like a shining moon...
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静寂と暗闇の支配する世界で 貴方の瞳は蒼白いこの月と重なる |
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冷たい光を帯びたその目で 貴方は何を見るのだろう |
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貴方の瞳に映る世界は 一体どのような物だろう |
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もしも許されるなら 貴方の瞳を通して世界を見てみたい |
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たとえ苦しみに満ちていようと 貴方の傍から離れない |
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私が必要とされている限り そして 私が必要とする限り |
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法力国家アドビス――かつてその国は華やかな繁栄を極め、近隣諸国へもその名を轟かせていた。 今やその面影は失われ、あるのは重苦しい空気を纏ったくすんだ町並みだけだ。 このセピア色と化した景色を眺めていると、時という物が如何に残酷であるか、そして栄華という物は長くは続かないのだという事を思い知らされる。 しかしそれ以上に"彼"の目に映るこの風景が単なる衰退の象徴としてのもので無い事を考えると胸が痛んだ。 私に出来る事は何だろう。"あの時"から常に抱いていた想い――それを未だ果せずにいる自分を歯痒く思った。 彼はずっと私の傍にいてくれたのだ。そして我侭な王子を演じながら、その実私の我侭に付き合ってくれていた。 わたしにできることはなんだろう。その一文字一文字が思考に絡み付いてくる。彼にとってかけがえの無い存在として、そして彼の望みをかなえられる自分の像を常に描き続けてきた。自分の愚かさを知ったあのイエソド以来ずっと。 だから、私は私である術を探しているのだ。 「……大丈夫?シオン」 すっかり冷たくなったシオンの手を握り締めると、やわらかな口調で語り掛けた。 シオンは目の前に広がる故郷をじっと眺めたまま微動だにしない。 そんなシオンの瞳が、私にはとても冷たく見えた。 「俺はずっと……」 擦れた声が風に飲みこまれて行く。 ゆっくりと瞳を閉じたシオンは、唇をギュッと噛み締めると、静かに頭を下げた。 「いや……何でもない。行こう」 言葉の切れ端を見つける事が出来ないまま、無言で歩くシオンの後を追っていく。その背中はいつもより小さく、寂しげに見えた。 「何だお前は?城内に入るには王の許可が必要だ。許可証を見せろ!!」 予想通りの反応だった。 フードで顔をすっぽり被った魔導士とボロボロになった服を纏った怪しい女をそのまま通してくれる筈が無かった。 シオンにもそれは解っていた筈だ。それなのにフードを被って顔を隠そうとするその裏には彼なりの思いがあるのだと思う。 いや……それは確実にある。自分を拒絶したこの国に素顔を見せるという事に抵抗があったのだろう。フード越しに見るシオンの顔はいつもより蒼白く見えた。 そして守衛が次の言葉を紡ごうとした瞬間、シオンはゆっくりとフードを捲ってみせた。 「――王と面会したい」 守衛の顔が驚きの色に染まって行く。いくら鈍感な私でも、それだけははっきりと解った。 「王……子?」 守衛は手にしたスピアをギュッと握り締めると、噛み締めるようにそう呟いた。 「王と面会したい」 再び、シオンは抑揚の無い言葉を繰り返す。それは私が聞いてもぞっとするような、そんな冷たい重みを孕んでいた。 まるで王者の持つ畏怖の対象としての威厳のような……私がそう思っていると知ったら彼はどう思うだろう?きっと喜びはしないと、直感的にそう思った。 「は……はい。少々お待ち下さい!」 守衛の一人は擦れた声でそう叫ぶと急いで場内へと駆込んでいった。 取り残されたもう一人の守衛は何を言っていいか解らない様子で、ひたすら動揺を隠せずにいた。 王子は死んだと伝えられているのだから当然だろう。ひょっとしたら非業の死を遂げた王子の亡霊がやってきたと思っているのかもしれない。守衛の顔を見ていると、それがあながち間違いでもないように思えてくる。 そんなとりとめも無い事を考えているうちに、先ほど場内に消えて行った守衛は息を切らせながら戻ってきた。 「王妃様がお会いになります。こちらへどうぞ。お付の方は……」 「……コイツも一緒だ」 翡翠色の瞳は鋭い光を放ちながら守衛を睨み付けていた。悲しみ、苦しみ、怒り――そのような冷たく重苦しい感情が滲み出るような冷たい瞳だった。 「わ……解りました。ど……どうぞ」 王子としてではない、純然たる畏怖の対象としてのシオンが守衛の瞳には映し出されていた。 守衛が連れてきたのは謁見の間だった。 赤い絨毯が敷き詰められた部屋の奥には二つ程豪華にしつらえられた椅子が置かれている。しかしそこに座っているのは本来の主ではなかった。 「……シオン」 目をスッと細めた王妃は、死んだ筈の息子を冷たい光を帯びた瞳で見つめながら、静かに口を開いた。 「お久しぶりです。母上」 抑揚の無いシオンの声が謁見の間に響く。 重苦しい雰囲気が支配する中、王妃の隣の椅子に座っていた幼き王女は静かに口を開いた。 「おにい……さま……!?」 透き通った綺麗な声だった。王妃とは違う、血の通った人間の温かさを感じた。そして純粋に義兄との再会を喜ぶような。 しかし、王妃はそれを許しはしなかった。 「――ミト」 叱り付けるような口調でその名を呼んだ瞬間、ミトと呼ばれた少女はビクッと身体を震わせた。 「シオンは……王子は死んだと聞きましたが。あなたは――――」 王妃はそこで言葉を切ると身体を微かに傾け、目頭に指を乗せた。 「父上は……どうなされたのですか」 沈黙に耐えられなかったのか、先ほどと同じ抑揚の無い冷たい声でシオンは切り出した。 「……王は心を病んでいらっしゃるわ。王子がいなくなって以来ずっと……そう、抜け殻のように」 「母上!!」 王妃が溜息をついた瞬間、顔を強張らせたミトは肘掛をぎゅっと握り締めてそう叫んだ。 一方の王妃は再び溜息をつくと、面倒くさげに顔を上げ、シオンを見つめた。 「今日は疲れているでしょう。神官長、王子に部屋の用意を」 「……承知致しました」 神官長と呼ばれた男は一礼をすると謁見室を後にしていく。 次いで、シオンは王妃に背を向けると拳をギュッと握り締めて歩き出した。 「シオン」 王妃の呼びかけと同時にシオンの足が止まる。 「……よく帰ってきたわね」 生まれてからこれまで、これほどまでに空虚な言葉を聞いた事が無かった。 神官長の後を追う私達の間に何の言葉をも取り交わされる事は無かった。 ただ町以上に重苦しい雰囲気の空気が漂う中、身体中がヒリヒリするような痛みを覚えつつ、私達はただひたすら足を動かしていたのだ。 城内にしつらえられた装飾はすっかりと色を失い、今や衰退の象徴とも言えるくすんだ色彩を帯びていた。 「王子はこちらへ。お連れの方は隣の部屋へどうぞ。それで構いませんな?」 神官長は私達の顔を交互に見ると、何か腫れ物に触るような、そんな口調で訊ねてきた。そしてそのような彼の瞳を見た瞬間、前に一度だけ来たアドビスの記憶が鮮明に蘇った。 「……構わない。手間をかけるな」 神官長の顔を見ずにそう言ったシオンは逃げるようにして部屋の中へと入っていく。 そして鈍い音を立てながらドアが閉まった瞬間、神官長は「いいえ」と呟いた。 「一つ訊いても宜しいですかな?」 私達以外に誰もいなくなった静かな廊下で、不意に神官長は口を開いた。 「ええ……構いません」 私は神官長の瞳をじっと見詰めると、先ほどのシオンと同じく、抑揚の無い声でそう応えた。 「王子がこの国をお去りになる前、勇者ザードの弟なる者を連れてこられましたな」 「…………」 「その者の名をウリックと言った。もしや……貴女がそうではありますまいな?」 その目は明らかに否定する事を許してはいなかった。微かに口元を緩ませ、瞳の奥に優越の色を称えたその顔は酷く醜く映り、思わず顔を背けてしまう。 「だとしたら……どうだと言うのです?」 「はじめからザードの弟などいなかった。虚は虚を呼ぶと申します。努々御忘れ無きよう」 そう言うと、神官長はクックッと飲みこむような嫌らしい笑い声をあげ、私に背を向けた。 「例え血が繋がっていなくとも……僕はザード兄さんの弟だ。それを虚と言うのなら……あなたにとっての真とは何です?シオンを虚とするなら、真とは一体――」 「――言うまでも無き事。真なる者、それは紛れも無くミト王女。法力を継いだ正当なる継承者でありますぞ」 再び、飲みこむようないやらしい笑い声をあげると、神官長はその場から立ち去って行った。 胸に残る鈍い痛みを感じながら、私は与えられた部屋へと入っていった。 ――真なる者、それは紛れも無くミト王女。 その言葉はいつまでも胸に突き刺さったままだった。 シオンは……この閉ざされた城の中で常にそのような視線の対象として生きる事しか許されなかった。この国におけるシオンの存在は虚であり、ザード兄さんは彼の存在を真と認める唯一の人間だった。 あの時の僕はそんな事にも気付かなかった。ただひたすら、周りからウィザードとして好奇の視線にさらされるシオンを可哀想だと思うだけで。 「僕……か」 久しぶりに使ったその言葉を呟くと、私はシオンの部屋へと向かって行った。 「シオン……私。入ってもいい?」 結局シオンの部屋の前でずっと立ち竦んだまま、私が中に入る決心をしたのは数分の後だった。 「ああ、入れよ」 少しだけ間を置いてからいつもと変わらないシオンの声が迎えてくれた。 私は一つだけ深呼吸をすると、意を決してドアノブをひねって中に入っていく。 「どうしたんだ、イリア?」 私の目に映っていたのはいつも通りのシオンだった。表情、声、素振り、その全てが"いつも通り"だったのだ。 しかし今は、その全てが痛々しく見えた。 彼は――シオンは、私に情けない姿を見せまいと必死になっているのだ。この国だけじゃない、親にまで冷たい扱いを受けて……平静を保てる筈が無かった。 「ううん。シオンが……大丈夫かなって思って」 その言葉を選んだ事を酷く後悔した。私が心配しているという事を知ったら、シオンの事だ、必死になって平静を装うに違いない。 そして今も……その例に漏れてはいなかった。 「何がだよ?俺は平気だぜ。それよりお前の方こそ、こんなだだっ広い城ん中で落ち着かないんじゃねーの?迷子になったりするなよ。恥ずかしいから」 馬鹿にしたようにシオンが笑う。笑顔が引き攣って行く。そして引き攣った笑みは……顔に張付いて行く。まるで仮面のように。 「ひっどいの……そんな事無いよ!」 「どーだかな?じゃ、この城ん中でかくれんぼでもやってみるか?」 「ふんっ!どうせ私は方向音痴ですよーーだ!!」 「へへっ、解ってるじゃねーか。お前も少しは成長したって事だな」 自然に笑っているシオンの顔を見て、少しだけ安心した自分がいた。 「何笑ってんだよ?」 「何って、シオンだって笑ってるじゃない」 「ははっ、そういやそうだ」 その瞬間、ドアの方からノックする音が聞こえてくる。 「あの……お義兄様、ミトです。入ってもいいですか?」 先程王妃の隣に座っていたミト王女だった。 「……ああ、構わない」 シオンの顔は少しだけ強張っていた。 しかし、それは王妃を前にしたあの時とは違っているように思えた。 「お義兄様……さっきは……ごめんなさい」 部屋に入るなり、ミトは今にも泣き出しそうな顔をしながらそう切り出した。 一方のシオンは先ほどまで強張らせていた顔を緩ませると、少しだけ笑みを浮かべてミト王女に向かって歩いていく。 「お前が気にすることじゃない。それに……こうやって来てくれるだけでとても嬉しいよ。見つかると色々言われるだろ?母上に」 「そんな事どうだっていいんです!私はお義兄様がご無事で、こうやって戻ってきてくだされば――」 言葉を遮り、シオンはミトの身体を抱きしめていた。震える彼女を抱くその姿は、今まで一度として見た事の無い物だった。 だけど……不思議と心がポカポカして行くのを感じていた。 「お前は元気にやってるのか?何か嫌な事とか、辛いことはないか?」 やわらかなシオンの声が部屋中に響いていた。それが嬉しくて、気がついたら私までもが自然と笑みを浮かべていた。 「ええ、私は大丈夫です。でも…………」 「どうした?」 「でも……お父様が……」 その瞬間、シオンの身体が微かに震えたのを私は見逃さなかった。 「父上は…………」 「私達の前では気丈に振る舞っておられます。でも、すっかり元気を無くされて……全権をお母様に渡して、今は部屋に閉じこもったまま。殆ど誰とも口をお聞きにならないで……」 「……会えるか?」 「はい。そのつもりで来ました。お義兄様とお会いになればきっと……きっと元のお父様に戻ってくれると、そう信じています」 ミトを抱く手を放すと、シオンは私の方に向きかえって意を決したかのように口を開いた。 「ウリック……来てくれるよな?」 私は静かに頷く。それ以上の説明は必要無かった。 そしてシオンは薄らと笑みを浮かべると、身を翻して歩き出した。 アドビス城の奥まった場所に王の部屋はあった。 まるで回りから隔絶されたかのようなその空間は酷く冷たい印象を与え、背筋を冷たくさせた。 「ここに……こんな所に父上が……?」 シオンの声は震えていた。 怒りと悲しみに満ちたその声は私の心をも捉え、その色に染めていく。 「お母様が命じられて……私は反対したのですが」 ミトの言葉に応える事無く、シオンは二回ほどドアをノックすると、無言のまま部屋に 入っていった。 カーテンは全て閉められ、辛うじて光を与えていたのは一本の蝋燭の灯火だった。 部屋中に停滞した空気が垂れこめ、その雰囲気に似つかわしくない大きな屋根付きのベッドに、王は横たわっていた。 そして微かに頭をあげると、私達の顔をじっと見詰めた。 「誰かね?新しい…………!?」 その瞬間に王の瞳がカッと見開かれる。皺だらけの顔が更に歪んで、あっという間にどろっと濁った瞳に大粒の涙が溜まっていった。唇はぶるぶると震え、それは次第に身体中に広がって行く。 「シオン…シオ……シオン……シオン…!!」 その名を必死に繰り返しながら、王はぎこちない動作で上体を起こすと、そのままベッドから降りようとした。 しかしバランスを崩したその身体はドスッという鈍い音と共に地面に叩きつけられる。 「父上!!」 擦れた叫び声をあげながらシオンは走り出していた。 そして地面に這いつくばったまま、未だにシオンの元へ行こうと必死になって手を伸ばす王の身体をいだき、きつく抱きしめていた。 「父上……すみません……私のせいで…………」 シオンに抱かれるアドビス王の顔はとても安らかに見えた。そう、前に会った時に見たその顔のように。 「もうよい……シオン、お前が生きていてくれただけで…………私は……私は嬉しい………」 「父上………」 ミトの肩に触れた瞬間、二人の視線が絡み合った。そして互いに頷きあうと、私達は静かに王の部屋を後にした。 夜の帳が下りてから暫くの時が経っていた。 シオンの言葉ではないが、何となく広いベッドに寝付けずにいた私は寝巻きに上着を羽織ると城の中庭へと向かって行った。 このままベッドの上に横たわっていても眠れそうに無かったし、以前シオンから中庭から見える月の美しさについて聞いていたからだ。 前は月を見る度に異世界の恐怖が頭を過った物だが、シオンと再会してから不思議とそのような恐怖は消えて行った。 きっと、月そのものが怖いのではなく、月のような妖しい光を纏ったイールズ・オーヴァの瞳に恐怖を感じていたのだろう。 全てが終わった今、もはやそのような恐怖を抱く必要などどこにも無かった。 中庭は蒼白い月光に染められていた。 全てがやわらかな光に覆われ、独特の幻想的な世界を形作っていた。 そしてその中に……私のよく知る者の姿を見つけた。 「……シオン」 彼に聞こえる事の無い小さな声で呟く。 芝生の上に座った彼は、遥か空の彼方で輝く月を見つめていた。 翡翠色の瞳は蒼白い月の光を映し出し、硝子玉のような冷たい輝きを持っていた。そして絹のように白い肌はまるで陶器で出来た人形のように透き通っていた。 何て哀しそうな目をしているの――心の中でその台詞を噛み締める。 私の目に映るシオンは、まるで子供のように純粋な存在に見えた。 そして同時に、酷く脆弱な存在にも見えた。 このアドビスという国で、彼は自分の色を失って行く。主張する事も、あまつさえ存在する事さえも許されず、彼はこの国に、そして人々に侵されてきた。彼らの望む存在になどなり得ないというのに、そうなる事を強制されてきた。そして何時の間にか……この夜を覆う蒼白い光に染まっていったのだ。 私の目に映る哀しげな彼の瞳がそれを訴えていた。 「シオン」 もう一度彼の名を呼ぶ。今度ははっきりと、彼にも届くような声で。 突然の来訪者に驚いたのだろう。シオンはその身体をびくっと震わせると、ゆっくり私の方に向きかえってみせた。 「イリア……どうした?こんな時間に」 求められている――不思議とそう感じた。 私は後ろで手を組むと、ゆっくりとシオンに向かって歩いて行った。 「寝付けなかったの。だから。昔話してくれたでしょ?ここの事」 一瞬、シオンの口元が緩んだように見えた。 「そう……か。覚えていたんだな」 「うん。一度見てみたかったんだ。シオンが……子供みたいに目を煌かせて話してくれたこの月を、ね」 「悪かったな。子供みたいで」 まるで拗ねた子供のように、シオンは口元を歪めてみせた。 刻が止まったかのようなこの幻想的な世界の中で、私達は唯一互いを共有し合い、そしてここに存在していた。 「いいんだよ、子供で。子供でいられる時間……無かったんでしょ?」 シオンの背中に胸をつけると、彼の首に腕を回した。その瞬間、彼はびくっと震えたけれど、決して拒みはしなかった。 私は……それが嬉しかった。女を嫌うシオンが、女としての私<イリア>を認めてくれた――それは多分、私を必要としてくれているのだと思う。 「なあ……アドビスを出て、おまえの家に行かないか?ほら、ザードと暮らしてたあの家にさ」 「……うん、いいよ」 「本当に?ここにいればうまい食べ物だって食えるし、フカフカのベッドで寝る事だって出来るんだぜ」 「おいしい食べ物にフカフカベッドかぁ……」 「チェッ……お前って奴はさぁ」 「……要らないよ。おいしい食べ物も、フカフカのベッドも。私はね、シオンがいてくれれば……傍で笑っていてくれたら……他には何も要らないんだ」 「イリア……本当に……それでいいのか?」 「ここにいるとシオンが辛い思いをする事になる。そんなの嫌だよ。それに……私の為に我慢させるのも……嫌」 「ありがとう……イリア」 「ううん。私達は二人で一つだから」 「……ああ」 「何か探検してるみたいだね。こうやって夜の城の中を歩くのって」 「探検なんて年中やってるだろ?誰かさんがお節介焼くおかげでな」 「む〜〜そんな言い方って無いでしょ?」 このような和やかな雰囲気でいられる事は随分と久しぶりであるように思えた。 シオンと一緒にアドビスに帰ろうという話をした時から、ずっと二人の間に言葉にしがたい暗雲のような物が垂れ込めていたのも事実だった。彼が進んでアドビスに帰りたがる筈が無い――それを知っていたから、なおさら私も気を使っていたのだ。 「ほら、ぼけーっとしてると壁にぶつかるぞ?」 「痛ッ!!」 「ったく……言ってる傍からボケかます奴がいるかよ……」 「だって暗いんだもん。仕方ないじゃん!」 「大体にしてお前には集中力って物が――――」 そこでシオンの声が止まった。彼は驚きを隠せないような顔をして立ち止まり、そして暗がりの先のある一点を凝視していた。 「どうしたの、シオン?」 「父上……」 私は思わず声を漏らすと、シオンの視線の先をじっと見つめた。 薄らではあるが、誰かの人影が見える。 しかしそれがアドビス国王であるかどうかは解らなかった。 「シオン……やはり行ってしまうのか?」 その声は紛れも無くアドビス国王の物だった。微かに擦れていた物の、その力強い声は嘗てのそれと何ら変わりはしなかった。停滞した刻が流れ出した……きっとそういう事だと思う。 「……申し訳ありません。しかし私は……この国で………」 「何も言わずとも良い。お前をそこまで追い詰めてしまった罪……それはこの父にある」 「そのような事はありません!断じて!!」 「私は……一瞬でもお前の事を疑ってしまった。ウィザードであるお前を……疑ってしまった。その罪は決して許されざる物」 「…………」 「ウリック殿。息子の事を宜しく頼みます。そなたの前なら、シオンは全てをさらけ出す事が出来る。この国では……そうは出来なかった」 「私こそ……しかし、シオンは決して国王の事を怨んではいません。それどころとても大切に思っています。一緒に旅をしてきて……その事だけは確信を持って言えます。だから、そのようなお辛い顔をなさらないで。お願いです」 「ウリック……」 「シオン、お前は本当に良い仲間を持ったな。これからも、自分の選んだ道をしっかりとその足で踏みしめていくのだぞ」 「……はい」 「それから……ルハーツの事、悪く思わんでくれ。あやつも……この国の古い体質から抜け切れぬだけなのだ」 「解っています。いつか……いつかウィザードとクレリックが手を取り合う日が来たならその時は――」 「最後に、これを持っていけ」 そう言って国王がシオンに手渡したのは色褪せたウィザード用のローブだった。そして胸の所には、アドビスの国印が刻まれていた。 「父上……」 「お前が成人した日に渡そうと思っていた。お前は間違い無く私の子供だ。誰が何と言おうと、私の子供だ。こんな父を許してくれるのなら……これを受け取ってくれ」 シオンは手にしたローブを胸に押し当てると、一筋の涙を零した。 「ありがとう……ございます。私の生涯の宝として……宝として…大切にします……」 「さあ、行くがいい。守衛には伝えてある。ルハーツはお前を……いや、いい。日が明けぬうちに行くのだ。そしてお前達の刻を、お前達だけの刻を見つけるがいい」 「……はい」 そして二人で一礼をすると、闇に包まれた回廊へと足を踏み入れて行った。 アドビス城を後にした時、東の空からは薄らと太陽が顔を出していた。 私達は互いに手を取り、そしてこの足で懐かしの大地を踏みしめる。 これから始まる二人だけの刻に期待と、そしてほんの少しの不安を抱きつつ、二人は歩き出していた。 そして数刻の時が経った頃、日の光を浴びたアドビス城からはけたたましい鐘の音が聞こえてきた。 | |||
fin | |||
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