necrosis vol.4
sion side///

「ほら、立ち上がれる?」
 暗闇の中に、イリアの硬い声が響き渡った。
「ああ」
 取り敢えず応えてはみる。動けなかったわけでもないし、彼女の前で格好をつけようとした訳でもなかった。だけれど、鉛のように重たい身体を動かす気にはならなかったのだ。

 ピクリともしない俺に痺れを切らせたのだろう。溜息を一つだけ吐いた彼女は、俺の両腕をグッと掴んでみせた。丸太でも扱うように、それを真っ直ぐ一文字に開かせる。
「ッてぇ……って、ちょい待てって! もうちょっと丁寧にっておいっ!」
 俺の抗議など聞こえていないらしい。脇の下に腕を潜らせた彼女は、後ろから俺の身体をギュッと抱きしめてみせた。胸が圧迫されるような感覚に襲われた瞬 間、俺の身体は宙に浮いていた。いや、正確に言えば引き上げられていたというのが正しい。突然の事に身体からフッと力が抜けて、気がついたら、背中越しに 彼女の身体に寄りかかっていた。
「お前、ホントに女かよ?」
 呆れたように呟いてみる。だけれど、帰ってきたのは「歩ける?」という問いかけだった。抑揚のない声からは彼女らしさなど微塵も感じない。感情の類も、一切感じられはしなかった。
「あ、ああ……」
「それじゃ、行くよ」
 そう言った彼女の腕は、しっかりと俺の肩に回されていた。どうやら、このまま部屋まで連れて行こうというつもりらしい。
 彼女に任せるのが最善である事など解っていたのだ。だけれど、これ以上醜態を晒す気にはなれなかった。助けられたと言うだけでも恥ずかしいのに、これ以上面倒をかけられる筈がなかった。
「おいっ、一人で歩けるって!」
 少しだけムキになっていた。彼女とて、それに気付かぬ訳がなかった。いや、彼女だから、といった方が正しいのかもしれない。
 肩を抱いた手に一層の力を込め、俺の顔をギリッと睨み付けてくる彼女。眉間には深い皺が刻まれ、月に照らされた顔は、いつになく蒼白く見えた。怒っている筈なのに、その顔は、今にも泣き出しそうな表情を浮かべていたのだ。それを見て、俺はすっかりと言葉を失っていた。

 静寂に包まれていた。蒼白に彩られた世界は生彩を失い、目の前にいる彼女の一挙手一投足が世界の全てに思えた。そんな静寂が奏でる音に、俺は耳を澄ましていた。
 
 柔らかそうな喉元がゆっくりと上下した。唇を微かに開いて、何かを言おうとしていたのだろうか、それはわなわなと震えているようにも見えた。
 一体何がそうさせていたのだろう。そう考えてみたものの、結局、答えは俺自身だったのだと思う。だから、俺には何も言えなかった。自分の幼い振る舞いが彼女の目にどう映ったのか、それを考えるだけで、恥ずかしくて逃げ出したくなるほどだった。
 
 俺から顔を背けて、彼女がゆっくりと歩き始める。引きずられるようにして俺も歩き始める。彼女は一言も発しはしなかったし、俺の前を進むその顔を見る事 も出来なかった。一体どんな表情をしているのだろう。そのような疑問と共に、不安に似た気持ちが、もくもくと湧き起こってくる。
「怪我」
 喉がカラカラになっていた。たった一言だというのに、その声は酷く掠れて、耳障りなものだった。
 驚いた風に「え……」と言葉を漏らす彼女。足を止め、俺の方へと顔を向けてくる。
「お前、怪我してないよな」
 ハッと息を呑んだのが解った。ぎこちなく視線を落として、それから、躊躇いがちに「うん」と答える。一体何を考えていたのだろう。どうしてそんな顔をしていたのだろう。部屋に戻るまでの間、次々と湧き起こっては消えていく疑問に、軽い困惑を覚えずにはいられなかった。

 蝋燭の炎は既に消えてしまっていた。
 窓からは薄明かりが差し込んできており、二人きりの部屋を、肌に突き刺さるような沈黙が覆い尽くしている。
 ベッドの上にじっと座る俺は、まさにその『静』の雰囲気と同化していた事だろう。一方のイリアは、荷物の中から薬やら包帯やらを取りだして、忙しそうにしている。
『これくらい大丈夫だって』
 喉元まで出かかった台詞をグッと飲み込んだ。言うべきではないと、そう思った。そんな俺の代わりに口を開いたのは彼女だった。
「心配……したんだから」
 気がついたら、目の前に彼女が立ち竦んでいた。
 両の手に薬と包帯を持って、瞳は微かに潤んでいるように見える。月光が刻む陰影は、彼女の表情に一層の影を落としていた。
 ゆっくりと視線を落とす。それ以上見ていられなかった。
 謝らなければならない。そう思った俺は、「悪い」と呟いてから、ギュッと唇を噛み締めた。
 苦々しい味が口いっぱいに広がっていた。自尊心が傷つけられたとか、そういう話ではない。彼女にこんな顔をさせた自分が、きっと許せなかったのだと思う。
 そんな俺の顔を見て、それ以上責める気も失せたのだろう。
 頭上から「手当するから」という言葉が零れ落ちてくる。抑揚のない、酷く落ち着いた声だ。彼女らしくないと、そう思った。
「ああ」
 俯いたまま応える。だけれど、彼女は動こうとしない。視線の向こうにある彼女の足は微動だにしていない。
 どうしたのかと考えてみて、それでも答えは出てこなくて。観念した俺は、気まずさをかなぐり捨てて、躊躇いがちに彼女を見上げた。
 気まずそうな顔をしていたのは彼女だった。「あ…」と妙に甘ったるい言葉を吐き捨て、わざとらしく視線を逸らしてみせる。それから「上着」とポツリと呟いた。

to be continued...

n o t e
最後まで読んで頂きありがとうございました。
この作品は今までになくシビアな物になりましたが如何だったでしょうか?
恐らくこの作品は私の中での転機となるものだと思います。
今までは読者としての希望的観測に基づいて書いていましたが、ここ最近の執筆活動の中で少しずつ考え方が変わってきました。
フィクションの中に偶然など存在せず、そこにあるのは作者の必然のみです。
だから夜麻先生が敢えてシオンを死なせた事も即ち、彼女にとっての必然があったのではないでしょうか?
その様な事を考えながら、版権物というよりかはオリジナル小説を書く時のテイストで書いてみました。

↓E-mail↓返信希望の方のみメアドをご記入下さい。

書き終わりましたら、送信のボタンを押して下さい。

+ 戻る + トップ + Web拍手 +