ressurection vol.15

「ユーリ!!」
 視界の内に奴を捉えた瞬間、俺はあらん限りの大声でその名を叫んでいた。壁にぶつかり合った声は、少しずつ歪みを増しながら、通路の奥へと反響していく。それが聞こえぬわけがなかったし、他の誰に向けられたものでもないことは明らかだった。
 ユーリが徐に足を止める。ひとたびの静寂が訪れるが、それも長くは続かなかった。どこからともなく、苦しげな呻き声が響き渡ってきたのだ。きっと魔物のものであろう。全ての元凶となったそれが、このどこかに潜んでいるのだ。
「どうしてこんな事をした」
 背中から生ぬるい風が吹き込んできた。それはユーリの髪の毛をユラユラと揺らし、身に纏ったローブをその内に孕ませていた。原色の糸で織られた衣装は、きっと、彼の故郷のものなのだろう。
「何を仰っているのやら」
「ふざけるんじゃない! 何故こんな馬鹿なことをしたんだ!!」
 暗闇の中を、俺の声が木魂していく。「何故?」と問いかけるように呟いた彼は、その身をおもむろに翻すと、俺の目をじっと見つめてきた。白目の部分が蒼白の光を宿して、ヌラヌラと妖しい輝きを放っている。
「お前達が余計なことをしなければ、この国の覇権は今頃我々が握っていたものを」
「そんなことの為に……そんなことの為に無実の人々の命を奪ったというのか」
「無実だと? 本気でそんな風に思っているわけじゃないんだろ?」
「俺は至って本気だ。お前らのエゴを満たす為に犠牲にしていい命なんてありはしない」
「ハッ、俺があのもうろくじじいの理想に共鳴したとでも思っているのか? ふふっ、それこそ馬鹿げてる。お前に虐げられた者達の気持ちがわかるのか? 為す術もなく、むざむざと殺されていった者達の気持ちが。それを黙って見ていた者達も同罪だ。無実だと? 笑わせるんじゃない! これは罪人に対する復讐だ。俺達はその死刑執行人となる」
 奴の口元が醜く歪んで、その瞬間だった。頭上から物凄い爆音が聞こえてきて、地面がぐらりと大きく揺れる。天井からはパラパラと小石が落ちて、あっという間に四方へと細い亀裂が走っていった。
「彼らは解き放たれた。まもなく暴走を始めるぞ。こんな所にいていいのか?」
 手をギュッと握りしめていた。爪の間から火傷しそうな程の熱気が洩れて、拳が蒼白い光に包まれていく。しかし、決してその力を解き放ちはしなかった。
「行くぞ、イリア」
 そして身体を翻した。イリアと視線が交差する。今にも泣き出しそうな瞳で俺を見つめていた。それを振り解いた俺は、彼女の手を取ると、乱暴に引っ張って歩き出していた。
 その判断が正しかったかどうかは解らない。だが、俺に刑を執行する権利はないと、そう確信していた。決して境遇からではない。彼を裁く権利など、神を除いて、誰にもありはしないのだ。この瞬間、俺は初めて神の存在を信じていた。


 地上に戻ってきた俺達がまず目にしたのは、ロッドを天に振りかざした神官達の姿だった。詠唱の言葉が幾重にも連なって、その術が発動した瞬間、空を覆う巨大な結界が姿を現す。頭上高くで群れていたガーゴイル達は、結界に阻まれてなかなか地上に降り立つことが出来ない。しかし奴らも頭を使ったか、すぐさま結界の及ばない場所まで飛んでいくと、そこから獲物を目掛けて滑空しようとする。それをまた神官達が止めて、その繰り返しだ。地上にも多くの魔物が放たれていたようだ。鉈のような大剣を持った傭兵達が、猛撃を食い止めようと必死に戦っていた。目前に広がっていたのは、まさに人間と魔物のタペストリーであったのだ。混戦を繰りかえしていく中で、積み上げられていく死肉は、もはや人間と魔物の別も解りはしない。その様な惨状の中で、俺達はただひたすらミトの姿を探していた。逃げ惑う人々の間を縫って、見慣れたはずのその姿を必死になって探していく。シェーナの計画通りに動いていれば、一行はこの先にいるはずだ。そう思って角を曲がると、はたして、そこにミト達はいた。
 ミトは幌のない馬車の上にすっくと立って、掌に水のようなものを垂らしていた。それをギュッと握りしめ、腕を前に突き出すと、地面に向かってパッと手を開く。零れ落ちた水はあっという間に土の中へと呑み込まれていって、その直後、この地に刻まれた結界が淡く輝きだしていた。
「少しは時間稼ぎが出来るでしょう。今の内にケリをつけないと!」
「それは私達の仕事です! 女王は早く安全な所へ!」
 そう続けるのはシェーナだ。傷口が開いたか、法衣の袖口は血でぐっしょりと濡れそぼっている。それでも、頭の中にはミトを逃がすことしかなかったようだ。自分の事など我関せずといった感じで、ミトの腕をぐいぐいと引っ張っていた。
「いいえ、私は逃げないわ」
「女王!」
「皆を置いて、私一人のこのこ逃げろというの? そんな事出来るわけがないでしょう! あなた達も、私の警護はいいから、早く事態の収拾にあたりなさい!」
「しかし!!」
「ホレース、非戦闘員の保護を最優先にしなさい。後は貴方に任せるわ!」
「承知しました!」
「ジャニス、神官達を集めて救援部隊を組織して。早く!」
「はい、すぐに!」
「女王」
「シェーナ、私は逃げないわよ」
「今の兵力ではとても持ちこたえられません。隣国に援助を頼みましょう」
「駄目よ」
「無理です!」
「そんなことをしても無駄よ! 乗り切れるわけがない。応援が来る頃には全滅しているわ」
「だったらーー」
「武器庫を解放しなさい」
「え……」
 そしてシェーナから視線を外すミト。その目は逃げ惑う民達に向けられていた。
「聞きなさい! 武器庫を解放するわ。戦える力の残っている者は剣を取りなさい。私達の国は私達で守るのよ!」
「危ないっ!」
 ミトの演説にイリアの叫び声が重なる。反射的に振り返ると、そこには転んで泣き喚く子供が、それを格好の餌にしようと滑空を始めるガーゴイルの姿があった。
 俺は何ら迷うことなく魔法を放っていた。両の手から放たれた白と黒の光の玉は、空中で何度も交差を繰り返しながら、ガーゴイルの目前で轟音と共に爆散する。奴の頭はグシャッと砕け散って、胴体だけになった身体は無惨にも地面に叩きつけられていった。
 一部始終を見ていた者達の間に「ウィザード」という言葉が次々と沸き起こっていた。
 俺にとっては特別なことではなかった。しかし、それはミトの逆鱗に触れたようだった。「黙りなさい!」と叫んだ彼女は、その者達の顔をギリっと睨み付ける。
「あなたちは敵と味方の区別もつかないの!? いい加減になさーー」
 その言葉を遮るように、鼓膜が破れてしまう程の爆音が鳴り響いていた。
「キャッ!?」
 後を追うように突風が吹き荒れて、思わず腕で目を覆い隠してしまう。だがすぐにイリアのことが気になって、振り返った俺は、彼女の身体をグッと抱き寄せていた。そして顔だけをぎこちなく後ろに回すと、なんと、そこに鎮座していた筈の公会堂が跡形もなく消え去っているではないか。後に残るのはぽっかりと開いた穴と、そこからもくもくと沸き起こってくるどす黒い煙だけだった。
「一体何が起こったの!?」
 少しずつひいていく煙の中に、巨大な魔物のシルエットが浮かび上がる。
「あ……」
 まさに三階分の背丈はあろうかという巨体に、思わず唖然としてしまった。灰色の死肉のような肌には疎らに長い毛が生え、腕や足の付け根には裂けたような傷跡が見て取れた。その大きな目で逃げ惑う者達をぐるりと見回すと、奴は両の手を高くまで上げ、甲高い叫び声をあげて空気を震わせた。
「くっ……何て事」
 悪態をつきながら馬車から飛び降りるミト。辺りを見回すと、神官長達に集まるようにと、半ば叫ぶような声で命令を下す。
「私達が食い止めるのよ、結界を張って」
 誰も応える者などいなかった。対立している者同士で手を取り合うなど、この状況においても想像だに出来なかったのだろう。そして、彼らのプライドはそれを許すはずがなかった。きっと、そうなのだと思う。
「何をしているの! 私達が止めるの! さあ、配置につきなさい!!」
 気圧された神官長達は、戸惑いがちに自分たちの配置へと向かっていった。それを確認したミトは、今度はお兄様です、と言わんばかりにこちらへと視線を投げかけてくる。
「お願いします」
 そうとだけ言って、魔物と対峙するように身体を翻した。両の手を天に翳し、両足を地面に踏みしめ、すぐさま術の詠唱を始めたようだった。この位置からからは殆ど背中しか見えないが、ヴンと歪んだ音が響き渡って、魔物を取り囲むように光の壁が姿を現す。それを吹き飛ばそうと言うのだろうか。もう一度奇声をあげた奴は、反動に任せて、勢いよく腕を振り下ろしていた。しかし、その指先が結界に触れた瞬間、目映い光が奴の手を弾き飛ばす。今度は悲痛な呻き声が空気を切り裂いていた。
「あまり長くは持ちません。早く!」
 ザザッと音を立てながら、踏みしめた足が徐々に地面へと埋まっていく。伸ばした腕は小刻みに震えて、押さえ込もうとしていた力の大きさを露骨に示していた。
「シオン……」
 イリアが不安そうに声をかけてくる。俺は振り返りはせず、ただ「下がってろ」とだけ返して、左右に足を開いた。だらんと垂らした腕をゆっくりと前に突き出していく。
「ラーグ イス ウィルド   オセル ユル ハガル  ソーン フェル ウル」
 足元から無数の光の玉が浮かび上がって、それは俺を取り囲む円を描くように回転を始める。バフッと音を立てながら抉れる地面。弾け散るように土埃が舞い上がっていく。
「ヤラ ギューフ   ヤラ イス   ヤラ ユル   ヤラ ティール   ヤラ マン   ヤラ イング」
 光の輪が渦を巻きながらゆっくりと上昇を始める。再び土埃がワッっと舞い上がって、流れの内に呑み込まれていったそれは、赤や黄色、青の光へと姿を変えていった。光の渦は混沌とした色彩の織りなすタペストリーと化して、周りの空気を吸い込みながら、ますます大きなうねりへと生まれ変わっていく。
 あと少しで術が完成するという時だった。「女王!」という甲高い叫び声が響き渡って、俺は反射的にミトの方へと視線を向けていた。そして愕然としたのだ。彼女の頭上には巨大なガーゴイルが、大きく開けはなった口から赤黒い炎をはき出していた。それに気付いた傭兵達が続けざまに矢を射っていく。その全てが巨大な体躯に突き刺さって、バランスを崩した奴が地上へと落下を始める。
「ミト!!!」
 矢のような炎が妹の身体を突き抜けていた。彼女の上体がぐらりと揺れて、その瞬間、魔物を取り囲んだ結界がパッと消滅する。しかし、彼女の身体は崩れ落ちはしない。細い両足をグッと踏みしめ、直ぐさま結界を立て直していたのだ。
「続けなさい!」
 怒鳴りつけるような声が響き渡る。
「くそっ……!」
 悪態をつきながら足をふんじばる俺。何とか呪文の続きを唱えようとするのだが、唇がうまい具合に動いてくれない。その間に磁場がぐらりと揺らいで、心臓が大きく鼓動を打った。
 光の柱を取り囲むように、蒼白い稲妻のようなものが浮かび上がってくる。バチバチと音を立てながら、それは俺の肌にも食らいついてくる。繰り返されるのか? 必死に葬り去ろうとしてきたあの日の出来事が、またしても繰り返されてしまうと言うのか?
 身体がフワッと軽くなって、足元の感覚が少しずつ無くなっていく。そうだ、あの時、俺は呑み込まれてしまった。己を取り巻く深い闇に、自ら足を踏み入れようとした混沌の中に、呑み込まれてしまった。何も知らなかったんだ。それが如何に恐ろしいものか!
「だめだ……暴走する……」
 そう漏らした瞬間だった。金属を切り裂いたような音が響き渡って、足元に白い魔法陣が刻まれていく。後を追うようにしてどっしりとした身体の重みが蘇ってきた。
「え……」
「私達がサポートします。今のうちに立て直してください!」
 俺を取り囲むように立っていたのはクレリックの神官達。目と目があった瞬間、彼女は口元に微かな笑みを浮かべていた。
 一度だけ頷いてから前方に視線を戻した。踵にぐっと力を入れ、残りの呪文を素早く唱えていく。
 目の前の空間が歪曲していた。鋏で切り取ったような景色がグニャッとへこんで、それは渦を巻きながら巨大な球体を形作っていく。そして、俺を取り囲んでいた光の帯も、ゆっくりとその内へと呑み込まれていった。その一つ一つが複雑に絡み合って、閉塞した世界を、混沌とした色彩で彩っていく。その先に立つミトの姿を、じっと見つめていた。制御するだけでも精一杯だったはずだ。それでも、この目を決して離しはしなかった。そして見てしまったのだ。ぐらりと傾くミトの身体を。
 妹が崩れ落ちていく姿がスローモーションのように映っていた。結界を為していた蒼白の光が明滅をして消え去り、その瞬間、俺の掌から魔法が解き放たれていく。
 逃げ惑う人々の頭上を駆け抜けていくどす黒い光の玉。彼らのわめき声を喰らい、その身はますます大きくなっていく。そして魔物の目前までやって来た瞬間だった。天地を切り裂くような雷鳴が轟き、天上から放たれた稲妻は、俺の放った魔法を炸裂させていた。

to be continued...


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