残酷な運命の環に捕らわれたこの国は、その内でもがき苦しみ、崩壊の一途を辿ろうとしている。私自身解っているのだ。自分のしようとしている事が如何に無謀か。目に見えぬ巨大な力を前にして、私という人間が如何に無力であるか。それでも、私は前に進むしかない。決して後ろは振り向かず、迫り来る闇から逃げるしかない。それは決して前向きな前進ではなく、限りなく後ろ向きな前進に他ならない。

e v e r g r e e n

 ミト様の身体がぐらりと揺れた瞬間、頭上をどす黒い光の玉が駆け抜けていった。
 クソッ、と悪態をつきながら走り始めて、崩れ落ちる寸前のミト様をギュッと抱き留める。その僅かばかりの間の記憶を私は有していない。ただミト様の顔を間近で見た瞬間、私はハッと我に返って、そして心臓を抉られるような嫌な感覚に捕らわれたのだ。ミト様の顔から首筋にかけて、焼け爛れた傷口がパックリと開いて、そこから赤黒い血が止めどなく溢れ出していた。素人目にも、女王が危機的な状況にあるのは明らかだったのだ。
「ミト!!」
 背後から飛び込んでくるのはシオンの声だ。私から引ったくるように女王の身体を抱き寄せる彼。身体を小刻みに揺さぶって、彼女の名を何度も叫んでいる。その光景を見つめながら、私は己が為すべき事をようやく思い出したのだ。
「女王を安全な所へ! 回復は私がやる!」
 彼の答えを待たずに、女王の首筋に両の手を当てていた。出来る限り早く、正確に呪文の詠唱を始める。掌から蒼白の光が浮かび上がって、それは生々しい傷口の中へと溶け込むように入っていく。
「動かすぞ!」
「ええ、緊急避難用の地下壕があるから、私が案内するわ!」

 私たちは戦闘の合間を縫うようにして女王を運んでいった。シオンが女王の頭を、イリアが足を持って、その横に私が張り付いている。兵士達は周りを取り囲んでいる。決して数は多くない。それでも、彼らは身をもって盾となってくれていた。
 一人、また一人と倒れていく兵士達。もしかしたら助ける事が出来たのかも知れない。それでも、私たちは決して立ち止まる訳にはいかなかったのだ。シオンとイリアは足を縺れさせながらも、女王を落とすまいと必死に踏ん張って、私は己のキャパシティを遙かに超えた魔力を惜しげなく投入していた。誰もが女王を助けようと躍起になっていた。その対価が己の命である事も厭わずに。

 地下壕についた時、既に護衛の兵士達は一人も残ってはいなかった。二人は女王の身体を床に横たえ、私は今まで以上に強力な魔法の詠唱を始めていた。目の前に浮かび上がった蒼白の光は私の思考までも侵して、徐々に頭の中が真っ白になっていく。自分で何をしているのかすらよく解らなくて、体中が酷くだるくなって、それでも、私の口は詠唱を止めようとはしなかった。たとえ意識が途切れようとも、身体が覚えているのだ。何をすべきなのか。そして、その目的を果たすためであれば、自分自身どうなっても良いとすら思っていた。
 だが、シオンが私の肩を掴んだ瞬間、ハッと我に返ったのだ。唇が不意に動きを止めて、呆然とした私は、虚ろな瞳に彼の顔を映していた。
「少しはセーブしろ! そのままじゃお前がやられちまうぞ」
 真っ白になった頭の中で、彼の言葉が浮遊を始める。
 まるでどこか遠くの世界の話を聞いているようだった。その言葉の意味を察するまでに、しばらくの時間が必要だったのだ。そして再び我に返った時、彼はどこからか神官を連れてきていた。
「お前は少し休んでろ。後はこいつが引き継ぐ」
 目の前には薄茶けたローブを羽織った女が、挨拶代わりにかニコッと笑っていた。顔つきは険しかったが、決して引きつった笑みには見えない。そう、彼女はハギス神官……きっとそうなのだろう。
「あとは私が」
 そう言って私の手を横に退ける。
 抗うつもりはなかった。正確に言えば、抗う事など出来はしなかったのだ。急激に力を使いすぎてしまった今の私に、これ以上出来る事など殆どありはしなかった。全くないというわけではない。だけれど、私に出来る以上の事が彼女には出来るーーそれは明らかだったのだ。それが解らない程馬鹿ではないし、自分の限界くらい弁えている。私しかいなかったのなら、この命を削ってでも続けていたろうけど。
 ハギス神官はもう一度ニコリと笑って、それから女王の身体にそっと手を触れた。その手からうっすらと赤い光が産み落とされる。まるで流れる水に染料を溶かしたように、その光はゆっくりと女王の身体を取り囲んでいく。彼女が使おうとしている術が如何に高度なものか、それを理解するに足る程の波動を全身で感じていた。
 きっと大丈夫だろうとでも思ったのだろうか。体中からフッと力が抜けて、私はへたり込むように地面に腰を下ろしていた。
 未だに思考はぼんやりとしたままだ。だけれど、殺伐とした感情はいくらかなりを潜めていた。しかし、安心したのも束の間。すぐにシオンとイリアが言い争う声が飛び込んできたのだ。
「駄目だよ! シオンもここにいなきゃ! 外に出たら危ないんだから!!」
「それは解ってる。でも、俺にはやらなければならない事がある。この国のため、民のために」
「でも」
「大丈夫だ。俺は死なない」
「シオン……」
 それから、彼はおもむろに私の顔を見つめてきた。その先を促すよう、私も彼の瞳を見つめ返す。
「コイツを頼むぞ」
 そのギラついた瞳は、闘志を丸出しにした獣のようにすら見えたのだ。平生の彼が見せるどこか冷ややかな瞳とは違う。その目は、男そのものであった。
「行くのね」
 彼の中で、既に答えは決まっているのだ。イリアや私が何を言おうと、その決意は決して揺らぎはしないだろう。何故なら、彼は見つけてしまったから。アドビスの王子としての自分を、再び見つけてしまったのだから。
「ああ」
「……思う存分やってきなさい。だけれど、決して彼女を悲しませない事。慰め役はごめんよ」
「ふふっ、解ってるさ」
 それだけ言って、彼はサッと身体を翻した。イリアには何も言わず、何も言わせず、そのまま外に向かって歩いていく。そんな彼を見送りながら、私は今更ながら思い出していたのだ。
 彼は決して笑ってなどいなかった。口元に浮かべた笑みは、彼の意思を隠すための物でしかなかったのだと思う。それに彼女が気付いているのか、それを考えるだけで胸がキリキリと痛んだ。

to be continued...


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