法力国家アドビス――かつてその国は華やかな繁栄を極め、近隣諸国へもその名を轟かせていた。 今やその面影は失われ、あるのは重苦しい空気を纏ったくすんだ町並みだけだ。 このセピア色と化した景色を眺めていると、時という物が如何に残酷であるか、そして栄華という物は長くは続かないのだという事を思い知らされる。 しかしそれ以上に"彼"の目に映るこの風景が単なる衰退の象徴としてのもので無い事を考えると胸が痛んだ。 私に出来る事は何だろう。"あの時"から常に抱いていた想い――それを未だ果せずにいる自分を歯痒く思った。 彼はずっと私の傍にいてくれたのだ。そして我侭な王子を演じながら、その実私の我侭に付き合ってくれていた。 わたしにできることはなんだろう。その一文字一文字が思考に絡み付いてくる。彼にとってかけがえの無い存在として、そして彼の望みをかなえられる自分の像を常に描き続けてきた。自分の愚かさを知ったあのイエソド以来ずっと。
だから、私は私である術を探しているのだ。
「……大丈夫?シオン」 すっかり冷たくなったシオンの手を握り締めると、やわらかな口調で語り掛けた。 シオンは目の前に広がる故郷をじっと眺めたまま微動だにしない。 そんなシオンの瞳が、私にはとても冷たく見えた。 「俺はずっと……」 擦れた声が風に飲みこまれて行く。 ゆっくりと瞳を閉じたシオンは、唇をギュッと噛み締めると、静かに頭を下げた。 「いや……何でもない。行こう」 言葉の切れ端を見つける事が出来ないまま、無言で歩くシオンの後を追っていく。その背中はいつもより小さく、寂しげに見えた。
「何だお前は?城内に入るには王の許可が必要だ。許可証を見せろ!!」 予想通りの反応だった。 フードで顔をすっぽり被った魔導士とボロボロになった服を纏った怪しい女をそのまま通してくれる筈が無かった。 シオンにもそれは解っていた筈だ。それなのにフードを被って顔を隠そうとするその裏には彼なりの思いがあるのだと思う。 いや……それは確実にある。自分を拒絶したこの国に素顔を見せるという事に抵抗があったのだろう。フード越しに見るシオンの顔はいつもより蒼白く見えた。 そして守衛が次の言葉を紡ごうとした瞬間、シオンはゆっくりとフードを捲ってみせた。 「――王と面会したい」 守衛の顔が驚きの色に染まって行く。いくら鈍感な私でも、それだけははっきりと解った。 「王……子?」 守衛は手にしたスピアをギュッと握り締めると、噛み締めるようにそう呟いた。 「王と面会したい」 再び、シオンは抑揚の無い言葉を繰り返す。それは私が聞いてもぞっとするような、そんな冷たい重みを孕んでいた。 まるで王者の持つ畏怖の対象としての威厳のような……私がそう思っていると知ったら彼はどう思うだろう?きっと喜びはしないと、直感的にそう思った。 「は……はい。少々お待ち下さい!」 守衛の一人は擦れた声でそう叫ぶと急いで場内へと駆込んでいった。 取り残されたもう一人の守衛は何を言っていいか解らない様子で、ひたすら動揺を隠せずにいた。 王子は死んだと伝えられているのだから当然だろう。ひょっとしたら非業の死を遂げた王子の亡霊がやってきたと思っているのかもしれない。守衛の顔を見ていると、それがあながち間違いでもないように思えてくる。 そんなとりとめも無い事を考えているうちに、先ほど場内に消えて行った守衛は息を切らせながら戻ってきた。 「王妃様がお会いになります。こちらへどうぞ。お付の方は……」 「……コイツも一緒だ」 翡翠色の瞳は鋭い光を放ちながら守衛を睨み付けていた。悲しみ、苦しみ、怒り――そのような冷たく重苦しい感情が滲み出るような冷たい瞳だった。 「わ……解りました。ど……どうぞ」 王子としてではない、純然たる畏怖の対象としてのシオンが守衛の瞳には映し出されていた。
守衛が連れてきたのは謁見の間だった。 赤い絨毯が敷き詰められた部屋の奥には二つ程豪華にしつらえられた椅子が置かれている。しかしそこに座っているのは本来の主ではなかった。 「……シオン」 目をスッと細めた王妃は、死んだ筈の息子を冷たい光を帯びた瞳で見つめながら、静かに口を開いた。 「お久しぶりです。母上」 抑揚の無いシオンの声が謁見の間に響く。 重苦しい雰囲気が支配する中、王妃の隣の椅子に座っていた幼き王女は静かに口を開いた。 「おにい……さま……!?」 透き通った綺麗な声だった。王妃とは違う、血の通った人間の温かさを感じた。そして純粋に義兄との再会を喜ぶような。 しかし、王妃はそれを許しはしなかった。 「――ミト」 叱り付けるような口調でその名を呼んだ瞬間、ミトと呼ばれた少女はビクッと身体を震わせた。 「シオンは……王子は死んだと聞きましたが。あなたは――――」 王妃はそこで言葉を切ると身体を微かに傾け、目頭に指を乗せた。 「父上は……どうなされたのですか」 沈黙に耐えられなかったのか、先ほどと同じ抑揚の無い冷たい声でシオンは切り出した。 「……王は心を病んでいらっしゃるわ。王子がいなくなって以来ずっと……そう、抜け殻のように」 「母上!!」 王妃が溜息をついた瞬間、顔を強張らせたミトは肘掛をぎゅっと握り締めてそう叫んだ。 一方の王妃は再び溜息をつくと、面倒くさげに顔を上げ、シオンを見つめた。 「今日は疲れているでしょう。神官長、王子に部屋の用意を」 「……承知致しました」 神官長と呼ばれた男は一礼をすると謁見室を後にしていく。 次いで、シオンは王妃に背を向けると拳をギュッと握り締めて歩き出した。 「シオン」 王妃の呼びかけと同時にシオンの足が止まる。 「……よく帰ってきたわね」 生まれてからこれまで、これほどまでに空虚な言葉を聞いた事が無かった。
神官長の後を追う私達の間に何の言葉をも取り交わされる事は無かった。 ただ町以上に重苦しい雰囲気の空気が漂う中、身体中がヒリヒリするような痛みを覚えつつ、私達はただひたすら足を動かしていたのだ。 城内にしつらえられた装飾はすっかりと色を失い、今や衰退の象徴とも言えるくすんだ色彩を帯びていた。
「王子はこちらへ。お連れの方は隣の部屋へどうぞ。それで構いませんな?」 神官長は私達の顔を交互に見ると、何か腫れ物に触るような、そんな口調で訊ねてきた。そしてそのような彼の瞳を見た瞬間、前に一度だけ来たアドビスの記憶が鮮明に蘇った。 「……構わない。手間をかけるな」 神官長の顔を見ずにそう言ったシオンは逃げるようにして部屋の中へと入っていく。 そして鈍い音を立てながらドアが閉まった瞬間、神官長は「いいえ」と呟いた。 「一つ訊いても宜しいですかな?」 私達以外に誰もいなくなった静かな廊下で、不意に神官長は口を開いた。 「ええ……構いません」 私は神官長の瞳をじっと見詰めると、先ほどのシオンと同じく、抑揚の無い声でそう応えた。 「王子がこの国をお去りになる前、勇者ザードの弟なる者を連れてこられましたな」 「…………」 「その者の名をウリックと言った。もしや……貴女がそうではありますまいな?」 その目は明らかに否定する事を許してはいなかった。微かに口元を緩ませ、瞳の奥に優越の色を称えたその顔は酷く醜く映り、思わず顔を背けてしまう。 「だとしたら……どうだと言うのです?」 「はじめからザードの弟などいなかった。虚は虚を呼ぶと申します。努々御忘れ無きよう」 そう言うと、神官長はクックッと飲みこむような嫌らしい笑い声をあげ、私に背を向けた。 「例え血が繋がっていなくとも……僕はザード兄さんの弟だ。それを虚と言うのなら……あなたにとっての真とは何です?シオンを虚とするなら、真とは一体――」 「――言うまでも無き事。真なる者、それは紛れも無くミト王女。法力を継いだ正当なる継承者でありますぞ」 再び、飲みこむようないやらしい笑い声をあげると、神官長はその場から立ち去って行った。 胸に残る鈍い痛みを感じながら、私は与えられた部屋へと入っていった。
――真なる者、それは紛れも無くミト王女。 その言葉はいつまでも胸に突き刺さったままだった。 シオンは……この閉ざされた城の中で常にそのような視線の対象として生きる事しか許されなかった。この国におけるシオンの存在は虚であり、ザード兄さんは彼の存在を真と認める唯一の人間だった。 あの時の僕はそんな事にも気付かなかった。ただひたすら、周りからウィザードとして好奇の視線にさらされるシオンを可哀想だと思うだけで。 「僕……か」 久しぶりに使ったその言葉を呟くと、私はシオンの部屋へと向かって行った。 |
to be continued...
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