風が吹いていた。 サラサラという草々が風になびく音だけが耳に触れる。 見渡す限り真っ暗だった。 ただ確かに解る事――それはここがオッツ・キイムだという事。 そしてここイビスには僕とレムだけがいるという事。 「ん……ん…………」 静かなざわめきを壊す声――それは僕が望む者のそれではなく、その正体を知りながらも認めたくないと思っている。 否定が映し出す虚構の世界をただ、僕は求めていた。 「……ここは………アバスのイビス…………?」 ココロがざらついていたんだ。 僕の思考の一つ一つが歪な形をした砂粒のようだった。 僕が何かを考えようとすると、その砂粒は風に吹き飛ばされたかのように、心という狭い空間の中を飛び交い、そして互いにぶつかりあう。 その音――不協和音が僕のココロをざらつかせていた。 「そう……か。戻ってきたのね、私達。…………ね、ウリック。大丈夫?」 レムの声は震えていた。 僕の肩も震えていた。 だけど、だけど僕が震えていたのは単純に喪失の痛みから来るものじゃない。 解ってるんだ……だけどそれは………… 「うん。何とか……いけると思う」 それは僕自身に対する嫌悪感なんだ。 意識を取り戻した瞬間、全てを知った瞬間、僕は思ってしまった。 ――レムがシオンの代わりになってくれたら……って。 自分が怖くなった。 そんな風に考える自分が本当の自分じゃないみたいで、でも本当の自分な訳で…… 「はは……ははは…………」 気がついたら笑っていた。 何故だろう……何も可笑しい事なんて無いのに。 僕の心の中は空っぽで、ごちゃごちゃで、ぐるぐるで、よく解らなくて。 「ウリック、ねえ、どうしたのよ!落ち着きなさい!!」 そうだよ、落ち着かなきゃいけない。 早くいつも通りの自分に戻って、それでいつも通り「大丈夫だよ」って言わなくちゃ。
ウリック――――あなたは偽者でしょ?
頭がぐるぐるしてたけど、その声だけはしっかりと聞こえた。 偽者――その言葉は鋭い刃物の様に僕の心を切り裂いた。 ウリックは……弱いイリアを隠す為の仮面だった。 僕は兄さんを護る事の出来なかった無力な自分が許せなくて、それでイリアとしての自分を捨てたんだ。 だから、ウリックとしての僕は偽者。
あなたは誰も護る事なんて出来ない。イリアを捨ててウリックになった今でさえ、あなたはシオンを護る事が出来なかった。
そうだね……イリア、僕はシオンを助ける事なんて出来なかった。 それどころか、僕の所為でシオンは死んだんだ。 僕が無茶言ったから。 全て――僕の所為なんだ。 「はは……ははは…………わああああああああああああ!!!!!!!!!!!」 この時、僕は何故叫んだのだろう? 隣ではレムが蒼い顔をして僕を見ていた。 どうしていいか解らずにただ肩を震わせながら僕を見るレムの姿があったんだ。
もう潮時よ、ウリック。あなたは大切な人を護る為にイリアを捨てた。いえ、封印した。でも、あなたは一番大切な彼でさえ護る事が出来なかった。認めなさい。あなたは弱いのよ。
「……ごめん、レム」 静けさと共に激発した感情の波がおさまり、僕はもとの空っぽの僕に戻っていった。 そして冷静を装った瞳で僕は見た――涙を流すレムの姿を。 レムは小さな身体を上下に揺らして、嗚咽を漏らしながら泣いていた。 僕は自分の事しか考える事が出来ずに、レムの事なんて目に入っていなかった。 本当に、自分が嫌いになった。 「ごめんね、レム」 僕はもう一度自分に言い聞かせる様に呟くと、ゆっくりと両手を差し出してレムを包んだ。 僕の指がレムに触れた瞬間、彼女はびくっと震えた。 だけど少しずつ、僕に身を委ねてくれるようになった。 そしてゆっくりと、嗚咽は寝息へと変わっていった。
「僕は……その時本当に自分が嫌いになったんだ」 月明かりが照らす中、僕はその見知らぬ少女にアドビス王子の英雄詩の裏側を話していた。 少女は無言で僕の話に耳を傾けている。 年の頃は15歳くらいだろうか。 端正な顔つきでやわらかいウェーブのかかった髪が美しい少女――月明かりの下で彼女の身につけていた首飾りは妖しい輝きを放っていた。 それはこの地方で作られた独特の物だった。 イスピアと言う宝石は真中がくりぬかれており、そこに金色のチェーンが通されていた。 後で聞いた話によれば、イスピアとはこの地方の言葉で"贖罪"を意味するそうだ。 僕はこの贖罪と言う名の宝石に惹かれて、月の下で偶然会った少女に全てを打ち明けたのかもしれない。 「そう……大変だったのですね、フォルミナさん」 少女は眉間に皺を寄せ、辛そうな顔をしてそう応えた。 彼女は優しい子なんだ、そう思った。 見ず知らずの僕の話を真剣に聞いて、あたかも自分に降りかかった事のように感じてくれている。 しかしその優しさが、同時に僕には辛かった。 僕は否定して欲しかったんだ――弱い僕を、仮面をかぶった僕を、嘘の僕を! でも……それをこの少女に求めてはいけない事なんて解っている。 だから、僕は逃げるんだ。 「うん。……あ、もうこんな時間。ごめんね、こんな長くてつまらない話聞かせちゃって」 僕がそう言うと少女は微笑みながら否定してくれた。 しかしその優しさが、ナイフのように痛かった。 「じゃあ、宿に友達待たせてるから。もう行くね」 そう言うと僕は彼女に背を向け、ゆっくりと歩き出した。
今の僕を見てシオンはどう思うだろう。 だけど、僕にとっても失うものは多すぎたんだ。 それは僕という個人を変えてしまうほどに。 シオンみたいに難しい事はわからないけど……だけど感じるんだ。 僕の心の中で何かがざわついてる。 時々そんな自分を感じて背筋が冷たくなるんだ。 だから……違う自分を演じる事は僕にとって必然なんだと思う。 ――僕が僕として存在する事はあまりに辛すぎる事だから。
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fin
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