white breath

 反射的にジェンドの手を取っていた。その腕がぐいと引っ張られて、バランスを崩した身体が、雪に覆われた地面に容赦なく叩きつけられる。
「ジェンド!!」
 それでも、この手を離すわけにはいかなかった。俺が握りしめていたのは、他でもない、ジェンドの命そのものだったのだから。彼女の足下に広がる崖が、深い闇が、その事を否応にも思い知らせていた。
「くっ……」
「そっちの手を…………そうだっ…………もう少し!」
 彼女の身体を少しずつ引き上げながら、吹雪でぼやけた視界の先にある苦悶に満ちた表情を、食い入るように見つめていた。雪の欠片が瞳に触れる度、その姿は白い景色の中にじんわりと溶け込んでいく。均一化していく白い世界の中で、もしかしたら、彼女を見失うまいと必死になっていたのかもしれない。一度目を瞑ったなら、目の前の彼女が永遠にいなくなってしまうのではないかと、この時の俺は本気でそう信じていた。彼女の怯えた目が、縋り付くような瞳が、もう駄目だと言っているようで。焦りだけが止めどなくわき起こってくる。
 腕が引きちぎられそうだ。肩がガクガク震えて、関節という関節が悲鳴をあげている。彼女を握りしめる指も、寒さと痛みで腫れ上がって、まるで自分のモノじゃないみたいに感覚が麻痺していた。意を決するように歯を噛みしめ、痛みを吹き飛ばすように唸り声を上げて、俺はただがむしゃらに彼女の身体をたぐり寄せていた。



white breath




「だから危ないって言ったんだ。全く……無茶しやがって」
「…………」
「起きあがれるか? ほら、掴まれよ」
 服で手をゴシゴシと擦って、それを彼女の方に差しだしてやる。
 さすがにショックが大きかったのだろうか。彼女はぐったりと地面に座り込んだまま、気怠そうに俺を見上げると、「……大丈夫だ」と生気の無い声で呟いてみせた。
 ぎこちなく両手を地面についた彼女は、何とか起きあがろうとするのだけれど、なかなかうまくはいかない。持ち上げた身体を足で支えようとする度、唸るような声を漏らして、そのまま地面にドスンと尻をついてしまう。その繰り返しだ。ずっと差しだしたままの手には目もくれず、ひたすらその行為を繰り返して。その姿を痛々しく感じるのと同時に、怒りにも似た感覚が、胸の奥底にわき起こってくる。ただこの手を取りさえすればいいのに、彼女は決してそうはせず、まるで自分で何でも出来るかのように、独り我が道を行こうとする。それでも俺や十六夜から離れないのは、独りで生きていく事の出来ない証しに他ならないというのに。
「足、見せてみろよ」
「だから大丈夫だと言ってる」
「でも……」
「余計なお世話なんだよ! 誰が助けてくれなんて言った? 放っておけばいいものを……勝手な事ばっかしやがって、それで命の恩人気取りか? うざったいんだよ、人の周りをちょろちょろちょろちょろと……」
「いい加減しろ!!」
 気がついたら叫んでいた。どれくらいぶりだろう、こんなにもあからさまな怒りを彼女にぶつけたのは。彼女の性格は理解しているつもりだし、今までだって、出来る限りそれを受け入れてきた。それでも、俺にだってどうしても我慢できない事があるんだ。それで彼女を変えられるなんて思っちゃいない。十六夜ならともかく、俺が言う事に耳を傾けたりなんて、彼女はするわけがないのだから。
 俺の怒号が冷たい空気を震わせた瞬間、びくっと肩を震わせた彼女は下唇を噛みしめ、地面に顔を伏せてしまった。その姿に些かの罪悪感をも抱かなかったと言えば嘘になる。それでも、やり場のない怒りだけが胸の奥底に渦巻いていて。辛うじて自分を抑えながら、俺は乾いた唇をゆっくりと開いた。
「どうしていつもそうなんだよ。俺も十六夜もお前の事が心配なだけなのに……ただ力になりたいだけなのに……どうしてそこまで頑なに拒むんだ?」
「……そんな必要ないと言ってるんだ。私は群れなきゃ生きていけないような弱い人間じゃない。自分で何とか出来ない事は運がなかったと諦めるだけだ。たとえそれで死んだとしてもな」
 拳をギュッと握りしめる。全身の毛がぞわぞわっと逆立って、血という血がぐつぐつと煮えたぎっていくかのように、体中が燃えるような熱気に包まれていく。だけれど、この怒りを彼女にぶつける事にどんな意味がある? そんな事をしたって、所詮は自己満足に過ぎないのだから。決して彼女を変える事など出来ないのだから。
「十六夜はどうなるんだ? 自分の為にお前が死んだと知ったら……あいつにそんな思いをさせるつもりか?」
 つくづく自分に嫌気がさしてくる。他のやり方だってあるだろうに、よりにもよって、彼女の一番痛い所を突くような事言って。最低だ、俺は。
 予想通り、彼女は黙ったままだった。背中を丸めたままうずくまって、ただじっと地面を見つめているだけ。
 気まずい雰囲気の中で、鋭い風音だけがビュンビュンと耳元を通り過ぎていく。見渡す限り、気が遠くなるほど真っ白な平原が広がって。自分の無力さを噛みしめるのにこれ以上良い所はないと、本気でそう思えてくる。いや、いつまでもそんな感傷に浸っているわけにはいかない。彼女を助ける事が出来るのは俺だけで、どれだけ恨まれても、嫌われても、俺はそうしなければならないのだから。
「ちょっと見るだけだから。痛かったらごめんな」
 有無を言わさぬような口調で言い放って、それから彼女の足にそっと触れた。女らしい華奢な足が、足首の所で痛々しく腫れ上がっている。服の上からでも解るくらいはっきりと。
「っ痛……」
「悪い、今の痛かったな。骨は大丈夫だと思うけど、どうやら捻挫してるみたいだ。しばらくは歩くの無理だぞ。いつまでもここにいるわけにはいかないし、取りあえずは山小屋まで行こう。町の人の話だと、この近くにあるらしいんだ。俺がおぶっていってやるから」
「…………」
「山を下りた後は好きにしていい。でも、それまでは俺の言う事をきくんだ。いいな?」「……勝手にしろ」


 この背中で彼女の全てを負っていた。刻一刻と体力が奪われていく中、それを吐き捨てるような余裕など残ってはいない。
 彼女の体は小さくて、驚くほど軽いものだった。燃えさかる紅蓮のような存在感を放つ彼女が、一人で生きていけると言い張る彼女が、この俺に依存して、こんなにも無防備な姿を晒して。彼女のこのような姿を、俺は見た事が無かった。いや、想像だにした事がなかった。心のどこかで、きっとこいつは乱暴者のダークエルフに違いないと、そう決め込んでいたのだと思う。それ以外の彼女を認めようとはしなかった。「ジェンドだから」「アイツらしい」そんな言葉で全てを片づけて、彼女の一部分しか見ようとはしなかった。そんな自分が恥ずかしかった。俺がついていないと何をしでかすか解らないだなんて保護者を気取って、どこか上の方から彼女を見下ろしていたのかもしれない。確かにそういう所はあるし、しょっちゅう問題だって起こすヤツだけど、それが彼女の全てだってわけじゃないんだ。こんな雪山までやって来たのだって、決して俺がそうしようと言ったわけじゃない。アイツが無理矢理……
 そう、全ては十六夜が高熱を出した事に端を発する。ほんの二、三日前の事だ。雨の中の旅が続いたから、きっと風邪をこじらせでもしたんだろう。俺達は急遽目的地を変え、一番近場にあったラクファカールという町に寄る事にした。しかしそこにはろくな施療院もなくて、町人に「ラクファカール山に咲いているフィリスの花が万能薬になる」という話を聞いたジェンドが、雪嵐にもかかわらず「花を取ってくる」などと言い出したのだ。こうなれば何を言っても素直に聞く彼女ではない。仕方がないからついて来たわけだが、崖の間際に咲いたその花を彼女が取ろうとした瞬間、地面が崩れて、間一髪の所で何とか彼女を助けたというわけだ。
「足、大丈夫か?」
「……だから何ともないと言ってる」
「そうは見えなかったぜ?」
「………………」
「なあ、もうちょっと素直になってもいいんじゃないか? 人の手を借りても、恥ずかしくも何ともないんだぞ。見返りを求めてるワケでもないし」
「だったらどうして人助けなどする? そんな事したって、何の得にもならないだろうが」
「そんな事ないさ。それで誰かが喜んでくれたら、こっちも嬉しいしな。それに」
「何だ?」
「俺たち、仲間だろ?」
「……お前の場合、女なら見境がないだけじゃないのか」
「ギクギクッ」
「ほらみろ」
「いや……まあレディを助けるのは男のつとめというヤツだし?」
「私に同意を求めるな! この軟派男が!」
「ちぇっ、せっかくいい事言ったと思ったのにって……わわっ!?」
「な……!?」
 目の前の景色がぐるりと回って、気がついたら地面に叩き付けられていた。足がズキズキ痛む。頭がぼうっとして、なかなか状況を把握する事ができない。ただ一つはっきり解ったのは、ぼやけた視界の中で動く紫色の「何か」がジェンドに違いないという事だった。そうだ、俺は彼女を負ぶったまま足を滑らせてしまって……彼女は、ジェンドは無事なのか!?
「ジェンド!」
「くそ……どこに目をつけて歩いてやがる……」
「ごめん……怪我は……足は大丈夫か!?」
「ふんっ、何とかな。悪運が強いらしい」
「起きあがれる?」
「ああ」
「よし……大丈夫みたいだな。良かった。今度は気をつけるから……」
「もういい。一人で歩いていける」
「…………」
「肩」
「え?」
「……肩だけ貸してくれればいい。あとは自分で何とかする」
「悪い」
「貴様がそんな顔してたらこっちまで気分が悪くなる。いつもみたいに脳天気な馬鹿面してろ」
「ジェンド……ごめん。町の人の話だと、中腹あたりに山小屋があるらしいんだ。取りあえずそこまで行ってみよう」
「ああ、そうだな」

後編へ

n o t e
最後まで読んで頂きありがとうございました。前々から友人に書くかくと言っていたネタなんですが、ようやく書く事が出来ました。ホント、数年越しかな(笑)久々に原作設定でやってみましたが、いかがだったでしょうか?

↓E-mail↓返信希望の方のみメアドをご記入下さい。

書き終わりましたら、送信のボタンを押して下さい。

+ 戻る + トップ + Web拍手 +