ressurection vol.4

 どのような道筋を辿って帰ってきたのかはよく覚えていない。先ほどの兵士と他愛のない話をしながら家まで帰って、そこで待ち受けていたのは、痛々しいまでの沈黙だった。喧嘩をして家を飛び出してきたから、というのもある。それに、今さっきの出来事があまりに衝撃的だったというのも。それでも、何か喋らなければならないという妙な義務感だけはあって。口をついて出てきた言葉は、お世辞にも模範的なものとは言えなかったけれど。
「どうして来たりしたんだ」
 彼女を責めるつもりなど毛頭なかった筈だ。それでも、俺の口調はさもうんざりしたような、彼女を責めているようなもので。
 これには彼女も苛っときたのだろう。俺のすぐ側まですたすたと歩いてくると、今にも飛び掛ってきそうな剣幕でこう応えてみせた。
「どうして? それ本気で言ってるの? シオンのことが心配だったからに決まってるじゃないか! 一人で勝手に出て行って、いつまでも戻ってこなくて、私がどんな思いで待ってたか解る?」
「それとこれとは話が別だ!」
「別じゃないでしょ! 私、シオンが何考えてるか全然解んないよ。一人でこんなに心配してたのに、そんな風にしか言わないでーー」
 そこで彼女の言葉は止まった。ノックの音がその先を遮ったのだ。彼女は何か言いたそうな顔をしていたけれど、俺の顔をもう一度だけ睨み付けると、「どうぞ」といつも通りの声で答えた。
「失礼するわよ」
 ゆっくりとドアが開いて、そこにいたのはシェーナ・ラトカーナだった。なるほど、話を聞きつけてやってきたというわけか。
「お取り込み中ごめんなさいね」
 悪びれた風もない、いかにも感情のこもっていない言い方だった。からかっているか皮肉かどちらかだろうが、ここは当たり障りのない返答をしておくのが無難だろう。
「そんなんじゃないさ」
 俺達のすぐ側まで歩いてきた彼女は、わざとらしく腕組をして、そして一つだけため息を吐いてみせた。その顔には疲労が色濃く浮かび上がっている。きっと寝ていたのを叩き起こされたに違いない。もしそうだとしたら、何となく申し訳ない事をした気が少しだけするけど、こればかりは俺のせいとも言えないだろう。
「話を聞いた時には驚いたわ。あれだけ夜間の外出は避けるようにと念を押していたのに」
「……すまない」
「まあいいわ。それより、怪我は大丈夫なの?」
「ああ、かすり傷さ」
「そっちの彼女は?」
「私は何ともありません」
 少し強い口調のイリアに「そう」とだけ答えるシェーナ。体が触れるくらい近くまで歩いてくると、俺の頬にそっと右手を添えた。
「あっ……」
 イリアのヤツが間の抜けた声を漏らす。いや、間が抜けているのとは少し違うかもしれない。びっくりしたような、それでいて何も出来ないような、そんな感情をひっくるめたような声。彼女の方に顔を向けると、さもばつが悪そうに唇を結んで、そのまま俯いてしまった。
 不意に、シェーナの掌から白い光が浮かび上がる。頬の辺りが薄っすらと熱を帯びて、先程まであった傷の痛みが、かき消されるようにしてなくなっていく。
「驚いた? そういう家系なのよ」
 口の端をへの字に曲げながら笑うシェーナ。それから「でも、『だからここにいるのか』なんて言ったら承知しないからね」と、今度は眉間に皺を寄せながら付け加えた。その理由は、先の会議の中で、神官を除く女性の側近が彼女のみだった事を考えると想像に難くない。
「そんな事言うつもりはないさ」
「思っただけ?」
「ああ、思っただけだ」
「ふふっ、随分正直なのね」
「生憎、そうういう性分なもんでね」
「貴方らしいわね。それに、思ったより元気そうだから安心したわ」
「それだけか?」
「まあ、そんな所ね。例の遺骸はヒルダが調べているわ。終わったらここにくるように言ってあるから、少し待っていましょう。皆には召集をかけておいたから、一時間ほどたったら会議を開く予定でいるわ。今後の事を話し合わないと」
「俺も行く」
「貴方はいいわ」
「どうしてだよ!?」
「酒のにおいをさせながら行くつもり?」
「あ……」
「どの道、明日以降も継続して話し合わなければならなくなるわ。話は私からしておくから、今日はゆっくり休むことね。明日になったらまたいらっしゃい」
「……解ったよ」
 口元に微笑を浮かべる彼女。
「それでいいわ」と付け加えると、一度だけイリアの方に視線を向けた。当のイリアはと言えば、唇をかみ締めたまま、じっと地面を見つめているだけだった。きっと、この場での立場を見出せずにいるのだろう。
「イリーー」
 再びノックの音に言葉を遮られる。
「どうぞ」
 小さくため息を吐いて、宙ぶらりんになった言葉の行き先を捜すように先を続けた。
「失礼します」
 聞き覚えのある声と共にドアが開く。白衣を身に纏ったヒルダは、酷くやつれた面持ちをこちらに向けると、「大変な目に遭われたようですね」と社交辞令のように言葉を発した。
「まあな」
「お怪我は?」
「この通り何ともない」
「それなら良かった」
 一瞬ほど穏やかな笑みが浮かぶ。だが、やつれた表情には、その笑みも痛々しく映るだけだった。何が彼をそうさせているのだろう、という興味はあったが、その答えはここに来た理由にあるに違いなかった。
「それで、どうだったの?」
 先ほどとは一転して鋭い顔つきになるシェーナ。その視線から逃れるように、ヒルダは一度だけ地面に視線を落とした。
「この前と同じだよ。何もかも」
 彼女がゆっくりと目を閉じる。唇をキュッと結んで、眉間には滑らかな肌とは似つかわしくない、深い皺が刻まれていた。そして深いため息を一つだけ吐き捨てる。まるで喉の奥から搾り出しているかのように。
「……いよいよ現実味を帯びてきたわね」
「厄介なことになったよ。まあ予想の範囲内と言えばそれまでだけどな。一体どうするつもりだ?」
「これから会議を招集するわ。まあ、やらなくても結果は目に見えてるけどね。見張りと巡回の兵士を増やして、必要があれば夜間の外出を制限、あるいは禁止する」
「それは対症療法にすぎないだろう。問題の根本的な解決にはならない」
「だったらどうするの? 私達に出来る事といえばその程度だわ」
「今から一ヶ月前、ここアドビスでクーデターが起こった。こともあろうに、その首謀者は王室が重用していた星室庁のトップときた」
「もしもし」
「奴は何らかの手段を用いて魔物を操り、女王の暗殺を目論んだ。だがどういうわけだか、途中で魔物が暴走してくれたお陰で、計画は頓挫する事となった」
「もしもし?」
「どうした」
「そんな事、改めて言われなくても解ってるわよ。ここにいる全員がね」
「あの時、僕達は一体何をしていた?」
「事態の収拾に努めていたわ。誰もが問題を解決して、円滑な王政の執行に寄与するようーー」
「僕らは、いいかい、事件を隠蔽しようと躍起になっていたんだ。全てを内々に済ませて、決して外部に漏らさないように。だから事態の究明が後手に回ってしまった」
「違う」
「違わない」
「違う! 私達は限られた範囲の中で可能な限り最善を尽くした!」
「そこが問題だと言ってるんだよ。この国は古い因習に囚われている。あの魔物の頭部には明らかに外科的な手技が施されていた。それによって人間の家畜へと貶めるためにな。だが、この国はそれを認めるわけにはいかない。倫理とか言う、いかがわしいカビだらけの呪縛がそれを許しはしない。だから何もしなかったんだ。出来なかったんじゃない。だが、今度は市民を巻き添えにしている。この前みたいにはいかないぞ。いつまでも隠しおおせると思っているわけじゃないだろ?」
「だったら……どうするって言うのよ。一体私達に何が出来ると?」
「ユリア・セレッティを?」
「ええ……ちょ、ちょっと待って! 駄目よ、それだけは絶対に駄目!」
 一瞬にしてシェーナの顔に困惑の色が浮かぶ。それは、普段感情の起伏を表に出さない彼女にしては、珍しいことだった。もっとも、それだけの事態である事の表れであろうけれど。
「シェーナ」
「だって切り裂き魔よ!?」
「よせよ。彼女も僕と同じ研究者だ」
「第一、皆が受け入れるわけがないわ。賛同を得られるはずがない」
「だから君の力を借りたいんだ。君には発言力がある。君が口ぞえをしてくれれば……」
「馬鹿なことを言わないで! あなただって、私の立場くらい解ってるでしょ」
「ああ、もちろん」
「私の発言を裏付けるのは、女王とのパイプ以外に何もないのよ? それで承認を取り付けたとしても、彼らが納得するわけがない」
「頼むよ」
「…………」
「シェーナ」
「……どうしても必要なの?」
「そうだ、どうしても」
「……解ったわ。でも、これは大きな貸しよ」
「解ってるさ」
「私への見返りは?」
「今度食事でも奢るよ」
 その言葉に、シェーナの顔つきがどんどん強張っていく。大きな瞳で彼を睨みつけるその姿は、まるでメデューサか何かのようだ。これには彼も参ったのだろう。先ほどまでの険しい表情はどこへやら。口元に引きつった笑みを浮かべながら、わざとらしく髪をポリポリと掻いたりしている。
「じょ……冗談だって。僕が言うと誰も冗談に受け取ってくれないんだ。解ったから、もうそんな怖い顔しないでくれよ」
「……それで?」
「それじゃあ、ディーヴァの実十個で手を打とう」
「商談成立ね」
「ああ。でも、使いすぎるんじゃないぞ? 適量なら薬になるが、度を越すと毒にしかならないからな」
「解ってるわ、それくらい。じゃ、会議の準備があるから先に行くわよ。あなたも時間になったら来てね。検死の報告をしてもらうから」
「ああ、解ったよ」
 部屋から出て行くシェーナを見つめながら、ヒルダは呆れた風に肩を竦めてみせた。それを見計らったように彼女が足を止める。こちらを振り返る事無く、感情のこもっていない声で「さっきのは言いすぎだわ」と呟いて、部屋から出て行ってしまった。
「……そうだな。気をつけるよ」
 ヒルダの方は、俺の言いたかった事を悟っていたのだろう。いつも通りの穏やかな顔をこちらに向けて、言い聞かせるような口調で話を続けた。
「別に珍しいことじゃないですよ。誰だってやってるし、下層階級に流れているものと比べて、これは副作用も常習性も殆どないですからね。問題は、そのようなものに頼る事じゃない。そのようなものに頼らざるを得ない時代に、社会的な機構にあるんです」
 出きり限り言葉は選んでいたのだろう。それでも、その言葉は俺にとって物凄く衝撃的なものだった。頭では理解しているけれど、他の者にそれを突きつけられたら、その現実に直面したら、おおよそ理解などと言うものは何の役にもたちはしない。
「あんたは……あんたもやってるのか?」
 眼鏡のふちをぐいと持ち上げて、一つだけ、小さなため息をかみ殺すヒルダ。
「いいえ。私は」
 彼の顔をじっと見つめながら、頭の中ではミトの事ばかり考えていた。問題はそのようなものに頼らざるを得ない時代に、社会的な機構にあるーーそれを作り出してしまったものとは、一体何なのだろう。

to be continued...


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