もう何年、一人で旅をしてきたのだろう。 例えようの無い喪失感をこの身に抱きながら私は旅を続けた。 あの人の残した最後の願いを叶える為に。
――俺の代わりに世界を旅してくれよ
心の奥底に突き刺さったこの言葉だけが今の私を生かしていたのかもしれない。 もう二度と逢う事の出来ない彼の姿を求めて、私はひたすら歩き続けたのだ。 そして自身の足跡を残す為、行く先々に碑を作る。 しかし解っているのだ、これが旅の記念などではないという事を。 それは彼を死に至らしめてしまった自分に対する贖罪であり、同時に永遠という刻に囚われた彼に捧げる墓標でもある。 そして今、私は全ての始まりであり終わりであるこの地を訪れていた。 アバスのイビス――オッツ・キィムでの旅の終着点。 私にとって最も忌まわしい場所。 あの日以来訪れた事は無かった。 怖かった、というのが正直な所だろう。 私自身、心の片隅で彼がまだ生きているのではないかと信じているのだ。 少なくともそう信じたいと強く思う。 だからこの地に建てた彼の墓標を見るのが怖かった。 全てが終わったあの日、レムと一緒に作ったあの墓標を。 私の中に残った理性という名の微かな希望ですら打ち砕かれるのではないかと思った。 だから、私はずっとこの地を避けてきたのだ。
「シオン……遅くなってごめんね。ずっと来ようと思っていたのに……行こうとすると足が動かなくなっちゃうんだ。だから……ごめんね」 旅を続けて解った事、それは私自身ずっと真実から目を背けていたという事。 常に偽りの自分を演じ、事実を捻じ曲げ、強いと自負していた自分はいつの間にか拠り所の無い一人の弱い人間になっていた。 だから、私はこの地を訪れたのだ。 弱い自分と決別する為に。 そしてもう逢う事すら叶わない彼と逢う為に。 「はは……おかしいな。もう何年も……泣いた事なんてないのに……」 気がつくと涙が零れ落ちていた。 大粒の涙がポタポタと零れ落ち、褪せた石にくぐもった色彩を与える。 「僕ね、旅してまわった所に小さな記念碑を作るんだよ。小石を積み上げて、それから手製のパンを置いて……それから……それから……」 私は……一体何が言いたいのだろう? 彼を目の前にして、また自分を見失って泣きじゃくっている。 もう涙は見せまいと誓ったのに、強い自分になろうと決めたのに。 結局、私は自分でザード兄さんの敵を討つ事も出来ず、大切なシオンさえも失い、そして自分さえも見失おうとしているのだ。 こんな私をシオンが見たらなんて言うだろう――ふとそのような想いが脳裏を掠めた。 「……ごめんなさい」 不器用に右手で涙をぬぐうと、擦れた言葉を放った。 「……いつも迷惑ばかりかけて……シオンの気持ちも考えなくて……本当に馬鹿で……」 堰を切ったかのように想いは溢れ出る。 私はその場に立っている事すらかなわずに跪き、そのまま醜い嗚咽を漏らした。 身体中がぶるぶると震えていた。 全身に纏わりついてくる風は妙に冷たく感じ、この身を切り裂く刃のようにすら感じられる。 そして一際強い風が起こり、サラサラという乾いた音を重ねながら生命を失った枯葉は空を舞って行った。 続いてザッザッと草を切りながら何者かがこちらに向かってくる音が聞こえてくる。 「……全くだな。お前の馬鹿さ加減には呆れるぜ」 その声を聞いた瞬間、頭の中が真っ白になっていくのを感じた。 期待と不安の入り混じった奇妙な感情が胸の内に沸き起こり、それは複雑に絡み合いながらも姿を変えていく。 「シオ……ン……」 震える肩を手で擦りながら、何とかその語を発した。 緩慢な動作で起き上がり恐る恐る後ろを振り向く。 金色に輝く眩いばかりの髪、少しだけ大人になった顔、透き通った淡い翡翠色の瞳――私の前に立っていたのは紛れもなくシオンだった。 色褪せたインディゴ・ブルーのローブはその身に風を纏い、まるで生き物の様に空を舞っている。 「ボク……ボクずっと……シオンを……だから……ここに……」 言葉が出てこなかった。 あれほど逢いたいと思っていたのに、話したい事もいっぱいあったのに、何一つ思いを伝える事が出来なかった。 そんな私の姿を見て、シオンは嘗て見せていたシニカルな笑みを浮かべながら、ゆっくりとこちらへ向かって歩いてきた。 「言っただろ?言いたい事は簡潔にまとめて――」 不意に声が擦れ、シオンはその場に立ち止まった。 俯いたシオンの表情はよく見えなかったけれど、微かに口元が震えている事はよく解った。 そして空気を切り裂く風の音に混じって、僅かな嗚咽を私は聞き逃さなかった。 「シオン……」 私は目を閉じてその名を呟くと、思い切り地面を蹴って走りだした。 自分の身体が自分でないようにすら感じる中、私は懸命に足を動かした。 私を支えてくれる唯一の人に触れる為に、その温もりを感じる為に。 風に揺らめくローブを両手で握り締め、そのまま胸に顔を埋める。 言葉に出来ない温もりがどっと流れ込んでくるような気がした。 それは頑なになった私の心を解し、奥底に仕舞い込んだ裸の私自身を解き放った。 「う……うう…………うあ……」 溢れ出す涙を止める術など無かった。 ローブを握る手にぎゅっと力をいれ、ただひたすらに私は泣きじゃくっていた。 「イリ……ア……」 シオンは大きな手で私を抱くと、酷く擦れた声でその名を呼んだ。 返す言葉すら見つけられない私は、ローブを握り締めた手を背中に回して、出来うる限り力をこめて彼を抱きしめた。 「ずっと……逢いたかった……ここに来ればきっと逢えると……そう思った……」 シオンは私の耳元に優しく口付けをすると、一言一言かみ締める様に言葉を紡いだ。 「ごめん…………シオン……」 それは自然と口を突いて出た言葉だった。 あの日からずっと胸の奥に抱き続けた想い。 一緒に旅をしながら、いつも言わなければならないと思っていた事。 ――決して伝える事の出来なかった気持ち 「馬鹿……何で謝るんだよ……」 シオンは私を抱く手にぎゅっと力を入れると、耳元でそう囁いた。 その声は力強くて、でも弱くて、漠然とした私の心と同じような気がした。 「だって……いつも迷惑ばかりかけて……シオンの気持ちも考えなくて……ボクは……ボクは……」 まともに想いすら伝えない自分が歯痒かった。 そして、いかに言葉が無力かという事を思い知った。 「お前だけなんだから……俺の事……本当に解ってくれるのは…………」 ――だから、私はこの想いを伝えなければならないのだ 「……シオン」 愛しむようにその名を呼ぶと、私はゆっくりとシオンから身体を離した。 シオンは無言で私の瞳を見つめている。 透き通った淡い翡翠色の瞳はシオンの心の中を映し出しているような気がした。 私はゆっくりと目を閉じると、シオンの背中に手を回した。 同時に、シオンも私の背中に手を回してくる。 予め二人の間で了承されていたかのように、私達は唇を重ねた。 離れていたあまりに長い時を埋める為に、二度と離れないよう魂の契りを交わす為に。 これは崇高な儀式なのだ――曖昧な意識の中で、私はそう感じていた。 この日の光が、風が、木々が証人となろう。 忌まわしい記憶を刻み込んだこの地が、今新たなる始まりの地へと姿を変えようとしている。 そしてこの私も、長き旅路に別れを告げ、帰路につこうと思う。 ――他の誰でもない、シオンの許へ。 |
fin
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