傷痕
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――お前と別れた後、私はずっと死にたいと思っていた
その言葉を聞いた瞬間、頭の中が真っ白になった。それまで少しずつでも心を開いてくれるようになった事が嬉しくて、ただ一人有頂天になっていた自分が恥ずかしかった。今日は笑いかけてくれたとか、一緒に添い寝してくれたとか、そんな自分を中心にして彼女を見る事しか出来なかった。本当は彼女がどのような事を考え、どのような気持ちでいたかなど考えようともしないで。 表情を失った彼女はただ空に瞬く星々をじっと見つめている。その瞳は月明かりを纏い、硝子のように透き通っていた。 その時、彼女は泣いていたのだ。 俺の前で涙を見せないように……必死にこみ上げてくる涙を噛み殺して。そう、彼女は涙を流す事無く泣いていた。 そんな彼女がたまらなくいじらしかった。俺は肩から首筋を伝って尖った耳の周りまでを指でなぞると、そのまま彼女を胸に引き寄せた。 撫でるようにして零れ落ちた髪を弄りながら耳元に唇をよせる。 「これからずっと……傍にいるから」 腕の中に体を預ける彼女を抱きしめながら耳元に口付けをする。そして両手を肩まで下ろすと、ゆっくりと身体を離した。 頬を朱に染めた彼女は俺の顔を見るなり目を細め、視線を地面に落とした。その表情は涙を堪えているようにも、恥ずかしがっているようにも見える。 俺は熱を帯びた頬にそっと触れると、促すようにして顔を上げさせた。そして上目がちな瞳をじっと見つめながら優しく口付けをした。 「カイ……」 言葉を遮るようにして首筋に舌を這わせる。身体をビクンと震わせた彼女は俺の首筋を掴んだままその場に沈みこんでしまった。そんな彼女の身体を支えながら地面に座らせ、後ろの木にもたれかからせてやる。 彼女は唇を微かに開けて八重歯をのぞかせながら俺をじっと見つめていた。一方、俺は沈黙を都合よく受け取りながら一つひとつボタンに手をかけていく。その間も彼女は抵抗の素振りすら見せようともしない。 しかし胸の辺りの生地を掴んで前をはだけさせようとした瞬間、彼女は身体を隠すように胸に両手を当て、俺から顔を背けた。 「……嫌か?」 無理やり抱こうなんて気は更々無かったから、彼女の意志に全てを任せようと思ったのだ。彼女がその行為自体に何らかの意味を見出すならそれで良いし、そうでないなら拒絶すれば良いのだから。俺にとっては肉体的にしろ精神的にしろ彼女を満たしてやれればそれで良かった。 尤も、こういう方法しか思いつかない自分は相当不器用なのだろうと思うが。 「……そうじゃない」 彼女は恐るおそるといった雰囲気で口を開いた。だが依然として目を合わせる事には抵抗があるらしく、その瞳は地面を見つめたままだ。 「私の身体…………傷だらけだから」 反射的に彼女の身体へと視線を落とす。成るほど、筋肉質の滑らかな肌にはいくつか痛々しい傷が刻み込まれている。その多くが獣の牙や爪の痕のようだった。 普段は男っぽくサバサバして見える彼女だが、その一方で誰よりも繊細で傷つきやすい一面を持っているという事を俺は知っている。だから傷だらけの身体を曝け出す事にはかなりの抵抗があるのだろう。 俺は彼女から手を離すと、自分の服のボタンを外し始めた。 衣擦れの音に反応した彼女は俺が服を脱ぐ様子を横目でチラチラとうかがっている。正直無言のまま見つめられるのはかなり恥ずかしいものがあった。だけど彼女の方がずっと恥ずかしいんだ、と自分に言い聞かせながら服を脱ぎ、あちこちに刀傷の刻み込まれた身体を曝け出した。 「ジェンド……」 彼女の小さな手を取って脇腹に残った傷痕に触れさせる。彼女は指の隙間からのぞく傷痕に視線を移すと、ゆっくりと俺の顔を見上げた。 「初めての戦ん時のヤツ。こういうの嫌いか?気になる?」 そう訊いた瞬間、彼女はブンブンと頭を振ってみせた。 「そんな事無い!!私は全然……」 「俺だってそうさ」 「でも背中の傷は……」 「ストップ。これは好きな女を護って出来た傷なんだぜ?男にしてれば勲章みたいなもんさ。まあその後は目も当てられなかったケドな」 「……カイ」 「お前こそ色々辛かったんだろ?その傷も、過去も……全部受け止めるから。だから何も隠さないでいい。お前はお前でいてくれればそれでいいんだ」 恥ずかしそうに頷く彼女。そして胸においた手を離すと、羽織っていた服をスルリと脱いだ。 俺は口元にそっと笑みを浮かべると、改めて彼女と唇を重ねた。睫毛を震わせながら目を閉じる彼女はとても可愛らしかった。そんないつもとは違う少女のような姿を目の前にして、不意に悪戯心が沸き起こってくる。 俺は目を閉じているのをいい事に剥き出しになった背中を中指でそうっとなぞると、尖った耳をペロッと舐めてやった。 「やっ……カ…カイ……お前何を……」 「何って、舐めてるだけじゃん」 「く…くすぐったいからやめろって……ん…」 「じゃあここら辺?」 「ん…ダメだって……くすぐっ…ふふ……ははははっ」 堪えきれずに笑い出す彼女。耳元では今までに聞いた事も無いような無邪気な笑い声が響いていた。 それにつられて俺も噴出してしまう。そしてしがみついてきた彼女の背中に両手を回すと、ぐいと引き寄せて地面に寝転んだ。 「あ……」 上に圧し掛かって来た彼女の瞳を見つめながら優しく微笑みかけてやる。 「やっぱさ、ジェンドは笑ってる方がいいって」 「カイ……」 一瞬真顔に返る彼女。しかし再び笑みを浮かべると、俺の髪の毛に指を絡めながら顔を近づけてきた。 「やっぱり……お前にもう一度逢えて良かった」 そして俺達は今日何度目かの口付けを交わした。 | |||
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