おざなりな朝食をとった後、俺達は城下の外れまでやってきていた。 周囲とは違う、ある種異質な雰囲気を纏ったこの一帯は、貴族達のベッドタウンとなっている。正確に言えば「なっていた」というのが正しいが、それには多少の説明を加える必要があるだろう。そう、数日前にこのアドビスを襲った忌まわしい出来事について、ここで触れておかなければならない。 父王の謀殺、その後を継いだ母が溺れた政治的腐敗ーー完全に弱体化してしまったアドビスは、魔物達の侵攻を受けて、あっさりと国を明け渡してしまった。彼らを最奥まで導き入れてしまったのだ。そして、アドビスがその内部から崩壊しようとしていた時、俺達は再びこの国を訪れた。忌まわしくもあり、心の奥底では密かに愛していた、この故郷に。そして、かつてそう呼ばれていた王子としての役割を、俺は果たす事となる。呪われたウィザードの力を使って、この国を崩壊の一歩手前から救い出したのだ。しかし、犠牲が無かったわけではない。激しい攻防の中でアドビス城は破壊され、多くの犠牲者をも出してしまった。国の中枢が完全に麻痺した状態の中、回復の手始めとして貴族の屋敷が接収され、そこで公務が再開された。そして彼女たっての希望によって、俺自身も国の復興に携わる事になった。今から開かれるのはその為の会議であり、俺達はミトの待つ部屋へと向かっているのだ。そういう訳なのでシャキッと行きたいのだが、先ほどの一件のおかげか、二人の雰囲気は最悪。イリアの奴、さっきから一言も口をきかないときた。 「まだ気にしてるのか?」 肩を怒らせながら前を歩く彼女に、呆れた風に、言葉を投げかけてみる。 「別に」 「あのなぁ……じゃあ何でそんな言い方するんだよ?」 「そんな言い方って、どんな言い方だよ?」 「だからその言い方だろうが。大体、お前の寝相が悪いからあんな事になるんだぞ? それに、あんな糸のほつれたようなパジャマをいつまでも着てるから……」 「シオンが選んでくれたから……だから大切に着てるんじゃないか」 「あ……」 「それに、私ばっか責めて、何か言う事はないの?」 「何かって何だよ?」 「勝手に人の布団はいで、私の……私の…………あぁ、もうっ! だから『ごめん』の一言くらいあってもいいでしょ!?」 「だから悪かったって言ってるだろうが」 「いつ言ったんだよ?」 「今さっき言ったじゃねぇか」 「そんなの言ったうちにはいんないよ! シオンは自分が何やったか解ってるの? 私ものすごく恥ずかしかったんだからね?」 「だからって、いつまでもびーびー言う事ねぇだろ? 大体……お前の裸なんて見たって何とも思わねぇって」 不意に彼女が足を止める。妙に大きく見える彼女の背中は微動だにしないし、口を開こうとする様子も微塵もない。時間だけが刻一刻と過ぎ去っていって、俺の中に不安と苛立ちがじわじわとわき起こってくる。 「おい……」 「ねえ」 「な……何だよ?」 「…………」 「…………」 「…………」 「…………」 「カイギ、もう始まっちゃうんじゃない?」 「え……?」 「早く行かなきゃ、皆に迷惑かけちゃうよ」 驚くほど落ち着いた声に、思わず面食らってしまう。そんな俺の事などお構いなしに、彼女は無言のまま、すたすたと歩いていってしまった。 「何だよ……あいつ」 俺の中で判然としないものはあったけれど、怒っていないならそれでいいか。我ながら随分と安直な答えを出して、そして再び彼女の後を追っていった。
「遅れてすまなかったな」 部屋の中に入ってまず感じたもの、それは酷く重苦しい空気だった。どんよりしているというか、停滞しているというか、形容の仕方はいくらでもあるだろう。その中で確かなのは、それが先に進むのを途惑わせるに足るものであると言う事。この場にいる事が酷く不自然な気がして、俺達はただ立ち止まったまま、手探りするように辺りを見回す事しか出来なかった。しかも顔は動かさずに、目だけをきょろきょろと動かしながら。 「いえ、今集まった所よ。そちらの席にどうぞ」 そう話しかけてきたのは、眼鏡をかけた、如何にも知的そうな女だった。色の薄い金髪は肩の上で切りそろえられて、そういうイメージを与えるのに、いくらか役立っているように思える。派手とは縁遠い、モノトーンで統一した服も、もしかしたらそういう意図が込められているのかもしれない。シェーナ・ラトカーナ……確かそんな名前だったか。ミトの側近であり、神官以外で要職に就いている唯一の女だ。 「こいつらは何だ?」 続いて口を開いたのは、熊みたいに身体の大きな男だった。身なりに気を遣わないタチなのか、髪の毛も髭も、随分とぐしゃぐしゃでだらしない風になっている。シェーナとは全く対照的な感じだ。 「この前の騒動でこの国を救ってくれた英雄よ、ホレース。実績を買って相談役に登用したわ」 ホレースと呼ばれた熊男は、いかにも気にくわない風にフンッと鼻を鳴らして、椅子にふんぞり返ってみせた。その姿を呆れた顔で一瞥したシェーナは、再び俺達の方に向き直って、何も無かったように話を続ける。 「最初に顔合わせだけ済ませてしまいましょうか。今すぐに覚えろと言うのも無理だろうと思うけれど、まあおいおいね」 「ああ」 「今の彼はホレース。王国騎士団の長……この国の治安全般を担当してるわ。王国騎士団は旧星室庁の機能も内包しているけれど、その実質的な決定権は女王に移行している。この前の一件を踏まえてね」 「なるほどな」 「その隣の彼はヒルダ。魔導研究所の所長よ」 「ああ、知ってる」 「あら、お知り合い?」 「先の一件でね、うちにいらっしゃったんですよ」 補足するようにヒルダが口を開いた。それから眼鏡に軽く指を添えて、口の端を斜めに歪めてみせた。それは恐らく彼の癖なのだろう。少し大きめの白衣に、キノコのような形に切りそろえられた髪の毛、いかにも研究者っぽい容貌だ。 「そうだったの。それじゃあそのくらいで。各神官長についてはご存じね? オフィエル、ハギト、ファレグ、ベトール、アラトロン、それぞれがヒエラルキーの頂点に位置し、最高決定権を有している」 「ああ」 「それから、彼はニール。近衛騎士団の長よ」 その男の顔を見た瞬間、胸がざわつくような感覚を禁じ得なかった。不安や苛立ち、そんなネガティブな感情が一気にわき起こってくる。そう、問題はこの男なのだ。いや、この男自身に問題があるわけじゃない。いけ好かないヤツである事に違いはないが、今それは問題じゃない。問題は彼がザードそっくりであるという事。イリアの奴ときたら、こいつの顔を見る度に嬉しそうにしやがる。今だってニコニコしやがって……無性にムカついて仕方がなかった。別にこいつが誰に好意を持とうと関係ない筈なのに、今すぐにでもあいつから顔を背けさせてやりたくなる。でも、いかにも余裕のない自分を見せるのはしゃくだから、いつもの風に何もなかった『ふり』を決め込んでいる。出来る限りイリアの顔も見ないようにして。 「どうかした?」 「え……」 「いえ、呆っとしてるようだったから」 「ああ……いや、何でもない。続けてくれ」 「解ったわ。それでは皆さんに彼らの紹介を。先ほども軽く触れましたが、こちらはシオンとイリア。魔物の手に落ちたアドビスを救った英雄達です。その実績もさることながら、政治や経済についての深い見識も鑑みて、相談役をお願い致しました。この件は既に女王の了承も得ております。特に問題は無いかと思いますが、何かご意見等ありましたらこの場でどうぞ」 「「…………」」 「解りました。それでは本題に入りたいと思います。最初の案件ですが、皆さんも既にご存じの事と思います、城下で発生している連続殺人事件についてです」 「ちょっといいかな?」 「はい、ニール」 「今ここで話し合うような事かな。いや、要するにね、僕らは忙しい時間を割いてこうやって集まっているわけだ。そんな事はホレース大先生にでも任せて、僕らにはもっと建設的な時間の使い方があるんじゃないかと、こういう事だ」 「何だと!?」 椅子から立ち上がったホレースがニールを睨み付ける。頭に血が上ったか、今にも飛びかかっていきそうな勢いだ。対するニールは鼻で笑うような仕草を見せて、いかにも彼を挑発しているようだった。 「二人ともやめなさい。ほら、座って。今から説明します。文句があるならそれから言って頂戴。いい?」 「ふんっ」 「ああ、解ったよ。話の腰を折って悪かったね」 「続けます。現在の所までで被害者は七名。いずれも男性で、夜から深夜にかけて外出した際に襲われた模様です。死因については、検死を行ったヒルダから話して貰いたいと思います。いいかしら?」 「ああ、構わないよ。それでは私から説明しましょう。まずは死因ですが、これは七名ともほぼ共通しているように思われます。動脈損傷による出血性ショック……大方はそんな所でしょう。まあ襲われた瞬間に即死したという事も考えられますが、これはそう重要な事じゃない。注目すべきは遺体に残されている傷痕です。大別すると二種類。つまり、爪でひっかいたものと見られる裂傷と咬み傷ですね」 「動物か」 その話に興味を持ったか、ニールが身体を前のめりにしながら訊ねてくる。ヒルダは一瞬ほど視線を上に向けると、「フン」と喉の奥を鳴らして、再び話を続けた。 「まあそうには違いないでしょうが、犬猫にやられたようなものではないという事は確かでしょうね」 「となると……魔物ですか」 神官長の一人が漏らした言葉に、一同が騒然とする。無理もない。それは城下に魔物の侵入を許してしまったという事を意味しているのだから。 「そう考えるのが妥当でしょうね。勿論即断は禁物ですが、十中八九そう考えて差し支えはないでしょう。問題はどこから侵入してきたのか、何故侵入を許してしまったのか、今どこにいるのか……といったところですか」 「ホレース、夜間の警備はどうなっているの?」 次に口を開いたのはシェーナだった。硬い表情<カオ>をしているものの、そこから何らかの感情を読み取る事は出来なかった。意図的にそうしていたのだろうと、俺は直感でそう思った。それは嘗ての俺が浮かべていた表情と酷似していたから。 「夜間は全ての街門に兵士を配している。警備に問題はない」 「数は?」 「一つの門に対して一人、計四十二名だ」 「ほらほらほら」 「何が言いたい、ニール」 「別に、ただ少なすぎやしないかと思ってね。居眠りでもしたらどうなるんだい? 彼らは兵士である以前に人間なんだ。過信は禁物だよ」 「ふんっ、兵士の数が足らないんだ。仕方なかろう。夜警の数を増やして昼間の警備が手薄になったら本末転倒だ。前から兵士の数を増やすよう言っているのに、金がないと、こうだ。俺に何を言っても仕方なかろう」 「あんな事があった後よ。国の復興にもそれなりの資金が必要となります。予算は優先順位に従って配分しないと」 「だったら文句など言わない事だ。ただでさえ少ない兵士を、これ以上やりくりしろと言われたって無理な話だ。だろう?」 「それをどうにかするのが君の仕事だろう? じゃないと僕の所にしわ寄せがくるんだ」 「しわ寄せだと? 笑わせるな! 何を言っても動かんくせに!」 「何だと!?」 「やめなさい!」 それまで沈黙を守っていたミトの叫び声が部屋中に響き渡る。それが余程意外だったか、ホレースとニールはバツが悪そうに頭を垂れて、苦々しげにため息を吐き捨てた。 「民の命がかかっている事です。予算なら何とかしましょう。ホレースは早急に必要な人員の見積もりを出して。それでいいかしら?」 「……ええ」 「シェーナ、先を続けなさい」 「あ……はい。それでは、王位継承の儀についての話に移りたいと思います。大綱については、先に審議した通りで、特に大きな変更はありません。お手元の資料でご確認下さい。本日は警備について、更に詰めていきたいと思います。資料の最後に添付してあります地図をご覧下さい。当日はこちらから城下中央まで大規模なパレードを催す予定ですが、現状を考えれば、何らかの混乱ないしは予想外の事態が発生する可能性を捨てきる事は出来ません。しかし、このパレードの意義を考えるのなら、数に依存した警護が良いとは、必ずしも言えないでしょう。つまり、最小限の防護によって最大限の効果をひき出す事が肝要と言えます」 シェーナの話に耳を傾けながら、俺の顔は自然とイリアの方に向いていた。予想していた通り、彼女の瞳はじっとニールをとらえていた。口の端には微かな笑みが浮かんで、その幸せそうな顔は、まるで愛しい者を見つめているような、そんな風にすら思えてしまう。 初めて彼女を見た時に抱いた感情がこの胸を締め付け、あの時は決して感じる事の無かった苛立ちが、その頸木をへし折ろうとしていた。 |
fin
|
|