Jacob's ladder vol.2

「おーい、どうしたんだ?」
 結局、私達を繋ぎ止めていたものとは何であったろうか。
 『彼』を喪った時、私はどうしてあのような感情を抱いたのだろう。不安とも焦燥ともつかない気持ち。叫ばずにはいられなかったあの衝動。自分を抑えられないほどの激しい感情。どれもが、それまでのどの瞬間にも抱いた事のないものであったのだ。そう、ザード<義兄>を喪った時でさえも。
「おいって、何か変なモンでも食ったか? そんなにボーッとして」
 大げさな、ある意味尊大な身振りで顔をのぞき込んでくる。そんな彼に、私は悪戯っぽい顔をして応える。
「何言ってるんだよ。シオンだって同じもの食べたクセして」
 何も変わらない。私達を取り囲む景色も、そして二人の関係さえも。私の気持ちだけを置き去りにして、何もかもがいつも通りに動いていく。その流れの中で、私は少しだけ途惑いをおぼえ、そしてほんの少しだけ不安を抱いている。

v o l . 2  t o w a r d

 背の高い木々が生い茂る森の中を、私達は歩いていた。時の頃は五時をまわったくらいか。彼方此方から鳥のさえずりが聞こえ、空を覆い尽くした枝葉の隙間からは、紅に近い橙色の光が差し込んでいた。
 そろそろ夕暮れか。心の中でポツリと呟いた。それから、思い出したように足を止めた。左手で陽の光を遮りながら、前を歩く彼の背中をじっと見つめる。
 ごくごくありふれた日常がそこにあった。彼がいて、私がいて、そして世界は当たり前のように動いている。その自然な流れを、私はこの身をもって感じていた。
 一体どれだけ感謝していたろう。未だ手の内にある、この日常に。もう二度と取り返せはしまいと思っていた。
「あ……」
 思わず声を漏らしていた。
 目の前を歩く彼の姿を見ながら、ある事に気付いたのだ。

 シオンの背中って、こんなに大きかったんだ。

 心の中を暖かい気持ちが満たしていく。決して激しいものではない。だけれど、スッと芯の通った、とても強い気持ちだった。私と彼を繋ぎ止めているものがあるとしたら、きっとこんな気持ちなのだと思う。そう確信を持って言える自分が気恥ずかしくもあり、嬉しくもあった。
「シオン」
 聞こえないくらい小さな声で呟いてみる。確かに感じていた。胸の奥底へと融け込んでいくその言葉を。驚くほど自然に、それは私の一部となっていたのだ。




 私達は『ミュー』という街を目指して旅をしていた。古い書物に依れば、その街の地下深くに、水晶を祀った神殿があるらしい。イビスから遠くはなかったし、地下神殿という文句に心惹かれた私は、二つ返事でミュー行きに応じたのであった。だけれど、流石は私達と言うべきか、あるいは当たり前の結果というか。案の定道に迷って、今夜はどうやら野宿になるらしい。
 ここに一つ問題があった。それは、宿に泊まれない以上、自炊をしなければならないという事だ。自炊自体は慣れているからいい。だけれど、誰かの為に料理をするのは久しぶりだ。私の記憶が確かならば、彼に料理を褒められた事など、今の今まで一度もなかったではないか。せっかく再会を果たしたのだ。そんな事で雰囲気を壊したくなどなかった。
 一つだけ小さく溜息を吐いた。そんな事を考えるなんてどうかしてる。昔の私ならーー全く気にならなかったといえば嘘になるけどーー殆ど気にかけなかったというのに。今の私はと言えば、やたらとシオンの視線を気にしている。嫌われたらどうしようという不安はない。だけれど、彼に良い所をみせたいという気持ちは強くあった。離ればなれになっていた年月を経て、自分がこれだけ大人になったと、認めて貰いたかったのだと思う。
 心そぞろに料理をする私を尻目に、彼は薪の傍に腰を下ろして、橙色の炎をじっと見つめていた。そんな彼の様子が気になって、私の視線は、手元の鍋と彼の間をいったり来たりしていた。
 両手で膝を抱えた彼は、目を微かに細めて、炎に見入っていた。柔らかな光は、彼の顔にゆらゆらと陰影を刻んでいる。私には、彼がとても穏やかな表情をしているように見えたのだ。それでいて、縮こまった彼の姿からは、どこか感傷的な雰囲気すら感じられた。彼は何を考えているのだろう。一体何が、彼にそんな顔をさせているのだろう。頭の中にはいくらでも疑問符が浮かび上がってくる。それを振り払うように、私は手元へと視線を落とした。
 鍋の中では、白に近いベージュ色のスープが煮えたぎっている。この中に山菜とパクパクの実を入れ、暫く煮込めば完成だ。シオンが採ってきてくれたものだから、きっと美味しいに違いない。そのような事を考えながら、再び彼の方に視線を向けた。未だじっと座ったまま、だけれど、口元には微笑が浮かんでいる。
「懐かしいな」
 不意に彼の口が動いた。慌てて視線を落とした私は、「ん?」ととぼけた風に言葉を返す。何故だか、彼を見ていたと悟られたくはなかった。
「この音が好きだった」
 抑揚のない、流れるような声が鼓膜を震わせた。その言葉は時間をかけ、身体の芯へと向かっていく。ゆっくりと、私の中に沈んでいく。きっと、身体は覚えていたのだろう。記憶を呼び覚ますほど、そこまで鮮明ではなかったにしろ。
「この音?」
 喉元に何かが突き刺さっているような感じがした。違和感はあるのだけど、それが何かは解らない。その正体を探るように、問いかけずにはいられなかった。
「お前が料理する音がな」
「ふふっ、そんなに大げさなモノじゃないでしょ?」
 そう言ってから気付いたのだ。彼にとっては、王宮で暮らしていたシオンにとっては、『この音』は特別な意味を持っていた。そう、生活を感じさせるこの音は。
「そうだった……シオンには特別だったね」
 ポコポコと泡を立てる鍋を見つめながら、気がついたら、私まで口元を弛めていた。きっと、彼が望んだ『素晴らしい時間』とはこういうものではなかったか。何も特別なものではない。当たり前の事が当たり前に出来るという事、それが彼にとっての幸せだった。そして、彼が私に託した幸せを、今ここで、二人で分かち合っている。それが物凄く嬉しかった。
「味見、してみる?」
 小皿にすくい取ったシチューを彼に差し出す。何も言わずに受け取り、口に含む彼。目瞬きを何度かしながら、品定めをするように、彼方此方に視線を移していく。それから、一つだけ大きく息を吐いてみせた。
 きっと、「不味い!」とでも言うのだろう。ショックを受けないと言えば嘘になるが、それはそれで彼らしいのかもしれない。妙な腹のくくり方をして彼の言葉を待った。だけれど、返ってきたのは意外な答えだったのだ。
「悪くはないナ」
 吹き出さずにはいられなかった。何故って、自分でもよく解らないけれど、何だか可笑しくて仕方がなかった。だって、彼に限ってそんな事を言う筈がないんだもの。
「な、なんだよ?」
 少し身体を引いて、いかにも怪訝そうな顔をする彼。きっと、私の反応こそ意外だったに違いないのだ。彼は私が喜ぶと思って言っていたろうから。確かに物凄く嬉しいけれど、それ以上に、真顔でそんな事を言う彼の方が面白かった。
「ふふっ、だってそんな事言うなんて思わなかったもん」
「それじゃ、何て言うと思ってたんだ?」
「『不味い』って、呆れたような顔して」
 ケラケラ笑いながら言ってやった。考えてみれば酷い話だが、何となくそんな気分だったのだと思う。二人の距離がグッと縮まったような気がして嬉しかったのだ。
「誰がそんな酷い物言いをするんだ。だ・れ・が!」
「誰って、シオンに決まってるじゃない。いっつもそんな口ぶりだったクセに」
「ぐぅ……」
「もしかして勝った?」
「…………」
 あからさまに拗ねた顔で私を見つめている。その姿は、どこか小さな子供のように見えた。もっとも、そんな事を言ったら更に拗ねるのだろうけど。そんな所がたまらなく可愛く思えた。
「へへっ、シオンに勝っちゃった!」
「そんなの……」
「へ?」
「そんなのいやだいいやだいいやだいいやだいいやだいいやだいいやだいいやだいいやだいいやだいいやだいいやだいいやだいいやだいいやだいいやだいいやだいいやだいいやだいいやだいいやだいいやだいいやだいいやだいいやだいいやだいいやだいいやだいいやだいいやだいいやだいいやだいいやだいいやだいいやだいいやだいいやだいいやだい!!!!!」
 突然じたばたし出すシオン。やっぱり何も変わっていない、か。
 心の中で溜息をつきながら、けれども口元は緩ませながら、手足をばたつかせる彼を止めに入った。この役は私にしか出来ないものね。他の人の前でこんな事はしないだろうけど、これが彼の甘え方だと知っているから。
「仕方ないね」と言わんばかりに頭をさすってやる。こうするのが好きだったな、と思い出した。だって、この瞬間だけは私が何かをしてやれるから。それこそが私の幸せだった。
n o t e
最後まで読んでいただきありがとうございました。気が向いたので続編を書いてみました。幸せというのは、きっと何でもない日常の中にこそあるのではと思う今日この頃です。もうちっと起承転結のある話にしようと思ってましたが、取り敢えず書きたい事は書いたのでこの辺で(笑)

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