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| 私を出迎えてくれたのは、青々と茂った草花と、さんさんと降り注ぐ太陽の光だった。
 幾分平静を取り戻した頭で、先程の出来事を振り返ってみる。
 「何てこと……」
 うんざりとした風に吐き捨てて、邸の壁に背中を付けた。そのままずるずると腰を下ろしていく。
 全てが終わってしまった気がした。私が必死になって築きあげてきたものが、音をたてながら崩れ去っていく。ニールに放ったあの言葉は、実は自分に向けたものではなかっただろうか。視線を宙に彷徨わせて、そのような事をぼんやりと考えていた。
 何故我慢が出来なかったのだろう。今までそうしてきたことが、何故出来なかったのだろう。私は、そんなにも無理をしてきたのだろうか。耐えきれない程に。
 「ここにいたんだね」
 突然飛び込んできた声に、心の中で舌打ちをしていた。よりにもよってヒルダに見つかってしまうだなんて。今の私はどんな顔をしているだろう? 彼には気付かれていないだろうか? ここにいる事を、どう説明すればいい? 私の頭の中はあっという間に疑問符で埋め尽くされていく。
 「皆が探していたよ」とヒルダが続ける。
 「ちょっと休んでいただけよ。働き詰めだったから」
 「それはいいね。隣に座っても?」
 「ええ、ご自由に」
 「それじゃ、遠慮無く」
 目の前を横切っていったヒルダが私の隣に腰を下ろした。だが、彼の方には決して顔を向けなかった。それが何であっても、悟られるような振る舞いをしてはならないと、ただそれだけを考えていた。
 「よく解ったわね。ここにいるの」
 「ははっ、凄いだろ?」
 「別に」
 「実はね、君が走っていくのを見かけたんだよ」
 少しずつ鼓動が早まっていく。胸がざわついて、口の中がカラカラになっていた。
 「そう」
 「大丈夫かい?」
 「何が?」
 「君だよ」
 「私?」
 「そう、君」
 「ハッ、大丈夫に決まってるじゃない」
 「そうは見えない」
 「ふふっ、あの坊やと同じ事を言うのね」
 「あの坊や? そんな事を言ったら怒るよ、きっと」
 「いいわよ。ここにはいないんだもん。でも、確かに子供扱いしたら悪いかもね」
 「そんな事より」
 「だから、何ともないって言ってるでしょ! 私、貴方が思ってる程弱い女じゃないわ」
 「シェーナ」
 「だって!」
 「シェーナ」
 なだめすかすようにヒルダが言う。何故だか、これ以上ムキになって抵抗する気はすっかり失せてしまっていた。だからと言って、全てをさらけ出すような気にもなれはしないのだけれど。
 「だって……どうすればいいのよ……私は……」
 「僕で良ければ話を聞くよ。それで少しでも楽になれるのなら。僕になら言えるだろう?」
 僕になら、と言う科白は、私の反抗心に再び火をつけていた。ヒルダの中に、ニールのような男の影を見いだしていたのだ。いかにも自分が特別のような、尊大な言い方に、苛立ちを禁じ得なかった。
 「僕にならって、どういう意味よ?」
 「別に、深い意味はないよ」
 「いいえ、ある筈だわ。じゃなきゃそんな言い方しないでしょ? ねえ、どういうつもりで言ったの?」
 「はいはい。そんな怖い顔をしなくてもいいだろう」
 「いいから、早く言いなさいよ」
 「第一に、僕は魔導科学研究所の所長だ」
 「だから?」
 「そんな肩書きは持ってるけどね、研究者なんて、世間一般には奇人変人で通るような役職には違いないわけだ。それに、僕には発言力があるわけでもなければ、権力があるわけでもない。だから、君の弱みを握った所で、それを使うメリットもなければ力もないというわけだ」
 「二つ目は?」
 「第二に、僕は特別いい人というわけではないけど、少なくとも悪い人間じゃない」
 「ふふっ、何よそれ。本気で言ってるの?」
 「一応、本気のつもりなんだけどね。残念ながら誰も信じてくれないんだ」
 「あなたらしいわ。本当よ。でも、嫌いじゃないわ。そう言う所」
 「別に無理をして話す必要はないさ。ただ、話すことで少しでも楽になるならと思って」
 彼と話しながら、自然と口元が弛んでいることに気がついた。本当に、こんな風に自然な笑みを浮かべたのは、一体いつぶりだろう。それから、もしかして私は、彼のことを過小評価していたのかも知れない。彼の言ではないけれど、そう言う目で見ていたのかも知れなかった。そう、私は草むらに視線を落としながら、その様なことを考えていた。
 「ねえ、私がここにいる理由。貴方に解る?」
 「見当はつくね」
 「何?」
 「よしておくよ。僕が言ったら、何だかいかにもって感じがするだろう。僕の思想や意思にかかわらず」
 「いいわよ。ほら、言ってみなさいよ」
 「僕はそんな風には思わないけど」と前置きをして「女だからだろう?」と続けるヒルダ。
 がむしゃらになっていた自分を見透かされていたようで、どこか恥ずかしくて、ほんの少しだけ口惜しかった。
 「そうね。私はその現状に我慢がならなかった。男と女に、一体どんな違いがあるというの? それなのに、見回してみれば、要職についているのは男ばかり。この国を、私達を支配していたのは他ならぬ男だった。だから、私が頑張ることで何かを変えられるかも知れない、現状を打開できるかも知れないと思った。ミト様のもとでならそれが出来ると思った」
 「ああ」
 「でもね、私がやって来たことは、私がやってしまったことは、女である自分を利用して……だから……」
 「シェーナ、無理はしなくていい」
 「結局、女を貶めていたのは他ならぬ私だった。それに気付いた瞬間、どうしていいか解らなくなった。何の為に頑張ってきたのか解らなくなった。これ以上……頑張れなくなった」
 言葉が出てこなかった。堰を切った想いが喉元に詰まってしまったかのように、そこから先を続けられなかった。
 弱い自分をさらけ出している自分が悔しくて、許せなくて、私はただ草の葉を握りしめるしか出来なかったのだ。そんな私を気遣ってか、彼は穏やかな口調で語りかけてくれた。
 「頑張らなくてもいいじゃないか。君はよくやっていたよ。君が一生懸命頑張ってきたのを、僕は知っている。君が、他の誰が何と言おうと、僕が認める。本当だよ。だから、これ以上頑張らなくていい。全部投げ出しちゃえばいいさ」
 「ふふっ、今だってサボってるわよ。部屋の前には行列が出来てるかも」
 「出来てたよ。十数人はいたかな」
 「うそ……」
 「冗談だよ」
 「またそんな事を言う」
 「サボりついでにさ」
 「ええ」
 「これから、一緒に食事にでも行かないか?」
 「私を誘ってるの?」
 「ああ。今度は冗談じゃない」
 「ねえ、ヒルダ」
 「皆に見つからないようにしなくちゃな」
 「ヒルダ」
 「サボってるのを見られると色々」
 「……ヒルダ」
 「何だい?」
 「私は……貴方が思っているような女じゃないわ」
 「本当に?」
 「ええ」
 「それじゃ、気むずかしくもないし、怒りっぽくもないわけ? あ、それから神経質でもなかったのか」
 「ハッ……私、もっと素敵な風に思われてるんだと思ってたわ」
 「冗談だよ」
 「私だって。でも、私は気むずかしいし、怒りっぽいし、神経質だわ。些細なことにすぐ反応するし、物事はキッチリやらないと気が済まないし、それに」
 「だから冗談だって。それにね、僕が知っている君が君の全てじゃないって事くらい解ってるさ。何せ僕は研究者だからね。常にあらゆる可能性を考えているんだよ」
 「貴方がひがんでどうするのよ。でもね、そういう所も好きよ。何か可愛い」
 「だったら、一緒に行ってくれるかい?」
 「ええ。でも、物凄く疲れてるの。動くのも億劫なくらい。もうへとへとよ。だから、しばらくこうしていたいわ。何も考えずに、ただぼんやりとしていたい」
 「そうだね。それもいいかもしれないな」
 壁に預けていた身体を、ゆっくりと隣に傾ける。彼の肩にこつんと頭をのせた。その肩は、見かけによらず、随分とがっしりしていた。
 「……やり直せるかしら」
 「さあ、それは僕には解らない。でも」
 「でも?」
 「一から始めることは出来るよ」
 「そうね……そうだったわね」
 心がほんわりと温かくなっていく。その心地よい温もりの中で、私は静かに瞼を閉じていった。
 久しぶりにぐっすりと眠れるかもしれない。そんな当たり前のことが、今はたまらなく嬉しかった。傍に寄り添う肩があるということも。きっともう一度始められる。心の中でそう呟いて、私は意識を手放していった。
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            | fin
 
 
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