全てが終わる日に vol.1

 輝月宮<キゲツキュウ>は異様なまでの静けさに包まれていた。
 閉ざされた宮の中で口を開く者などなく、張りつめた空気の中で誰もがただひたすら地面を睨み付けているだけだった。地下特有のひんやりとした空気はすうっと肌にしみこんできて、嫌なまでに思考を冴え渡らせていく。頭の中に思い浮かぶ全てがはっきりとした輪郭をもっていて、それは次々と堆積していく。その違和感に堪えながらただ押し黙っている事が精一杯だったのだ。そして誰もが共有していたであろう緊張感は酷い圧迫感を持って身体の上にのしかかっていた。
「もはや……我々に選択の余地は無い」
 百余年もの時をその身に刻み込んだ族長は黒ずんだ肌を二三度擦ってそう呟いた。土気色の肌に無数の皺が刻み込まれ、いつもならば年を感じさせないような透き通った瞳も、今はぼんやりとうつろでどろりと濁っている。
「神門は魔力の源。それを閉じれば永久に法力は失われてしまいますぞ」
 次いでシェザードの長老であるクァバが重々しく口を開いた。
 空気が乾いている所為か、その声は妙に擦れて聞こえた。
「……致し方あるまい。彼奴等は神門を開いて流れ込んだ魔力をその身に取り込もうとしておる。そのような事にでもなればこの世界の魔力均衡が完全に崩れてしまう。再びハルマゲドンが起こるぞ」
 誰一人として異を唱える者はいない。視線だけをあちらこちらに向けながら、目に入るのは俯いたまま石像のように固まっている大人達だけ。相手が族長だからなどという理由からではない。皆もよく知っているのだ−−抗う術などないという事を。
 数世紀に渡って我々シェザード<門の守護者>とイルス<地上の民>は対立しあってきた。我々イルスの民の役目は地下深くに築かれた神門という異世界と現世<うつしよ>を分け隔てる扉を守る事。古より我々は神門から流れ込んでくる魔力を地上に渡し、皆でその力を享受してきた。もともと我々イルスはシェザードの中で特に魔力に秀でていた者であり、それ故に門の守護者としての任を与えられた筈であったのだ。しかしながら時が流れるにつれてイルスとシェザードは互いに反目するようになり、地上と地下を結ぶ唯一の扉である涅槃門<ネハンモン>も閉ざされてしまった。幼い頃から聞かされていた話では、神門の力を我が物にしようとしていた地上世界の為政者達の策略であったという。力を欲していた彼らにとって門を守る我々の存在は邪魔以外の何者でもなく、それ故に力を持って排斥しようとしたそうだ。『力の解放』などというもっともらしい大義名分を掲げながら。
 始めのうちは強力な魔力を持つ我々に軍配が上がっていたそうだ。しかし門が閉ざされるまで日常的に行われていたイルスとシェザード間の交配によって我々の血は薄まり、魔力も次第に弱くなっていった。そんな中でシェザードが作り出した兵器によって、緩やかに戦況は逆転していく事となる。
 そして今、我々はイルスの前に屈服しようとしているのだ。
「ダイク、シリア。お前達に最後の――」
 突然頭上で爆発音が鳴り響いて、族長の言葉は荒々しく途切れた。そして一瞬ほど間をおいてから、何かが裂けるような音と共に輝月窮全体がグラリと揺らいだ。
「真逆……」
 族長の表情が凍りつく。
 他の者とて例外ではなかった。顔中の筋肉を強張らせ、一方で見開いた目をギョロギョロと動かして辺りを見回しながら、何が起こったのか少しでも理解しようとしているようだった。それに答えるように、転がるようにして砂埃にまみれた兵士が輝月宮に駆け込んでくる。
「大変です!涅槃門<ネハンモン>突破されました!!」
 涅槃門突破――それはイルスの聖域侵入を意味していた。その言葉を聞いて一気に辺りがざわめきだつ。そしてゴチャゴチャに混ざり合った言の葉の中に、私は唯一透き通った声を聞いた。
「……ルシア」
 反射的に声の主へと手を伸ばす。しかし私の手はただ空を切るだけ。遅れて顔を向けた瞬間、そこには青ざめた顔で立ち竦んだダイクの姿があった。
「いかん、ダイク!お前達には大切な使命があるのだぞ!」
 目をカッと見開いた族長は平生からは想像も出来ない声で叫ぶと、手にした樫の杖をスッとダイクに向けた。
 一方のダイクは、まるで獣のような目をして族長を睨み付けている。
――ドォォォン!!!
 再び、もの凄い爆音が響き渡った。
「ダイク!!」
 反射的に叫びながら彼の服を荒々しく掴む。しかし男の力に敵う筈もなく、私の制止を振り切ったダイクはもつれかかった足を強引に動かして出口へと向かって走り出した。その姿を見ながら「チッ」と舌打ちをする。そして間髪入れずに立ち上がると、彼の椅子を乱暴にはねのけて後を追っていった。
「ダイク! シリア! 戻ってくるんじゃ!!」
 背中の向こうから族長の擦れた声が飛び込んできた。しかし足を止めるつもりはなかった。私はその声を振り切るように強く地面を蹴りながら、ただひたすら彼の背中を追って走り続けた。

 地下通路はまさに地獄絵図と呼ぶに相応しいものであった。
 埋め尽くすように築き上げられた死体の山。鮮血でぬれた壁。むせぶような血の生臭い臭い。目に飛び込んでくる全てが鮮やかに、そしてグロテスクに思考を蝕んでいく。
 ダイクはその死体の山から妹のルシアがいないか慎重に、かつ素早く調べながら先を急いで行った。
 私も息を切らせながら何とかその後を追う。しかし喉につまるような血の臭いと薄くなった空気のせいで呼吸が乱れて、思うように前へと進む事が出来ない。
「お前達、ここで何をしている? 早く神門宮へ――」
「うるさい!!」
 何とか生き延びたらしい神官の制止を乱暴に振り切ったダイクはなおも走り続けていた。
「ダイクは私が何とかします!だから早く逃げて!!」
 私は視線だけ神官に向けると、半ば叫びに近い声をあげげながらダイクを追いかけていった。

 蜘蛛の巣上に広がる地下通路の中からルシアを見つけるのは不可能にしか思えなかった。
 しかしダイクはどこかに妹の存在を感じているのだろう。脇目もふらずにどんどんと先へと進んでいく。その姿はまるでハイエナか何かのようにしか見えなかった。
 輝月宮、火焔宮<カエンキュウ>、封神宮<ホウシンキュウ>、それら涅槃門の近くにある宮を隈なく調べていく。しかしあるのは夥しい量の死体だけだ。
 私の目にも明らかに彼が憔悴しているのが見て取れた。時折唸り声を上げながら死体を調べるダイクの姿に背筋が凍るような恐怖すら感じた。
 そして今、私達は嘉月宮<カゲツキュウ>へと続く通路を走っていた。
 その先に揺らぐ微かな光を追いかけながら。

「ルシア!!」
 突然叫び声を上げたかと思うと、彼の視線の先には大きく開け放たれた嘉月宮の門と、その中にいる大勢の同族の姿があった。そして門の傍らには蔑むような視線を送るイルスの兵士が何人か立っていた。
「お兄ちゃん!?」
 はっきりそれと解るルシアの声が嘉月宮中に響き渡る。それを聞いたイルスの顔にいやらしい笑みが浮かび、奴らは手の中で弄んでいた爆弾を嘉月宮の中へと勢いよく放り投げた。
 鼓膜を破るような大きな爆発音と共に嘉月宮から炎が上がる。紅に輝く炎はあっという間に中にいた者達を飲み込んで、それでは足りないと言わんばかりに、開け放たれた扉から赤黒い花弁を勢いよく吐き出した。
 私はその凄惨な光景に戦慄しながら、ただその場に立ち竦んでいる事しかできなかった。
「ルシアァァァァァァァァァァァァ!!!!!!!!」
 亡き妹の名を呼びながら物凄いスピードでシェザードに向かっていくダイク。その手は空に印を切り、彼の後を追うように蒼白い光の残像が浮かび上がっていく。
 空間自体に強力な磁場が出来あがり、それは彼の使おうとしている法力が如何に強い物 かを如実にあらわしていた。
 同時に、それは術者に致命的な隙を作り出す諸刃の刃だ。それをイルスが見逃す筈がなかった。
 奴等は嘲るような笑みを浮かべながら腰にぶら下げた爆弾に手をやる。
「チッ……」
 私は舌打ちをすると急いで防御障壁の術を展開し始めた。
「其は光の盾!我らを護り給う!!」
 空に五芒星<ゴボウセイ>の印を結んでそれぞれの頂点に古代文字を刻んだ。即座に印が蒼白く輝いていく。術が発動した証拠だ。
 五芒星の中心からは幾重にも重なった蒼白い光の帯がダイクに向かっていく。うねりながらも物凄いスピードで進むそれはまるで生き物のようだった。
「行け!!!」
 ダイクを追い越していった光の帯は私の合図と共に物凄い光を発して弾け飛んだ。同時に蒼白い光の壁が作り出される。
「馬鹿野郎ォ!何しやがる!!!」
 障壁に阻まれたダイクはこちらに振り向くと私を睨み付けて悪態をついた。直後、障壁の向こうで赤黒い光の帯が幾重にも重なって紡ぎ出される。
「畜生!!よくもルシアを!!」
 再び、彼の関心はイルスに戻っていた。
 両手を障壁に当てて術を唱えている彼はどうやら障壁を消そうとしているらしかった。
 このまま障壁を取り去ったとして私達に勝機が無いわけではない。しかし激情に身を任せたダイクをこのまま行かせるのはリスク以外の何物でもなかった。
 そう判断した私は新たな術の詠唱に入った。
「其は空<クウ>を司る気の流れ。汝、我が前に跪き命に従え!……許せ、ダイク!!!」
 突き出した両手の前に黄色い光の玉が浮かび上がる。
 私は目を閉じて一つだけ息をつくと作り出した気を解き放った。
 複雑な軌跡を描きながらも光の玉はダイクに向かっていく。
「ヴァーレス ヴァーレス ストヴィア ヴェトヴェル……ヴァイス!!」
 ダイクの背後で光の玉が炸裂する。その反動で彼の身体は思いきり障壁に叩きつけられた。
「うぐっ……」
 低い唸り声をあげながら倒れこむダイク。
 私は拳をぎゅっと握り締めると、彼に向かって走り出した。
「――シリア」
 瞬時、思考に雑念が入り込む。
「族長……」
「もはや時間は幾許も残されてはおらぬ。嘉月宮の傍にある転移結界を使え」
「――御意」
 私は目を閉じてそう呟くと、急いでダイクの元へと走っていった。
 背中と膝の下に腕を回して思い切り力をこめる。ダイクの身体はかなり重かったが、それでも何とかして持ち上げる事が出来た。
 その足で転移結界へと走っていく。
 結界に足を踏み入れた瞬間、足元から白い光のヴェールが舞い上がってきた。身体に纏わりついてくる其れはともすれば意識さえも飲み込んでしまいそうな気がした。
 私はダイクを抱く手にぎゅっと力をこめると、自分を鼓舞するように「よし」と呟いた。

to be continued...


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