evergreen vol.2

「彼はきっと今夜中に仕掛けてくるわ」
「明日……王位継承の儀か」
「ええ。関係ないわけがない。だけれど、彼は黒幕ではない」
「どうして言い切れる?」
「解るわよ」
「だから、どうして?」
「女の勘ってヤツ」
「シェーナ」
「それは半分本当。今に解るわ。幸いな事に、彼は私を見くびっている。そこにこそ勝機を見いだせるかもしれない。半ば賭けというわけ」
「火傷じゃすまないぞ」
「そんな事、貴方に言われなくたって解ってるわ。いい、今から言う事をしっかりと聞いてちょうだい」
「ああ」
「ここで騒ぎを起こすのは得策ではない。だから、場所を移しましょう」
「どうしてそうなる」
「どうしてって、何が?」
「だから、どうしてここじゃまずいんだって話だよ」
「それはつまり、まずいからよ。だってそうでしょ。ここで取っ組み合いにでもなったら、それが誰かに見つかりでもしたら、それこそ大騒ぎになるわ。そうしたら自由に動けなくなるもの」
「じゃあ、どうするんだよ?」
「そうね……私は明日の事が気になってなかなか眠れない。だから、気分転換がてら散歩に出るの」
「真夜中の徘徊か。結構な事だ」
「でしょ? 私は一人で色々考えたいし、下手に出歩いて酔っぱらいに絡まれるのもごめんなの。だから」
「夜間の外出は禁止じゃなかったのか? 自分たちで決めたクセに、もう忘れてやがる」
「だったら、巡回の兵士達と顔をあわせたくないから。それでもいいわ。とにかく、どこか人目につかないところに行きたいと、こういうわけ」
「それで、のこのこと森までお散歩に出かける訳か」
「まあ、それも良いわね」
「月も出てない、こんな夜に」
「ええ」
「ナンセンスもいいとこだ。だって、あからさまに怪しいじゃないか。これじゃ、まるで襲ってくれって言ってるようなもんだろ」
「だから、言ってるのよ」
「罠だと解っていて、誰が好きこのんでのってくるんだ?」
「来るわよ」
「どうして? プロなら、そんなのは踏んだりしない。もっといい手を考えるさ。こちらの裏をかいて。策士ヅラかいて悦にいるのも良いが、ミイラ取りがミイラになっちゃ世話無いぞ」
「そっちこそ、どうしてプロだって思うの?」
「だってそうだろ? 暗殺するのに、わざわざシロウトなんて送っちゃこない」
「私はそうは思わない。近衛騎士団は関与しないし、彼は自ら手を汚したりはしない。自分にたどり着くような駒を使いはしないわ。それにね、素人を使った方が、いざといった時に簡単に切り捨てられる。スケープゴートにしてね。第一」
「何だ?」
「たかだか私を消すくらいで、高い金なんか使いやしないわ」
「全部お見通しってか?」
「まさか。これも一つの賭けよ」
「チップはお前の命か」
「まあ、そんな所ね」
 不意に彼の顔が歪んだ。さっきまでの呆れ顔が嘘のように、眉間に皺を寄せて、両の目でグッと睨み付けてきて。その瞬間、私はハッとしたのだ。悟られたと、そう確信した。
「なあ……お前まさか」
 言葉を飲み込んでしまう彼。その先に触れてはならないと、そう思ったのだろうか。それとも、私の「賭け」の意味を悟ったのだろうか。いずれにせよ、私は心の中でほっと胸をなで下ろしていた。
 

 薄暗い森の中を歩きながら、先ほどの会話を思い返していた。
 何故そこまでするのかと彼は訊ねてきた。私にはそれしかないと答えた。驚く程自然にその言葉を吐いていた。そこに真実を見出していたのだ。
 私が拠り所にしているものーーそれは今にも崩れ落ちそうなこのアドビスという老国。馬鹿げているにも程がある。固執する程の価値など無いのに、だけれど、私は気付いてしまった。今の私から肩書きを取ってしまえば、後には何も残りはしないという事を。私が後生大事にしていたのは、ちっぽけな虚栄に過ぎないという事を。もしかしたら、そこから解き放たれたいと欲しているのかもしれない。だからこんな事をしているのかも。
 不意に、小枝を踏みしめる乾いた音が響き渡った。
 私はその場に足を止めて、口の中にたまった唾をゴクリと飲み込む。
 喉の奥に粘ついた液体が絡まりついてくる。心臓が大きく波打って、体中の血液が頭に上っていくような嫌な感じがした。
 ここで、ある思いがふっとわき起こってきたのだ。この流れに身を任せたなら、もしかしたら、私は楽になれるのかもしれないと。
 不意に動悸が速くなって、精神が昂ぶっていくのを全身で感じていた。
 体中の毛がぞわりと逆立っていく。歓喜だか狂気だかが喉元までこみ上げてきて、少しでも気を抜いたら、それは縛めを解かれたプロメテウスによろしく、この皮膚を突き破って外に出ようとするであろう。詩的な狂気の世界に支配されつつある自分を何とか律しつつ、私は再び足を踏み出していった。
 一歩、また一歩。踏みしめる毎に木霊するもう一つの足音。それは少しずつ早くなって、私との距離を徐々に狭めていく。そして次に足を止めた瞬間、地面が抉れる乾いた音が飛び込んできた。
 反射的に身体を翻す私。細長い光の残像が目に焼き付いて、思わず突き出した腕に鋭い痛みが駆け抜けていった。
「クソッ!!」
「今よ!」
 そう叫んだ時には全てが終わっていたのだ。
 目の前を横切っていった『黒い塊』は凶器を携えた裏切り者の身体を勢いよく突き飛ばして、私が振り返った時には、既に握りしめた拳を振り下ろそうとしていた。
「ユウ、駄目よ!!」
 寸での所で動きを止める彼の拳。何者かの情けない声が響き渡って、彼は行き場を失った拳を改めて地面に叩きつけた。
「クソッ……お前、大丈夫か?」
「ええ、何とかね」
「どうして止めた」
「解ってるでしょ」
 彼の下で無様な姿を晒している男をジロリと睨み付けてやる。奴が持っていたのが短剣でなければ、今頃は腕を切り落とされていたところだ。そう考えると、今更ながらに血の気が引いていく思いがした。
「よくものこのことやってきたものね。貴方が知っている事、洗いざらい話して貰うわよ」
 男は私と視線を合わせようとはしなかった。ただガタガタと震えて、大きく見開いた眼をギョロギョロと動かしているだけだ。そこからも、彼がそう言った訓練を受けていないのは明らかだったのだ。だとすれば落とすのは容易い筈だ。脅し文句を二三並べ立ててやれば、貝のように閉じた口も饒舌になるというものだろう。
「さあ、もう時間がないわ。話してしまった方が身のためだと思うけど?」
「しっ……わ、私は何も知らない! 本当だ! 信じてくれ!!」
「だったら、どうして私を殺そうとしたの?」
「金を、金を渡されて……そう、400アルだ! 殺したらもう600アルくれるって言われたんだ!」
「誰に?」
「会った事がないから解らない。本当だ!」
「それはおかしいわね。じゃあどうやって金を受け取ったのよ?」
「本当に知らないんだ! 嘘はついていない! 頼むから命だけは……!!」
「安心しなさい。貴方に危害を加えるつもりはないわ。ジェローニモさん」
 その名を口にした瞬間、彼の動きがピタッと止まった。
 暗闇の中に大きな目が浮かび上がって、その目は、私を見つめたまま微動だにしない。
「どうして……」
「私、貴方の事には結構詳しいのよ。割と派手に動いてくれていたから、いろいろと調べさせてもらったわ。例えば……そうね。貴方には10年前に結婚した奥さんがいる。名前は、そう、リタ。年は私よりも五歳上ね。と言っても、同い年と言っても通じる程の美人。家庭円満が若さの秘訣かしら? それから、三人の子供もいるわね。上からルーシェ、ヴェロニカ、そしてリーア」
「え……あ……」
「リーアちゃんは去年生まれたばかり。今が可愛い盛りね。ねえ、ちょっと考えて欲しいのよ。私は貴方が悪人だなんて思っていないわ。嘘じゃないわよ。だからそんな顔をしないで頂戴。私には解るの。あなたは、ただ守りたかっただけなのよね。家族を、守りたかった。その為に必要なのは何? 貴方はきっとこう答えるでしょう。お金が無いと家族を養っていけない、と。そして、彼は貴方にこう持ちかけた。彼らとの橋渡しをする引き替えに生活は保障してやると。違うかしら?」
「…………」
「でも皮肉なものよね。大切な家族を守ろうとしたその事が、反って失う結果を導いたとしたら」
「家族をどうした!?」
「まだ何もしてないわよ。だって、切り札は最後まで取っておかなければ意味がないもの。何なら貴方の目の前で一人ずつ殺していっても良いのよ」
「脅しだ! 私が信じると思ってるのか!?」
「だったらどうして狼狽えるの? そんな事出来ないと本当に思ってる? それなら考えを改めた方が良いわ。だって、アドビスは関係ないもの。これは飽くまで私個人が独断で行っている事。私一人が責任を取ればよいだけの話だわ」
「…………」
「もう一度言うわよ。知っている事を洗いざらい話しなさい。そして、それを女王の前で証言するの。そうすれば彼は身分を剥奪され、拘束される事となる。貴方の家族に手を出せはしないわ。もちろん私だってそうするつもりはない。貴方に選択の余地はない。そうでしょ?」

to be continued...


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