月光

 最近、自分が変わったと思った。
 ふとした行いや言葉に敏感になった。
 何もかもが新鮮に思われ、アドビスにいた頃の世界が所謂"白黒"で表されるのだとした
 ら、ウリックやレムと旅するこの世界は色を持っているように見えた。
 何故だろうと考えたら、薄らと答えが浮かび上がってくる。
 それは蜃気楼のように、揺れては消え、実体を持ったかと思うとすぐに虚像へと変わる。
「……ぇ、シオン。ねぇってば!」
 ――ウリック
 多分認めたくないのだと思う。
 ウリックが女だと言う事、そしてアイツに影響を受ける自分がいる事。
 ウリックが俺の日常を壊す。
 俺が既定していた常識を打ち破り、それは同時に俺の心をも変えてしまう。
 しかしそれは不快ではなかった。

 俺はいつも一人だった。
 アドビスにいた頃、周りからは常に冷たい視線を向けられていた。
 父上やばばは俺の事を認めてくれた。
 しかし、いつも心の片隅に、俺の存在を否定されているのではないかと言う不安があった。
 だから俺は全てを自分の中に仕舞い込む事にした。
 感情も思考も、全て自分の中に仕舞い込めば辛くない。
 誰かが俺を否定しても、悲しくはならない。
 でも知っていた――そうする事は喜びも悲しみも感じる事が出来ないと言う事を。
「もぅ、何難しそうな顔してるんだよ」
 だけど……アイツは俺の中に入ってきた。
 入ってきていいなんて言ってないのに、勝手に俺の中に入ってきて、俺の心を掻き乱して。
『――神様にとってはウィザードもクレリックも同じなんじゃない?』
 あの言葉……俺には意外だった。
 俺は幼い頃から様々な書物を読み、色々な知識人に教えを請うた。
 それなのに、そんな簡単な事すら思いつかなかった。
 勉強など何もしていないウリックが何故あのような事を言ったのか、不思議でたまらなかった。
「ねぇ――」
「ああ、聞こえてる。んなでかい声ださなくてもな」
「さっきから何ぼぅっとしてるんだよ?変だよ、今日のシオン」
「ん……別に。何でもない」
「でも――」
「あまり考えると知恵熱出すゾ」
「また、シオンったらそんな事言って。まぁ、解らないでもないけど」
「レムぅ……最後のは余計だって」
 既に日常と化したこの会話。
 嘗ての俺なら否定していただろうこの非生産的かつ非理知的な会話。
 だが、それら全てを受容してしまう自分がいる。

 この瞬間を失いたくない、と最近思うようになった。
 ウリックとレムと一緒に旅をして、色々な物を見て、色々な話をして、色々な所に行って、
 全てが新鮮だった。
 アドビスにいた頃のように全てが歪んで見える事はなかった。
 あの頃は自分を抑える事で一杯だった。
 自分をしまいこんで、周りと話を合わせ、それしか出来なかった。
 そうしなければ、狂ってしまうから。
 だから失いたくない。
 このままイビスに行けばきっと誰かが死ぬ事になるだろう。
 ウリックはその様な事など考えていない。
 あいつの頭の中には、もしかして死という概念が欠落しているのかもしれない。
 ザードの死も"ザードに二度と会えない"としか認識されていないのかもしれなかった。
 あいつは何も考えずに、ただザードの仇を取る事だけを考えている。
「あれ……どこに行くの?西<アバス>のイビス?」
 俺がアドビスへの道を行こうとした時、ウリックが訊ねてきた言葉。
「アドビス」
 俺はきっぱりと答えた。
 水晶は未来を教えてはくれなかった。
 だが、ウリックから記憶を失っていた時の話を聞いた時、全身に悪寒が走った。
 それは俺が嫌っていた本能的な物だった筈だ。
 それなのに俺は理性的なものを捨て、本能的な思考を選んだ。
 昔の俺なら先ず嫌っていただろう、本能的な思考を。
「アドビスで一緒に暮らそう。あそこなら治安もいいし、食い物もうまい」
「食べ物ぉぉぉ」
 ウリックは目を輝かせて涎をたらしている。
 説得するのは難しいかもしれないと思っていたが、案外簡単に行くかも知れない。
「どうしちゃったの?アバスのイビスに行かないの?ディアボロスを倒すんじゃない
の?」
「面倒くさい」
 再び、俺は即答する。
 本当の事を話す気にはなれなかった。
 理由は……ウリックに悲しい顔をして欲しくなかったからかも知れない。
「だいたい俺様は……」
「ならシオンだけ戻ってヨ。僕はレムと行く」
 ……!!
「だめっ。一緒に帰る。あいつは強いんだ。お前なんかイチコロだゾ!絶対に殺されるんだからな!!」
 俺が声を荒げて言っても、ウリックは薄らと笑みを浮かべるだけだった。
 何処か遠くを見ているようなその眼は、俺の姿など見ていないような気がした。
 遥か遠くにいるザードの姿を……
 そう思うと少し悔しかった。
 一緒に旅をしても、話をしても、俺はこいつを説得する事が出来ない。
 ザードより大切な存在になる事が出来ない。
 だから――
「でも、そう決めたんだ。だから行く」
 ――お前はザードを選んだんだな。
 俺ではなく、ザードを。
 そう思うと身体の中から力が抜けていくような気がした。
 ウリック、お前がザードしか見ていないなら、俺はそれに従おう。
 例えこの身が朽ち果てたとしても。
「よぉし、わかった。もう帰るなんて言わねえ。暇つぶしに最後まで付き合うか!」
「よしっ。がんばろうね、シオン!!」
 ウリックは何時も通りの笑みを浮かべていた。
 少しの曇りも無い、純粋な笑みは俺にとっては眩しすぎた。
 心の中で色々画策している自分が恥ずかしかった。
 いつも自分とザードを比べていた理由がウリックの……いや、イリアに対する好意であった事を悟ったからだ。

 ふと、ショーウィンドウに映った自分の姿を見てみた。
 埃一つついていない硝子に、俺の顔が薄らと映っていた。
 太陽の光が反射して、一瞬映った自分の顔が金色に輝き、そして消えていく。
 しかしただ一つ確かな事と言えば、硝子に映っていた俺は笑っていたと言う事だ。
 それは無理して作った物ではなく、自然と染み出てきた物だった。
 自分でももう笑う事は無いと思っていた。
 アドビスでの抑圧的な生活を続けていたなら、俺は二度と笑う事など無かっただろう。
 だが、ウリックは俺に笑う事を教えてくれた。
 俺の自尊心がウリックにそれを告げることを拒んでいるから口にはしないが。
 俺は満たされていた。
 ここまで感情と言う物を意識したのは随分昔……ザードがアドビスに来た時以来だった。 
 今、目の前にはウリックがいる。
 それだけでいいような気がした。
 そして同時に、今の生活を失う事に対して純粋なる恐怖の念を覚えた。
 今の俺にとってウリックのいない日々など光の無い生活と同じだったのだから。


 ――ダカラアイツダケハウシナイタクナイ


「――ウリック」
「ん……何、シオン」
「絶対に死ぬなよ」
 その時、周りで歓声が起こった。
 近くの酒場で乱闘が始まったらしかった。
 俺のか細い呟きは罵声の中に消えて行く。
 そこに残っていたのは耳障りな喧騒と、そして風が運んできた土埃だった。
「……よ。聞こえなかったからもう一度言ってくれる?」
「ああ、後もう少しだって言ったんだ」
 面と向かって言う事が出来なかった。
 言ってしまうと、それが現実の物になりそうだったから。
 それが怖かったから。
 純粋な恐怖心を抱いた事など何年ぶりのことだろうか?
 単純な生死に対する恐怖心ではない、何かを失う事に対する恐怖心。
 自己に対する物ではない、純粋に他者に対する物。
 それを全身で感じていた。

「ねぇ、シオン。今日はどうしたのよ」
 すっかり暗くなった窓の外を覗く俺にレムが話し掛けてきた。
 ウリックは既に眠ってしまったらしい。
 微かに寝息が聞こえてくる。
「別に……何時もと変わりねぇだろ?」
「そうかしら?何時もより感情的だったような気がしたけど」
 月の光が俺達を照らしていた。
 その光は全てを映し出す。
 俺の心の中も、洗いざらい。
 レムの言葉を聞いてそのような事を考えた。
「何か隠し事してるんじゃないの?シオンったらいつも自分の中に溜め込むから」
「さぁな。だけどな、隠し事は表に出さないから隠し事だろ?」
 俺は溜息交じりで呟いた。
 そして、レムの顔を見ずに空高く淡い光を放つ月を見ていた。
 何となく、見透かされていると考えると気まずくなったからだ。
 そんな俺の意図も解さずに、レムは俺の目の前に飛んできた。
「何か意味深。変だよ、今日のシオン」
「だから、何でもねぇって言ってるだろ」
「シオンは……何を見てるの?」
「何をって、月を見ていたらお前が邪魔に入ったんだ」
「そうじゃないって。シオンってたまにどこを見てるかわからないような遠い目をする。どことなく悲しそうで、儚げな目」
「…………」
「何か隠してるんじゃない?」
「何隠す事があるんだよ」
「それは、分からないけど……でも……」
「無いって言ってるだろ」
「言えない事?」
「違うって。だからお前はもう寝ろ」
「……ん、もう夜も遅いし、そうするわ。シオンも早く寝た方がいいわよ。明日は早いんだから。イビスに行くために」
 少し何かを考えているような素振りを見せ、レムはそう呟いた。
「ああ……解ってる」
「シオン――ううん。じゃあ、おやすみ」
「ああ」
 そう言うとレムは布団の中に入っていった。
 布団と言っても籠の中にタオルを入れただけの質素な物だ。
 俺は再び窓の外の月に視線を戻した。
 ――月は全てを照らす
 頑なに閉ざされた心も、何もかも。
 蒼白い空気が俺を包んでいる。
 月の放つ淡い光とは対照的で冷たく、そして感覚を研ぎ澄ますような蒼白い空気が身体中に纏わりつく。
 俺はその中で必死に生きようとしている。
 誰かの為に生きようと考えた事は、これが初めてだった。
 アドビスにいた頃は、ずっと生かされているような気がしていた。
 自我が無いと言う事は自分の意志で生きる事が出来ないと言う事だ。
 だから時には城を出た事もあった。
 そこで俺の目に映った光景は、色鮮やかな世界だった。
 城の中の閉鎖的な世界は、俺の目にはセピア色に映った。
 全てが統一された空間。
 間違いの許されない世界。
 俺はシオンと言う一個人である前に、アドビス王子としての職務を全うする事を要求される。
 ウィザードであると言う事でさえ疎まれていると言うのに、それ以上に自己を主張する事は許されてはいなかった。
 その時の事を考えると今の生活がとても嬉しい。
 あいつらになら、自分を偽る必要が無いのだから。
 ありのままの自分でいればいいのだから。

「さぁて、明日は大仕事だな」
 俺はそう呟き、ベッドに潜りこんだ。
 ひんやりとした感触が心地いい。
 この時が永遠に続けばいい、と本当に思った。
 しかし、楽しい時はすぐに通り過ぎてしまう。
 だから、今この時を精一杯生きよう。
 決して後悔する事の無いように。
 ウリックは俺を受け入れてくれた。
 だから今度は俺の番だ。
 ――イビス
 ――異世界
 それは死の支配する領域
 人間が足を踏み入れる事を許されない空間
 でも護って見せるさ。
 ウリックだけは、必ず。
 身体全体が軽くなるような感覚を憶え、俺はゆっくりとまどろみの世界へと堕ちて行く。
「……ウリック」
 最後に呟いた言葉はゆっくりと蒼白い夜に吸い込まれていった。

fin

n o t e
この作品の孕んでいるどこと無く埃を被ったような雰囲気――これは私が一番好きな物です。
いつもより長く感じられる時間、無機的な筈の空気が体に絡み付く感触、それらがある意味僕にとってのファンタジー観でもあるのです。
それらを感じていただければ幸いです。

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