かわいいひと

「だから早く着替えろと言ったんだ。雨に濡れたまま放っておいて……ぐずぐずしてるからこんな事になるんだぞ?」
 ベッドに横たわった彼を横目で見つめて、呆れた風にそう言ってやる。
 逃れるように私から視線を背けるカイ。布団の中に目を凝らした彼は、考え込むような仕草をみせた後に、こちらにゆっくりと顔を向けて、まるで子供のようにニカッと笑ってみせた。
「ん……だって無性にジェンドが欲しかったからさ」
 前言撤回。こいつに子供らしい無邪気さなんてあるわけがないじゃないか。そんな彼に一瞬でもときめいてしまった自分自身に呆れながら、彼の無神経な言葉に恥ずかしさがどっと沸き起こってくる。体中がカァッと熱くなって、今すぐにでも彼から顔を背けてしまいたくなる。でも敢えてそうはしない。何となく負けてしまったような気がして、それがたまらなく悔しいから。
「じ……冗談だって! 恥ずかしいコト言ってごめんな?」
 慌てふためいて謝る彼を見ながら、こういう所があるから一緒にいるのだと、つくづく思ってしまう。そう、普段は女と見れば声をかけるようなナンパな男だけど、ナンパになりきる事の出来ない、いざという時になって尻込みしてしまうような所があるから、だからこいつの事を可愛いと思ってしまう。
 私も重症だな……そんな風に心の中で呟きながら、フッと鼻で笑って、彼の側へとゆっくりと歩いていった。
「解ってる」
 子供をなだめるような口調でそう言って、布団を首のあたりまで引き上げてやった。
 彼は依然として私の機嫌をうかがうような顔をしてこちらを見つめている。私がどう返すかくらい解ってるクセして、そんなに不安になるくらいなら初めから言わなきゃ良いのに。でも怒りという感情は不思議と沸き起こってはこない。それは先ほどのような理由があるからと、きっと、私自身が随分と変わったせいじゃないかと思う。十六夜と、そしてカイと一緒に旅を続けて、私自身の心も随分と解きほぐされていったから。あの頃の自分を愚かしく思うくらいに。
「……怒ってない?」
「もし怒ってたらどうするつもりだ?」
 わざと冷たい声で言い放ってみる。
 一瞬にして迷子になった子供のように怯えた顔をする彼。いや、病人を目の前にしてからかっている場合でもないか。
 こみ上げてくる笑いを何とか抑えながら、それをごまかすように、彼の額にそっと手を触れた。
「お前の真似をしてみただけだ」
「え……?」
「『冗談』だ。ん……まだ結構熱があるみたいだな。今日は大人しく寝てるんだぞ?」
「ああ、そうするよ」
「そうしろ」
「なあ」
「大人しくしてろって言ったばかりだろ?」
「そうだけど……せっかく二人っきりなんだしさ」
「だからどうしたんだ?」
「ほら、色々話したりだとか、もっと時間を有意義に使いたいなって」
「あのなあ……そんなコトしてたら、治るものだっていつまでも治んないだろ?」
「ちぇっ」
「拗ねるんじゃない。ずっと側についてるから。な?」
「ホントか?」
「他に行く所なんて無いだろ?」
「まあ、そうだけどさ」
「解ったら早く寝ろ。起きた頃には何か作ってやるから」
「ああ、解ったよ」

 疲れていたのだろうか。目を閉じた彼はあっという間に寝息をたて始めて、それを確認した私は、ほっと息をつきながら、近くの椅子へと腰を下ろした。
 一度だけ背伸びをして、そのままゆっくりと机に俯せていく。
 木の冷たい感覚が妙に心地よかった。体中に渦巻いていた倦怠感が少しずつ眠気へと変わっていく。昨日はあいつのせいで眠れなかったから、なんて心の中で言い訳がましく呟きながら。いや、私の方にも拒む理由など無かったのだから、それをあいつのせいにするのは何となく気が引ける。もちろん、あいつを目の前にしたなら、容赦なくその気はなかった振りをするのだろうけど。ペースを握られるのは何となく気にくわない。だけれど、それを自分から握ろうなんて意志もさらさら無いし、それが出来るほど器用でもない。全く……よくもこんな面倒な女に惚れたものだと思う。
 不意に落ちかけた意識を何とか握りしめて、ゆっくりと顔を上げた私は、そのまま彼の方へと顔を向けた。髪が邪魔をしていて顔を見る事は出来ない。それでも、微かに聞こえてくる寝息から、安らかに眠っているであろう事は何となく解った。
 今という時間に彼がこの部屋にいるという事、それがとてつもなく不思議に思えた。いつもならば彼は仕事に出かけていて、この部屋にいるのは私だけなのだから。一通りの家事を終わらせて、僅かばかり時間を持て余した私は、こうして椅子に腰掛け、彼の帰りを今か今かと待ちわびている。町の雑踏の中に彼の足音を探しながら、私の淡い期待は、それを抱く度に水泡と帰していく。そしていざ彼が帰ってきた時には、いかにも待っていなかったような、何もなかった振りをするのだ。そういう意味で、今二人で共有しているこの時間が、私にとってはある種信じがたいものに思えたのだ。


「ジェンド」
 背後から飛び込んできたその声にサッと我に返る。何をしていたわけでもない。ただ一人ぼうっとしながら、何となく彼の事を考えていただけだ。状況を理解するまで僅かばかりの時間を要して、ゆっくりと後ろに振り返ると、そこには私の顔をじっと見つめる彼の姿があった。
「ああ……起きたのか」
「眠ってた?」
「いや、少し考え事をしていただけだ」
「ははっ、もしかして俺の事?」
「さあな」
「ちぇっ」
「じゃあそういう事にしといてやるよ。それよりも調子はどうだ?」
「ん、あんまり変わってない気がする。でも汗はたくさんかいたかな。ぐしょぐしょだよ」
「じゃあ着替えないといけないな。今体を拭いてやるから」
「い……いいって、それくらい自分で出来るから」
「今更恥ずかしがるような間柄でも無いだろうに」
「ほら、さ、まあ色々あるって言うか……」
「いいから、さっさと服を脱げ。別に取って食いやしない」
 半ば投げ捨てるように言い放つと、私は暖炉にかけておいた鍋からたらいにお湯を移した。それにいくらか水を混ぜて、タオルをつけて、未だグズグズと服を脱いでいるカイの所に持って行く。全く、そんなものを着てたら治るものも治らないというのに、この男は何を考えているのだか。
「もしかして私に脱がせてもらいたいのか?」
「ち……違うって!」
「だったら早く脱ぐんだ」
「解ったよ……全く」
 ちょっとふて腐れながら、今度は一気に服を脱ぐカイ。見慣れたはずの傷だらけの体が
目の前に現れる。でも、それはいつもとは少し違って見えた。いつもの広い背中が、今日は物凄く小さく感じられたのだ。もしかしたら、彼はそのような姿を見られる事を嫌がっていたのかもしれない。彼の性格上、人前で弱みを見せる事だけは避けたいだろうから。それが女の前であればなおさらだろう。
 それでも、そんな彼の姿を見る事が出来て物凄く嬉しかったのだ。それは私だけが見る事を許されたものだろうから。そして彼のために何かできるというのが、私にとってたまらなく幸せな事だった。この瞬間、私たちは男と女という頸城から解き放たれる。一人のヒトとヒトとして接する事が出来る。駆け引きも何もない、そんな関係を未だに持つ事のこの時間が、私にとって何より大切だった。そうする事を忘れてしまえば、きっと一番深いところにある繋がりを失ってしまうだろうから。
「熱くないか?」
「ああ、大丈夫。それくらいがちょうどいいよ」
「そうか」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「……なあ」
「ん……どうした?」
 少しの間口ごもって、それから恥ずかしそうに「ありがとな」と呟く彼。私は体を拭く手を止めると、彼の髪の毛を優しく撫でてやった。

「可愛いヤツ」

 喉元まででかかったその言葉を、すんでの所でごくりと飲み込んだ。言葉にしてしまうと、それはきっと姿を変えてしまうから。だから、私の中で永遠のものにしたかった。

fin

n o t e
 最後まで読んで頂きありがとうございました。最近更新してないな〜と思ってたら、何と二ヶ月もサイトを放置していたようで、慌てて以前から書こうと思ってた話を書いてみました(笑)元ネタはNHKで昔やっていた海外ドラマです。私「天才少年ドギー・ハウザー」という少々マイナーなドラマが大好きだったのですが(笑)そこで主人公の親友がこう言うシーンがあるんですね。「母ちゃんはよく僕に言ってました。病気になると可愛いって。いそいそ食事を作って、食べさせたり、顔拭いたり、必要とされてるのが嬉しいんです」って。何かこの台詞が頭に残っていて、いつかこういう話を書いてみたいな〜と思ってたんですよ。しかし、久々に書いたせいかキャラの性格造形の仕方をすっかり忘れてしまって……なんか文体も変わっちゃった感じがしますね(^^;

↓E-mail↓返信希望の方のみメアドをご記入下さい。

書き終わりましたら、送信のボタンを押して下さい。

+ 戻る + トップ + Web拍手 +