街の喧噪をくぐり抜けるように歩いていく。もしかしたら、逃れたいと思っていたのかもしれない。そう、私はその音から逃れようとしていた。重なり合う人の声が、その足音が鼓膜を震わす度に、自分が独りである事を思い知った。その音が彼のものであればと思い、堪らない焦燥と、そして孤独感に打ちのめされる。どうして彼はいないのだろうと、答えの分かり切った疑問が頭の中で木魂する。 疑問だけが降り積もっていた。まるで雪のように、それは徐々に私から熱を奪い、私という感覚が少しずつ麻痺していく。頭の芯がじんわりと鈍く痛んだ。頭を抱えるようにして立ち止まって、宙を彷徨う視線を隣に向けた。 大きなショーウィンドウが、太陽の光を受けてきらりと光る。その中に自分の姿を見つけた。そこに映っていた私は、どれだけ酷い顔をしていただろう。唇は固く結ばれ、長い睫毛は、今にも泣き出しそうなほどに、わなわなと震えている。そこには疲れ切った顔をした私が、哀れむような目で私を見つめていた。 この光景を、私はどこかで見た事があった。記憶の糸を手繰り寄せようとしてみる。どこで見たのだろう。一体誰と。答えが脳裏を過ぎった瞬間、頭の芯がズキリと痛んだ。
『アドビス。アドビスで一緒に暮らさねーか?』
あの刻、異世界に行こうとする私に、彼はそう言ってくれた。彼には解っていたのだ。異世界がどのような場所か。そこに行けば、必ずしも命の保証は出来ないという事も。だけれど、私はその申し出を断った。彼が抱いていた懸念など、これっぽっちも頭の中にありはしなかったのだ。ただ、義兄<ザード>の敵が討てればそれで良かった。 そんな私は、彼の目にどう映っていたろう。彼は、何故私と共に行く道を選んだ? 自らの命を賭してまで。そして、私にとっての彼は、いったい何だったのだろうか。 私は、疑問の核心に触れるのを恐れている。きっと、そうなのだと思う。私の喪ったものはあまりに大きく、その根底にある「核心」に触れたなら、きっと私は独りで歩いていけなくなる。今辛うじて動いている足は、きっと石のように固まり、二度と動く事は無いのだろう。そんな風に冷静な分析をする自分に、思わずハッとしてしまった。未だにそれだけの余裕があるというのか、それとも、既に感情が麻痺してしまっているのだろうか。 「……ビス」 微かに掠れた声を、私の耳は確かに捉えていた。 硝子に視線を戻すと、そこには背後に佇む一人の女性が映っている。白いフードを纏い、額には宝石のようものが煌めいていた。浅黒い肌をした彼女は、儚げな視線を私に向けている。 「え?」 聞き返すように言って、彼女の方へと振り返った。 彼女は未だ、視点の定まらないような目を私に向けていた。 「アバスの……イビス」 心臓を握りつぶされたかと思った。血が煮えたぎるように体中を行き交い、浅い呼吸がどんどん速くなっていく。体中が一気に熱気を帯びて、思わず倒れてしまいそうになった瞬間、彼女は身体を翻したのだ。 「ちょ、ちょっと待って!」 私の言葉に応える素振りなど微塵もない。彼女は、その華奢な身体からは想像もつかないほど機敏な動きで人の波をすり抜け、あっと言う間に姿を消してしまった。 「アバスの、イビス」 噛み締めるように呟く。うねりのような人の波を呆然と見つめながら、私はその言葉の意味をぼんやりと考えていた。
その数ヶ月後、私は彼と再会を果たす事となる。 喪った過去を清算するためーーそんなもっともらしい言い訳を片手に、再び訪れた彼の地に彼はいた。 どうして、と喉元まで込み上げてきた疑問を飲み干す。理由などどうでもいいのだ。大切なのは、今目の前に彼がいるのだという事。そして、今度こそこの気持ちの行き場を見つけられたということ。 この地に縛り付けられていた刻が、再び動き出した。 |