evergreen vol.1

「それで」
 自室に戻ってきて五分とは経っていない。目の前には真夜中の来訪者が、腕組みをしながらじっと私を見つめていた。背丈は私よりも頭一つ抜きんでた長身。艶やかな黒髪はざっくりと切り落とされているが、決してだらしない風には見えない。齢こそ私と同じ二十四だが、その幼げな顔つきをもってすれば、十代でも通るに違いなかった。一つだけ似つかわしくない所を挙げるとすれば、それは服の上からも解る逞しい筋肉だろう。一つ一つのパーツは賞賛に値するほど美しいが、悲しいかな、そのアンバランスな組み合わせはどこかしら滑稽に見えた。
「それで?」
 オウム返しのように呟いてみる。彼の意図する所は解っていたが、何となく噛み付いてみたい気分だったのだ。先ほどの密会のせいだろうか。胸のあたりにどす黒い靄が立ちこめている気がする。そう言えば、まだ例の実を食べていなかったか。まさか今から貪りつくわけにもいかないし、彼には今しばらく我慢して貰うほか無いようだ。
「どういうつもりなんだ? 俺を呼びつけるなんて」
「風の噂に聞いたの。貴方が戻ってきているって」
「まさか説教をするつもりじゃないだろうな。それとも何か、俺を捕まえるか?」
「捕まえるって、貴方を取り締まる法などこの国には存在しない」
「残念な事に」
「いいえ、幸いな事に」
「幸い? どうかしちまったのか。幸いだと? まさかお前の口からそんな台詞が出てくるとは思わなかったぜ」
「ユリア・セレッティ……知ってる?」
「名前だけなら」
「彼女を雇ったの。私達だけじゃどうしようもなくて。いいえ、別にそれはどうだっていいんだけど。彼女だけじゃない。今や貴方達のお仲間の流入は止まるところを知らない。周囲にそれと気づかれることなく、私達の社会に溶け込んできている」
「それが理由か?」
「止める事が出来ない以上、どう足掻いたって仕方がないわ。もしもこの国に害を為すつもりならば容赦なく斬り捨てる。でもそうでないなら」
「看過すると」
「私達だって、不要な衝突を望んでいるわけではないわ。貴方達同様」
「俺が味方だと?」
「少なくとも敵で無ければそれでいい」
「大人になったな」
「お陰様で」
「それじゃ、そろそろ本題に入らないか。どうして俺を?」
「私、狙われてるの」
 彼の表情が強張っていくのが手に取るように解った。ありがたい事に、この幼馴染みは裏切り者呼ばわりした嘗ての親友の事を心配してくれているらしい。私がこのような態度を取っているにも関わらずだ。
「誰に?」
「同僚よ。彼にとって不利益になるであろう情報を私が手に入れたから」
「手に入れたって、お前自らの意志でって事か?」
「ええ」
「どうしてそんな事を」
「危険因子を放置しておくわけにはいかない」
「だからって、好きこのんで危険に飛び込んでいく馬鹿がどこにいる」
 返す言葉がないというのが正直な所だった。彼の言葉は、今の私をぴたりと言い当てていたから。それを否定できるだけの勇気など持ち合わせていなかった。
 彼にも解る程動揺を露わにしていたらしい。気まずそうに項垂れた彼は、ただ一言「悪い」と言い添えて黙り込んでしまった。
 二人の間に沈痛な静寂が訪れる。
 まるで針のむしろに座っているような気分だ。彼に責任はないとはいえ、このような状態に至らせた事を恨みつつ、その原因が自分である事に何とも言えない苛立ちを覚えていた。
「別に。別に良いのよ。だって事実だもの。それよりも本題に入りましょう。こんな事を話すために呼んだ訳じゃないわ」
「ああ」
「貴方には私のボディガードをして欲しいの。夜が明けるまで」
「どうして俺に? 有能な兵士くらい、部下に五万といるだろう」
「ええ」
「なら俺が引き受ける理由はない」
「あるわ」
「どこに?」
 そう訊いてくるであろう事くらい解っていた。だけれど、出来れば答えたくなどなかった。それは自らのプライドをかなぐり捨てる事になるのだから。
 彼は私を見つめたまま、瞬き一つしようとはしない。まるで、表情の動き一つ見逃すまいとしているように。私の態度に対する復讐などではない。彼自身が納得する為、これは必要なプロセスなのだ。
「あるのよ」
 消え入りそうな声で言って、視線を床に落とした。
 自分を鼓舞するようにグッと拳を握りしめる。掌に食い込んできた爪が鋭く痛んだ。その痛みは、鈍りかかった思考を一気に研ぎ澄ましてくれた。
「私に命を預けられるような部下などいない」
 私が一生懸命積み上げてきたものなど、所詮はそのような現実にすぎなかったのだ。そして、この時程自分が虚しく思えた事は無かった。

to be continued...


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