび上がってくるような気がした。
それはあたかもこの月光のように、淡い光のように。
それは隔壁を失った自分の姿だった。
アドビスにいた頃、俺に要求された事はただひとつ。
"皆が理想とする王子を演じる事"
それが故に俺は自分を押さえ込まなくてはいけなかった。
その為に俺がとった手段――それは己が存在を隔壁の中に仕舞い込み、皆が理想とする"シオン王子"の下位存在とする事だった。
下位存在としての自我は決して外に出ることを許されない。
いつも皆の理想とする王子を演じねばならないのだ。
それがどれだけ苦痛を伴うものか、ウリックと出会うまで忘れていた。
苦しさを知った今、俺は隔壁の存在を拒んだ。
自分自身がありのままである事を選んだ。
それが俺の感じた違和の正体だった。
「――それは本当に正しいことなのか」
呟いてみる。
しかし俺のか細い声はただ蒼白い夜と同化するだけだった。
冷たい感覚が頬をかする。
どうやら風が出てきたらしい。
俺は寝る前まで着ていたガウンを肩にかけた。
「己が存在を否定する事――即ちそれは死を意味する、か」
昔読んだ本の一説にそう書いてあった。
そのときの俺は幼く、その言葉を理解するには至らなかった。
それに、それを理解することができたとして、隔壁がそうする事を拒んだに違いない。
「結局はその堂堂巡りだな」
俺は一人ごちた。
結局、その後再びベッドにもぐりこんだが眠ることができなかった。
一度何かを考え出すとずっと考えつづける、というのは俺の性分らしい。
こうなると朝まで眠れはしないだろう。
俺はそう思い、気分転換にバルコニーへいく事にした。
城内は静まり返っていた。
普段から賑わうような所ではないが、それにしても全てが静まり返っていた。
その静寂を俺が乱す。
緊張した空気を切り、足早に目的の場所へと向かう。
そこは俺の部屋からさほど離れてはいない。
せいぜい20メートルといったところだろう。
目の前の絨毯が淡く光っている。
バルコニーから漏れてきた光の所為だ。
しかしその中には黒い影が混ざっていた。
「――――――」
俺は無言で影の主を凝視した。
微かな光に照らされているだけなのに、その人物からは気品が感じ取られ、また着衣からも高貴な者であることがうかがえる。
彼は俺がよく知っている人間だった。
「――父上」
俺はその人物にやや近づき、抑揚を押さえた声で呟いた。
父上は突然の事で驚いたのだろう。
一瞬びくっと震え、そして俺のほうに向きかえった。
「ああ……シオンか。どうした。眠れないのか?」
月光に照らされ、陰影が濃く映し出された父上の顔は妙にげっそりとして見えた。
「ええ、なかなか寝付けなくて」
しばしの沈黙。
それを破ったのは父上だった。
「何か考え事でもしていたのか?お前は昔から何か考え出すとそれしか目に入らなかったからな」
「ええ……少しだけ」
俺がそう答えると父上は顎に手をやり、二三度手を動かして見せた。
「シオン、私に……」
そこで声が途切れた。
父上は目を瞑ると「何でもない」と付け加えた。
「そう……ですか」
抑揚のない返事をする。
微かに、そして確実に胸の痛みを感じた。
父上が言おうとしている事を、俺は知っていた筈だ。
その言葉を一方では期待し、一方では恐れている。
そして、父上が口を噤んだ途端、俺はその話題にそれ以上触れる事を避けるよう、婉曲的に示したのだ。
父上はただ息子に何かしてやりたいだけなのに、俺はそんな父上を受け入れる事ができない。
いや、自分から拒否しているのだ。
俺は他者の介在を嫌っているのか、あるいは俺を一瞬でも自分の子ではないと思ってしまったこの哀れな父親を恨んでいるのか?
考えれば考えるほど自分が嫌になってくる。
「父上は何を?もう夜も更けようとしているこの様な時間に」
自分の言葉が妙に虚構じみて聞こえた。
きっと俺のこんな言葉が父上にとっては棘の如く感じられるのだろう、と冷静な自分が語りかけてくる。
「なに……私も目が冴えていたのでな」
俺はそれ以上の追求をしなかった。
静かに時間だけが流れていく。
ゆっくりと、そして確実に。
時間に比例するかのように互いの間の溝が広がっていくような気がした。
「それでは、私はもう寝るとするよ。シオンも早く寝たほうがいい。朝には祭礼があるからな」
何故だろうか。
父上の背中が酷く小さく見えた。
何かに怯えるように、小さく蹲った子供のように。
「父上――!!」
気がつけば父を呼び止めていた。
何か言わねばならない、そう思った。
大切な人を俺は傷つけようとしているのだ。
いや、もう既に傷つけてしまっている。
これ以上苦しめてはいけないと思った。
そしてこれ以上自分を貶めてはいけない、と。
「私は大丈夫ですから。仲間が……友達がいてくれるから」
「そう……か」
父上は微かに笑みを浮かべると、そのまま俺に背を向け歩き出した。
その時の儚げな笑みが、俺の心の中にいつまでも張り付いていた。
それからしばらくの間、俺はバルコニーに立ち竦んでいた。
いつまでもその場にいない父親の虚像を見つめていた。
決して実像になり得ない、その父親の姿はぼやけていた。
頬をかする風がまるでナイフのように感じられる。
それは父上に与えてしまった痛みを自分自身で感じているような錯覚すらおぼえさせた。
俺はただ、剥き出しになった本性を冷たい風のなかに曝していた。 |
fin
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