das unheimliche

「……私の名はイールズオーヴァ。愚かなる人間よ、忌むべき存在よ、何故この辺境の地へ?」
 男は笑っていた。
 蝶を象った仮面の上からも明らかに侮蔑の念を見出せる程に。
「おまえが兄さんを……ザード兄さんを!!」
 冷たい暗闇の中にイリアの叫び声が混じる。
 だがそれは煙のように、曖昧な余韻を残しながら闇と一体化していった。
 混沌だ――僅かに残った理性が囁く。
 その声はあまりに冷たく、弱々しい物だった。
「だったらどうするのです?まさか人間如きが私に牙を剥くとでも?敵うと思っているのですか?」
 耳障りな音だった。
 心の中がざわついている。
 それは不安や恐怖に似た感覚――俺が最も嫌う物だ。
「うるさぁぁぁぁい!!!!!!」
 拳を握り締めたイリアがイールズオーヴァに向かって走って行く。
「やめ……イリア!!」
 思いの外声を出すのは困難だった。
 四肢は凍りついたかのように固まり、俺の統制を受け付けようとはしない。
 まるで自分自身が存在しないかのようだった。
 魂だけがそこにあり、為す術も無くイリアの無駄な抵抗を見ているような。
「わああああああ!!!」
「自ら死を選ぶというのですね。いいでしょう。塵と化すがいい!!」
 時間が止まったかと思った。
 ――否、時間は動いている。
 だがかなりゆっくりだ。
 イリアは右手を握り締めてイールズオーヴァに頭上に振り上げる。
 イールズオーヴァは愚弄するかのような笑みを浮かべたままイリアを見つめている。
 イリアの拳が振り落とされる。
 同時に、イールズオーヴァは左手を突き出した。
 ヤツの手から冷たく蒼白い光の刃が放たれる。
 イリアの表情<顔>が凍りつく。
 刃がイリアの身体と接吻をする。
 バラバラになったイリアが崩れ落ちる。
 ……崩れ落ちる?
「イリアァァァァァァァァァァァ!!!!!!!」

 勢いよくあけた目に飛び込んできたのは無数の星と妖しく輝く月だった。
 呼吸は荒く、脈拍も乱れている。
 身体中にじっとりとした汗の嫌な感触が纏わりついていた。
 今まで何度この夢を見てきた事だろうか。
 イールズオーヴァと名乗る男に殺されるイリア。
 むざむざと殺されていくイリアの姿を見ている事しか出来ない俺。
 頭上に浮かぶ限りなく満月に近い月は、まるで来るべき終焉を知らせるかのように鎮座している。
 あと二日だ。
 二日でイビスに到着する。
 俺はイリアの願いを叶える為に異世界への扉を開くだろう。
 その先にある恐ろしく巨大な闇の正体を知っているというのに、何故俺は進むというのか?
 感傷?
 ザードが倒せなかった者を倒す事でヤツを超える為?
 イリアの笑顔が見たいから?
 ――馬鹿らしい!
 心の中でそう叫ぶと視線を横に向けた。
 額に張り付いた髪の毛が零れ落ちて視界を遮る。
「……イリア」
 右手で髪を掻き揚げると、二人に聞こえぬように小さな声で囁いた。
 蒼白い光に照らされ、まるで陶器人形のようなイリアは微かな寝息をたてながら眠っていた。
 イリアはディアボロスを倒したその先に何を見るのだろう?
 その様な思いがふと頭を過った。
 そもそも、兄の敵を討った所で何になるというのだ?
 死んだ人間が帰って来る筈が無い。
 復讐が生むのは憎しみでしかない。
 そしてイリアは、それが解らぬほど幼くはない筈だ。
 ……違う。
 俺は認めたくないだけだ。
 イリアが俺ではなくザードを選んだという事を。
 あの日――アドビスに帰ろうとイリアに言った日――"そう決めたんだ"と言ったイリアの瞳に俺は映っていなかった。
 ただ星になってしまった兄の姿を見ていた。
 それに気付いた時、俺は決めたのだ。
 どこまでもイリアについていき、コイツの願いを叶えてやろうと。
 そうすることでしかイリアの中にいる事が出来ないから。
「……嫌なヤツだ」
 吐き捨てるように呟くと俺はイリアから視線を外して起き上がった。
 出来るだけ音を立てないようにと細心の注意を払いながら、近くにある湖の方へと歩き出す。
 一人で考える時間と場所が必要だった。
 心がザラついている――ただそれだけだ。

 湖は月光に照らされて銀色に輝いていた。
 微かな風は木々をざわめかせている。
 俺はゆっくりとした足取りで水辺まで歩いていくと、その場にしゃがみこんだ。
 鏡のような水面には俺の顔と丸い月が映し出されている。
 それをみて思わずはっとしてしまった。
 月明かりに照らされた俺の顔は酷く冷たく、同時に険しくも見えた。
 一体いつからこの様な顔をするようになったのだろうか。
 いや、何故と言ったほうが適切だろう。
 唯一の居場所であり、俺を縛り付ける監獄でもあったあの国――アドビス。
 そこでは弱くて感傷的なシオンでいることは許されなかった。
 常に強く、冷静で、隙を見せない事――そうある事が求められていた。
 そして同時に、子供でいる事すら許されなかった。
 俺は己を殺す事で新たな人格を作ろうとした。
 既存の自己はあまりに脆弱で、その上に強い自己を形成する事は困難を極めたのだ。
 しかしあの男――ザード――の前では全てが飯事でしかなかった。
 道化だ――結局のところ俺は強い自分を演じていたに過ぎなかったのだ。
 あの男の瞳は俺の中に潜む弱さを見抜いていた。
 幼い抵抗はあまりに無力だった。
 誇大自己の崩壊、アイデンティティの浮遊、強制的なイニシエーション――そして自ら魔法力を暴走させた。

 俺は死んだのではなかったのか。
 一体何が俺をこの世界に繋ぎとめているのだろう。
 優秀な王子様に対する他者の眼差しか?
 違う、奴らは俺を蔑んでいる。
 常にウィザードである俺を否定している。
 奴らの視線は……息を詰まらせる。
 さあシオン、論理的に思考してみろ。
 何がお前を生かしている?
 お前は望まれない子供だった。
 クレリックの家系に生まれた忌むべきウィザードだ。
 誰もお前を必要としない。

 ――違ウ 俺ノ存在ヲ肯定シテクレル人ガイル

 それがお前の拠り所とでも言うつもりか?
 しかしもとより知っている筈だ。
 お前は一人で生きる事を決めた。
 誰にも依存することなく、強く生きる非自己を肯定した。
 拠り所を求める事とは即ち――

 ――過去ノ自分ヲ殺スコト 自己否定

 積み上げてきた虚構の崩壊、それは即ち現実を隠蔽するスクリーンの不在。
 自己の消滅――虚無である自己の肯定。

 俺はゆっくりと瞬きをすると右手を水面につけた。
 指が水と接触した瞬間、冷たい快楽が身体中を走った。
 同時に歪な形をした波紋が広がっていく。
 脆弱さを露呈させるかのように、蒼白い光に包まれた自分と月の鏡像が揺らいだ。
 それは粉々になった硝子の破片のように、歪んだ軌跡を描きながら崩れ去っていく。
「――シオン?」
 イリアの声は蒼白い闇を切り裂く刃のように思えた。
 水の中に入れた右手を引き抜き、無言のまま振り返る。
「どうかしたの?青白い顔して。気分でも悪い?」
 俺は答えなかった。
 もはやイリアの呼びかけに答える術など持ち合わせていなかったのだ。
 イリアは怪訝そうな表情をして俺を見つめている。
 常とは違う俺に対する恐怖と、不安を瞳に浮かべて。
「僕に出来ることがあったら――」
「……るな」
 遮るようにして殆ど唸りに近い声を発する。
 道化だ――僅かに残った虚勢に過ぎない。
「え……?」
 イリアは当惑している様子だった。
 口元に両手を当て、微かに声を漏らした事からも明らかだった。
「……入ってくるな」
 奥歯をかみ締め、身体をわなわなと震わせながら、何とかその言葉を発した。
 イリアの目を正視できなかった。
 あの瞳はあまりに純真で、全てを見通すようで、俺には耐えられなかったのだ。
「解らないよ、シオン。何を言っているのか」
 透き通ったイリアの声は緊張を孕んでいた。
 パキッ
 小枝の折れる音が静寂を切り裂く。
 きっとイリアがこちらに向かって歩いてきたのだろう。
「俺の中に入ってくるな!!!!」
 気がついたら大声をあげていた。
 握り締めた拳は小刻みに振動し、それは身体中に広がっていく。
「……シオン」
 イリアの冷たい手が頬に触れた。
 ガラスのように透明な瞳が俺を見つめている。
 それはある種の安心感を与えてくれた。
 しかし同時に、冷たい痛みがゆっくりと心の中に広がっていくのも感じていた。
「……ウリッ……ク…………」
 暖かい感触が頬を伝った。
 それは酷く懐かしいもの。
 鬱積した感情を吐き出させてくれるもの。
 ――決して流すことを許されなかったもの!
 全てが不可避だった。
 胸は小刻みに震え、目からは止めどなく涙が零れ落ちてくる。
 口元は引き攣って、まるで仮面でも被っているかのように固まっていた。
「うぅ……く……う…………」
 髪の毛にイリアの細い指が絡みつく。
 まるで子供をあやす母親のような暖かい感触だった。
「言いたくなかったら……いいよ。だから今は泣いて。何も考えずに……僕が受け止めるから」
 イリアの胸に抱かれながら俺は泣きじゃくった。
 何も考えることなく、ただ抑圧してきた感情を解き放ったのだ。
 それは失われた子供の自分への回帰だった。

 ぼんやりとした目覚めだった。
 夢とも現実ともつかぬ曖昧な世界からの脱却――暗闇の中で暖かい波に包まれているような奇妙 な感覚は酷く心地よかった。
 あたかも母の腹の中にいるかのように。
「おはよう、シオン」
 その声を聞いた瞬間、再び身体中に暖かな波が走ったような気がした。
「おはよう」
 ――イリア
 満面の笑みを称えながら、心の中でそう囁いた。

fin

n o t e
最後まで読んで頂きありがとうございました。
なんと言うか、レヴァリアースと言うよりむしろオリジナル作品に近いですね、はい(^^;
今回は今までと書き方を変えて"精神分析的アプローチ"でシオンを描写してみました。
特に心理描写に関して言えば、精神分析の権威フロイトやジャック・ラカンの理論に基づいて書いています。
タイトルの"Das Unheimliche"とはドイツ語で"ぶきみなもの(=心的生活にとって昔から親しい何ものかであって、ただ抑圧の過程によって疎遠にされたもの)"を意味し、フロイトの論文のタイトルにもなったものです。
彼らの理論は全くもって難解で、私もその一部に触れただけなので不完全さが目に付きますが、エヴァンゲリオン的アプローチを試みたと言う事にしておいて下さい(^^;

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