公会堂の中はしんと静まりかえっていた。集まった兵士達は微動だにせずに前を見つめ、主の登場を今か今かと待ちかまえている。このような状況がゆうに10分は続いているだろうか。
不意に場内の空気が張りつめ、演壇の裾からミトが姿を現した。まず目についたのは、至る所に黄金の刺繍が施された豪奢な服だった。それを身に纏う彼女の表情はいつになく硬く、他を圧倒するような雰囲気すら感じられる。
中央に立ち止まった彼女は辺りをぐるりと見回し、一度だけ軽く頷いて、それから話を始めた。
「あなた方の殆どがこの国に、そして私に対して不安を抱いていることでしょう」
どよめきこそ起こらなかったが、明らかに皆の顔には驚きの色が浮かびあがっていた。無理もない。彼女の言葉は、決して君主たる者が発すべきものではなかったのだから。だが、俺は全く驚きもしなかったし、動揺の類の感情をも抱きはしなかった。何故だろう。明確な答えを挙げることは出来ないが、きっと彼女の表情に、それを見出していたのだろうと思う。
「私は今日、ここに、一つの約束をします。私はこの国を変えてみせる。この国をこの国たらしめている既存の枠組みを全て破壊する。そしてそこに新たなアドビスを建ててみせる。この国は既に民主化への道を歩み始めているわ。誰にもそれを止めることは出来ない。いかに時間がかかろうとも、私は必ずそれを成し遂げてみせる。異を唱える者は立ち去って貰って構わない。反旗を翻すというならそれもいいでしょう。ただし容赦はしない。全力をもって叩き潰すわ。立ち向かってくるなら、この国をとるつもりで来なさい。それが出来ないなら私に従いなさい。半端なことは許さない。私に忠誠を誓うか、去るか、それとも刃を向けるか、それ以外の選択肢は存在しない」
シェーナの用意した原稿を読まなかったな、と思った。彼女がこんな事を言わせる筈がないし、第一、言葉が荒削りすぎる。これについて賛否両論あると思うが、正直、俺はいいなと思った。彼女の言葉には、今まで以上に強い力があったから。それがなければ、どんなに素晴らしいスピーチも意味をなさない。
そんな風に考えながら、シェーナの方に顔を向けてみる。案の定、彼女は額に右手を当てて、青ざめた顔で床を睨み付けていた。それから、その視線をゆっくりと兵士達の中へと落としていく。この中に裏切り者がいるかもしれない。心の中でほくそ笑みながら、俺達が次にどんな手を打ってくるのかをうかがっているのかも。しかし、目に入ってくるのは同じような兵士の連なりだけ。その中に差異を見出す事など出来ない。そう思っていた。
「シオン」
「どうした?」
視線は兵士達の中に落としたまま。ぼんやりとしながら、気のない返事を返す。
「あの人……ずっと私達を見てる」
反射的に彼女の視線を追っていた。同時に解散の号令がかかって、ばらけたビー玉の如く、人混みが視界を埋め尽くしていく。しかし、その隙間から確かに見えたのだ。こちらをじっと見つめる、褐色の肌の男が。俺と目があった瞬間、奴は人混みに紛れるようにして姿を消してしまった。
「追うぞ!」
有無を言わさない口調で吐き捨てて、人混みの中へと飛び込んでいく。しかし、人が多すぎてなかなか前に進むことが出来ない。それに、焦っている上に押し合いへし合いしてると、自分がどこにいるのかすら解らなくなってしまう。
「くそっ!」
何とかして公会堂から出た俺は、悪態をつくと、あたりをキョロキョロと見回してみた。兵士達はそれぞれの持ち場に戻る為に散開し、目的の男がどこに行ったかなど解りはしない。仕方なしに、俺は人通りの少なそうな道を一つだけ選んで、そこへ向かって歩き出した。確信はなかったけれど、何となく彼がそこにいるような気がしたのだ。
その道は薄暗い裏路地に通じていた。湿り気のある空気が肌に絡みついて、嫌な汗が頬を伝い、あごの先からぽたぽたと零れ落ちていく。
「シオン……本当にこっちであってるの?」
いかにも不安そうなイリアの言葉が薄闇に木霊する。その声に、言葉に、俺は苛立たずにはいられなかった。
「んな事知るか! だいたいーー」
不意に誰かの気配を感じた俺は足を止めた。辺りをキョロキョロ見回してみるが、誰の姿も確認出来はしない。
「何かご用ですか?」
まさに不意打ちというのが正しかった。突然背後から飛び込んできた声にびくっと震え、ゆっくりと声の方へと身体を翻していく。
「どうして……」
目の前にいたのは、先ほどの褐色の肌の男だった。黒髪の中にはいくつか白いメッシュが混じって、手首には原色系のミサンガを身につけている。未だあどけなさの残る顔つきをしているが、その表情は似つかわしくない程険しいものだった。
「私に何かご用ですか?」
「どうしてここに……」
「持ち場に戻る途中、あなた方の足音が聞こえてきたので。先ほど公会堂にいらっしゃいましたね」
「あ……ああ」
「それで」
「例の事件……そうだ、例の事件について調べてるんだ」
カマをかけるつもりはなかった。だけれど、突然姿を現したこの男にかける言葉が見つからなくて。口をついて出てきたのは、そのような台詞だったのだ。
「例の?」
「城下で発生している連続殺人事件……ここらの担当なら聞き及んでいると思うが」
「ああ、確かに。ですが、それが何か?」
「何か知ってる事があったら、些細な事でもいい。教えてくれないか?」
「残念ながら私には何も。お役に立てなくて申し訳ありませんが」
男は一礼して、そして俺達の脇を風を切るように駆け抜けていった。少しずつ小さくなっていくその姿をじっと見つめながら、気がつけば彼を呼び止めていた。
「待ってくれ!」
その場に立ち止まる彼。だが振り返りはしない。
「そのミサンガ……ここら辺じゃ見かけない色づかいだ」
「……そうですか? 物心つく前から持っていたので、何とも」
「名前を聞いても?」
「尋問ですか?」
「違う」
「肌の色が違うから」
「問題をすり替えるんじゃない」
「……ユーリ。ユーリ・カルバ。もう行っても?」
「ああ」
「失礼します。もうお会いする事もないと思いますが」
「そうだな」
俺達はユーリの姿が見えなくなるまで、ずっとその場に立ちつくしていた。
その夜、街の有力者達五人を招いた晩餐会が開かれた。同席したのはミトとシェーナ、そして俺。場所が場所なだけにイリアは呼ばれなかったが、彼女はその事でご立腹の様子だった。
「今日はお呼びだてして申し訳ありませんでした」
「いや、あなたの事だ。それなりの理由があったに違いないと、そう理解していますよ」
「恐縮です」
「例の一件でしょう?」
「ええ」
「街にも悪い噂が広まっている。中には魔物の仕業だと言う者も。是非とも釈明していただきたいものだ」
「……今から一ヶ月前、城内でクーデターが発生しました」
「何?」
「首謀者は星室庁の長であるルーファス・ユスティアーニ。反乱自体は即座に鎮圧、関与したと思われる43名を抑留しました」
「ちょっと待ちたまえ! 何故そのような重大な事を黙っていた!?」
「何故? ふふっ、おかしな事を訊くのね。何故って、決まってるでしょう。どうせ今みたいに過剰な反応をするから。いつだってそう。あなた方は、必要もないのに、私の弱みにつけ込もうとする。あなた方は、いい、あなた方は国民全体の利益の為だとか嘯いて、その実私腹を肥やすことしか考えていない。だから、みすみす弱みを見せるわけにはいかなかった。そう理解して貰って差し支えないわ」
気怠げな彼女の口元には微笑が浮かんでいる。その唇から紡ぎ出される言葉は、同じく気怠げな、ある種相手を馬鹿にするような響きが含まれていた。
「だったら、何故今頃になって我々を……」
「だから、それを今から説明すると言っているの。黙って最後まで聞きなさい」
「…………」
「ルーファスは秘密裏にある研究を行っていた。即ち、魔物を配下におく方法をね。キメラの類ではない、もっと科学的な方法で。そして、クーデターの際にそれが使われてしまった」
「それと同じものが今も?」
「その公算が極めて高い。だとしたらこれ以上隠しおおせるわけがないし、私としても、これ以上隠し事はしたくはない。前体制の膿は全て出し切りたいの」
「そんな綺麗事で済むと思ってるのか?」
「いえ。でも私にはそうするほかない。然るべき時が来たら責任をとるつもりです。でも今は……力を貸してほしい。あなた達も気付いているはずだわ。今を乗り切らなければ、この国はもう二度と立ち直る事は出来ない」
「我々への見返りは?」
ミトの口元が微かに緩む。しかし、その目は決して笑ってはいない。上目で彼を睨み付けたその顔は、今までに見た事のないものだった。
「……見返り?」
「当たり前でしょう。あなたの失態の穴埋めをするのは私達なんだ」
「どうやら……よく解ってないようね。私は取引に応じるつもりはないのよ」
「交渉決裂ですな」
彼の合図と共に、他の男達も一斉に立ち上がる。そしてミトに背中を向けると、「残念です」とわざとらしく言って、ドアの方へと歩き出した。
「待ちなさい」
「……まだ何か?」
「私がいなくなれば、あなた達は後ろ盾を失う事になる。万が一そのような事態になれば、主権が彼らに奪われるような事になれば、彼らはあなた達を権力の座につかせたままでいるのかしら?」
「…………」
「一つ教えてあげるわ。私は頼んでいるわけではないの。どうなってもいいのよ。権力の座に固執するつもりはない。何故か解る? 彼らに私を倒す意志が、力があるなら、この国は新たな段階へと進む事が出来ると思うから。いつかは王権も廃止される。いえ、そうするわ。私はね、出来る限りその為の道筋をつけてやりたいと考えているの。私とあなた達の利害は一致しない。でも、私の言う事を聞けば、あなた達は負うべきリスクを最小限にとどめる事が出来る。選びなさい。ただし、迷っている暇はないわよ」
「……解りました。あなたに従いましょう」
「いい選択だわ」
「……それでは」
よほど腹に据えかねたのだろう。彼は乱暴にドアを開けると、肩を怒らせながら出て行ってしまった。残りの者も、とまどいがちに互いの顔を見合わせて、それから彼の後を追っていった。
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to be continued...
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