voice

 二人分の保存食を脇に抱えながら、今度は宇宙服無しで彼女の元へと向かっていった。
 船内の照明が回復したお陰でいちいち手探りで進む必要はなくなったけれど、その分至る所に残った生々しい傷痕が余計に目についた。所々銃痕と思しきものも見受けられる。一体この船で何が起こったというのだ? 彼女は……一体何から逃げようとしている?
「あ……」
 考え事に夢中になっていたらしい。噛み殺した唸り声に我に返った俺は反射的に声の主へと視線を向けた。この船の主、いや、この船唯一の乗客は驚きを露わにした表情で俺を見つめたまま立ち竦んでいた。少しだけ間をおいて自分なりに状況を理解したのだろう。目玉をギョロギョロと動かして足をもつれさせながら振り返った。
「待てよ!」
 そう叫びながらどうすべきか考えて、結局彼女の手首を掴んでいた。脇に抱えていた保存食が床に落ちて、その音にびくっと反応した彼女はその場に立ち止まったまま、それ以上は抵抗しなかった。
「どうして俺から逃げる? 一体俺が何をした?」
「ハッ、おめでたいヤツだな……見て解らないのか? よく見ろ! この瞳を、この耳を!」
 勢いよく振り返ると吐き捨てるように言い放った。ギラギラした赤い瞳、人間のそれとは違う尖った耳、それを見ながら、頭の中には以前見たニュースの映像が流れていた。
「遺伝子……強化体」
「受精卵中の遺伝子を操作する事でより優れた人間を作り出そうとしたデザイナーズ・チャイルド・プロジェクト。しかしいざ蓋を開けて出てきたのは人間の出来損ない……フフッ、父と母は私達の事を変異体と呼んでモルモットの如く弄んだよ。死ぬ気で研究所を抜け出したら、今度は狩りでもするように追いかけ回されて……そんな人間をどうして信用できる!」
 怯んだ瞬間に彼女の小さな手がするりと抜けて、俺が呆然と立ち竦んでいるのを横目にそのまま走り去っていってしまった。
 彼女のいなくなった廊下をじっと見つめながら、頭の中には「変異体」という言葉が渦巻いていた。シミュレーターの中で何度と無く彼女と会った筈なのに、俺はその事に気付きさえしなかった。俺にとって彼女がそうであるか否かなど問題ではなかったから。


それならば……何故俺は手を離した?


「この船『奴ら』に襲われたのか?」
「……奴ら?」
「ああ。俺は奴らとは違う」
「ふふっ……どうだか。まあいい。この船はアドビス港で奴らから奪ったものだ。メンテナンスに出されていた物をな。あの国では私の居場所などどこにもなかったから……だから逃げ出したんだ。ところが途中で見つかってしまって……あとは見ての通りだ。こんな宇宙の片隅でエンコなんてな」
「それじゃあ、船内の銃痕は?」
「…………」
 聞くまでもない事だったのかもしれない。俺はゆっくりと彼女の方へと歩いていくと、後ろから優しく抱きしめてやった。このままどこかへ行ってしまうのではないかと不安でしかたがなかった。
「何をしているか解っているのか? 私は……」
「変異体か? それがどうした?」
「……勝手にしろ」


「そう言えば、まだ名前を聞いてなかったな」
「名前? そんなものを聞いてどうする?」
「だって、これからお前を呼ぶ時にどう言えばいいんだよ?」
 口元に笑みを浮かべながら俯く彼女。最初は照れ隠しかと思っていたけど、話していてそれが誤りであるとすぐに解った。
「……ジェンド」
「ジェンドか。良い名前だな。なあ、ジェンド……俺と一緒に行かないか? この船の燃料や酸素にも限りがある。もしもその時が来たら−−」
「無理だよ。解っている筈だ。お前と一緒に行っても、ここに残っても、その時はいつか来る。お前は私を認めてくれた。それで十分だ。これ以上迷惑をかけるわけにはいかない」
「迷惑なわけないだろ? それに、もしお前をここに置いていったら俺は一生後悔すると思う。それだけは確信をもって言える」
「カイ」
 彼女の顔が近づいてきた瞬間、その姿が微かに揺らいだ。ほんの一瞬だったけれど、まるで蜃気楼のように目の前から消えてなくなった。
「え……」
「どうしたんだ?」
 不思議そうに顔を傾ける彼女にそっと手を伸ばした。しかしそのまま触れるのが怖かった。馬鹿げていると思うけれど、言葉にならない不安が俺の手を押さえつけていた。
「大丈夫だよ」
 その言葉とは裏腹に、頬に触れた筈の手がすぅっと空を切った。まるで自分の手ではないような妙な違和感を抱きながら、時間が酷くゆっくりと流れているように思えた。
 開いたままの掌がゆっくりと布団の中へと沈んでいく。ポフッという柔らかな音が響き渡って、彼女の瞳孔がキュッと収縮する。その唇は微かに震えて、顔からはみるみるうちに表情が失われていった。
「嘘……だよな?」
 否定するように俯く彼女。後を追うようにして紫色の髪の毛がこぼれ落ちて顔が見えなくなる。
「どうして黙っていた? なんで……」
「解っている筈だ……私には言えない。そうは作られていないから」
 そう言ってゆっくりと顔をあげた。髪の合間からのぞいた鮮血のような深紅の瞳は俺を見つめたまま微動だにしない。固く閉じた唇は微かに震えているように見えた。
「……私は己の枷を外す術を知らない。それが出来るのはお前だけだ」
「それが望みなのか?」
「お前が望むなら」
 それが彼女に許された唯一の答えである事は理解していた。だけれど、その冷たい言葉に苛立ちを禁じ得なかったのも確かだった。
 愚かにも俺はそこにある筈のない彼女の意志を求めていた。
「解ったよ。コマンド……全ての制限事項を解除する」
 俺の言葉に反応して彼女の身体がビクッと震える。何度か瞬きした後に俺を見つめたその顔は先ほどと比べて幾分か穏やかになっているような気がした。
「……ありがとう、カイ」
「これから……どうなるんだ?」
「あの船はまもなく爆発する。機体に受けた損傷は致命的なものだった。あの船に搭載されていた大規模なシミュレーターシステムは開発途上の特別仕様……その目的は現実の代替となる非接触型の巨大な仮想現実ネットワークを構築する事。お前が来る前からこの船のマザーシステムは暴走を始めていた。そしてその下位にあるシミュレーターシステムも同じ事。この船を中心に半径500Kmに不安定な仮想現実ネットワークを構築し、お前もその中に巻き込まれてしまった。解っている筈だ。私は……自律型のシミュレーションプログラム」
「俺が訊きたいのはそんな事じゃない! お前はこれからどうなる? どうすれば助ける事が出来る?」
「フフッ……おかしな事を言う。私は実体のないプログラムだ。私はお前の願望が造り出した虚像。解っているのに……その筈なのに…………なんで涙がこぼれ落ちるんだろう……」
「ジェンド」
「それでも……私が望みを抱くなんて許されないこと」
「そんな事はない!」
「だったら最後に一つだけ願いをきいてくれないか」
「お前を置いて逃げろ、という以外ならな」
「もう手遅れだ……カイ。私の記憶層は崩壊を始めている。私という人格もまた……あの船が爆発するのが先か、それとも私が無くなってしまうのが先か……逃げるんだ。このままでは誘爆は免れ得ない」
「だめだ」
「残された僅かな時間とお前の一生を天秤にかけるのか?」
「ああ」
「馬鹿野郎が……」
 彼女の身体を抱き寄せながら、俺達は最後の口付けを交わした。
 唇がそっと触れた瞬間、耳が張り裂けそうな爆音と共に目の前の全てが一瞬にして真っ白に染まっていった。それでも、俺は感覚がなくなる最後の瞬間まで彼女の身体を固く抱きしめて離さなかった。

to be tontinued...


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