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この街に来たばかりの頃に精霊節の話を聞いた事がある。 三年に一度だけこの大地に宿る精霊達が姿を現して天へと昇っていく。 降り積った人間の罪を空に連れて行くのさ--不思議そうに首をかしげる俺達に誰かが語りかけてくれた。 その話を聞いた時、俺はシアンベルブへと向かう聖樹<ジェドの木>の光を思い出していた。 あの時、そこにいた誰もが強い力で結ばれていたような気がした。 それが何かは解らないけれど、とても暖かくて、とても優しくて、とても……嬉しかったんだ。 何の分け隔ても無くアイツと繋がっているような気がして……とても嬉しかった。 「次の精霊節、一緒に見ような」 少しだけはにかみながら、背を向けた彼女に向かって呟いてみた。 彼女はゆっくりと振り返って、口元に微かな笑みを浮かべながら「ああ」と応えてくれた。 |
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透 明 な 貴 方 と 踊 る ワ ル ツ |
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Kai 〜 monologue リルハルトの街で暮らし始めて既に二年が経とうとしていた。 俺達は長い旅に終止符をうち、この街で生活を共にする事を決めた。 二人が共に歩き始めるまでにあまりに多くの障害があったし、それによって俺達自身疲れきっていたのも確かだった。 ディアボロスを倒すという目的を失った今俺達が旅を続ける理由など無かったし、何よりも落ち着いた生活をしたかったのだ。 この旅を始めた時から命の保障が無い事など解っていた。 覚悟もできていた筈だ。 しかし大切な人を失うという意味を知ったその日から、俺達は互いに死を恐れるようになったんだ。 どちらもが独り取り残される事を恐れていた。 口にこそ出さなかったけれど、それは彼女とて同じだと思う。 だから俺達は互いに旅を終わらせる決意をし、そしてこの地で共に暮らす事を決めたのだ。 ここにいれば何物にも脅かされる事無く、互いの事だけを考えていられると思ったから。 いつからだろう、同じ事の繰り返しでしかないこの毎日に退屈するようになったのは。 二人で旅をしていた頃は毎日が新鮮な感動で満ちていた筈なのに、最近はそのような感情を抱いた事すらなかった。 彼女と一緒にいる時でさえ以前のようにワクワクする事も無くなったし、彼女の仕草や言葉に一喜一憂する事も無くなった。 決して彼女の事を嫌いになったわけでもないし、他の女の事を好きになったわけでもない。 だけれど、二年前と同じだけ彼女を愛しているか、と訊ねられれば「そうだ」と即答できないかもしれない。 そしてそれはわだかまりとなって胸の内にたれこめ、知らないうちに彼女へとぶつけるようになった。 些細な事で喧嘩をするようになったし、いつの間にか自分の視点でしかものを考える事が出来なくなっていた。 きっと「彼女はずっと側にいてくれる」という理由も無い確信が俺に慢心を抱かせていたのだろう。 男として彼女に認められたい、そのように思っていた時はいつも彼女を支えられる男になろうと努力していた筈なのに、今はそれすら忘れてしまった。 流れ行く刻の中で全てがゆるやかに変化している。 意識の奥底に眠る本当の俺自身も、静かに、ゆっくりと変わっていく。 必然だと解っているのに、それに戸惑う自分と、そして諦めている自分がいる。 Zyend 〜 monologue あいつと離れていた三年には苦痛しかなかった。 自らの過ちで彼をずっと苦しめていたという後悔と、傍にいる筈の者のいない寂しさが私の心に圧し掛かっていた。 一緒にいる--唯それだけの事がどれだけ大切で難しいかという事を確信した。 だからあいつと再び逢い見えた時、本当に嬉しかったんだ。 確かに私の中には限りない罪悪感があったし、それは完全には拭う事の出来ないものだと思う。 それでも、そんな私を彼は許してくれた。 傍にいてくれた。 いっぱい愛してくれた。 傍に自分を想ってくれる人がいる、そんな当たり前の事が本当に嬉しくて。 長い間彷徨っていた暗闇から抜け出せたような気がした。 でもこのリルハルトの街に来てから、何もかもが少しずつ変化していった。 私は剣を置き、そして女として今まで出来なかった事をやろうと決意した。 旅をしていた時のような新鮮な感動に満ち溢れた生活とは程遠かったが、それでも、彼の為に何か出来る事が嬉しかったし、そんな自分が大好きだった。 傍にいる筈の彼の不在を感じるようになったのはいつからだろう。 以前のように色々と話し合う事も無くなったし、私に触れてくれる事も少なくなった。 料理を作っても何も言ってはくれないし、髪を切っても気に留める様子も無い。 ただ漫然と一緒にいるだけのような、そんな気がした。 そして何より、傍にいても互いの温もりを感じる事が出来ないのがこれ程にまで辛いとは思わなかった。 Zyend 〜 memories stay only in my heart いつもと変わらない食事の風景――小さなテーブルを挟んで、その向こうには彼が座っている。 特に会話らしい会話も無く、もはや当たり前となった沈黙を破ったのは私だった。 「……なあ、カイ」 肉を頬張った彼が不思議そうな顔をして私の顔を覗き込んでくる。 そんな彼を一瞥すると、私は手にしていたフォークを皿の上に置き、そして再び彼の顔をじっと見つめた。 「ん……どうかしたか?」 彼の青澄色の瞳を見ると、一瞬決意が鈍ってしまうような気がした。込み上げてくる不安ともつかない感情を押し留めるように唾を飲み込んでゆっくりと口を開く。 「明日って何の日か覚えてるか?」 私の問いかけの意味を測りかねる様子の彼は首を傾げて「うーん」なんて間の抜けた声を漏らしてみせた。 視線が彷徨っている様子から本当に思い出せないらしい。 そして暫く考えた後、唐突に人差し指を突き出すと笑顔でこう答えた。 「解った!俺達が出会った日だろ?」 笑顔の彼とは対照的に、私は小さく項垂れると溜息を噛み殺した。 ある意味予想通りの答えだった筈だ。それなのにこの時の私は彼の笑みに期待し、そして求めてしまったのだ。 答えが違う事を察したらしい彼は苦笑いを浮かべながら「ははっ、何だっけ?」等と何の気なしに訊ねてきた。 私はそんな彼に苛立ちを覚えながら、一度テーブルに落とした視線を再び上げ、彼の顔をジロッと睨み付ける。 「……別に」 私の態度が気に食わなかったのか、一瞬にして彼の顔から笑みが消えていく。そして少しふてくされたような顔をすると、わざと音を立てるようにしてフォークを置いてみせた。 「怒んなくたっていいだろ?」 「怒ってなんてないよ」 「その言い方が怒ってるじゃん」 「……だから怒ってないって言ってる」 「お前らしくないな。そんな細かい事覚えてないからってどうなんだよ?」 その言葉を聞いた瞬間、私の中で今まで溜まりに溜まっていた不満が爆発した。普段から気が長い方ではないけれど、それでも自分を抑えられないほど激しい怒りに駆られるのは久しぶりだったのだ。 彼を愚弄するように鼻で笑うと、勢いよく立ち上がってみせる。 「私らしくないだと?ふんっ……お前に私の事なんて解るのか!?」 「何言ってるんだよ?今までずっと一緒にいるんだ、解るに決まってる」 喉元まで出かかった言葉を飲み込んでコブシを握り締めると、「よかったな」と吐き捨てるように呟いて流し場に向かっていった。後を追うようにして近付いて来た彼だったが、無言のまま二人分の食器を置いて去っていくだけだった。 私は言い知れぬ苛立ちを噛み殺すと、くそっ、と小さく呟いた。 結局、その後も二人は僅かな言葉すら交わす事も無かった。 ただ気まずい空気だけが部屋中に漂い、互いに視線のやり場に困りながら、自分一人の世界の中でいかに何事も無かったかのように振舞うかという事を考えていた。 しかしいざ眠ろうという段になって、彼と同じベッドに入るという事に酷い嫌悪を覚えたのだ。 普段であれば狭かろうが暑苦しかろうが一緒にいる事の出来るこの時間を楽しみにしていた筈なのに、今となっては遠い昔の事のように思えた。 「……何やってるんだよ」 自分の枕を床に落とした私を見て、彼は苛立ちを顕にした声でそう言った。 「床で寝るんだ。文句は無いだろ?」 別に他意はなかったろう彼の言葉にも反抗的な言葉が出てきてしまう。 そんな私に呆れたのか、彼は一つだけ小さく溜息をついてこう続けた。 「風邪でもひいたらどうするんだよ」 そう言いながら布団を差し出してくる彼。 私はそれに気付かないふりをしながら彼に背を向けて横になる。 「別に……お前には関係ない」 「関係あるだろ?どうせ風邪ひいたら看病するのは俺になるんだし」 「……」 泣いてしまうかと思った。 込み上げてくる涙を抑えるように歯をギリッと噛み締め、緩慢な動作で起き上がった私は彼の手から布団をひったくって、勢いよく投げつけてやった。そして気がついたら反論する間すら与えずに叫び散らしていた。 「貴様の世話になんてなるか!!お前の顔なんて見たくない!!さっさと失せろ!!!」 酷く呼吸が乱れて、肩を上下させながらぜいぜいと息を吐き出していた。 そんな私を見て呆気にとられたのか、彼は少しの間ぼんやりと私を見つめていたが、やがてバツが悪そうに視線を下げてそのまま部屋から出て行ってしまった。 一人取り残された私を襲ったのは激しい脱力感だった。 それまで張り詰めていた緊張が途切れ、糸の切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちてしまう。 込み上げてくる涙がとめどなく頬を伝い、ぽたぽたと床に零れ落ちていった。 私は床に置いた枕に顔を押し付けると、声を押し殺しながらひたすら泣きじゃくっていた。 Kai 〜 i don't know how to treat her 部屋から飛び出していった俺はまっすぐ酒場へと向かっていった。 胸の奥底には釈然としない苛立ちがあったが、それでも彼女がさっき見せた泣き出しそうな顔が頭を過って、その度に罪悪感に似た感情が胸を縛り付けた。 酒に逃げるのは良くないとは解っているが、飲まずにはいられなかったのだ。 「おやっさん、いつもの」 温和な笑みを浮かべたマスターが「ああ」と返してくる。少し擦れた低い声が耳に心地よい。 俺はカウンターに両肘をつくと、マスターが酒を注ぐ様をじっと見つめていた。 背の低いグラスが琥珀色の液体で満たされていく。底に沈んでいた氷が浮かびあがって、カランという涼しげな音が耳に響いた。 「どうぞ」 差し出されたグラスを手にとって目の前で揺らしてみる。 氷の周りからはモヤモヤした透明な液体が染み出て、底に向かって流れていた。 それを見ながら、まるで誰かさん達みたいだな、なんて感傷的な思いが浮かんでくる。不透明なモヤモヤした関係……一体俺達の間にある氷って何なのだろう。 「……なあ、おやっさん」 未だグラスを見つめたままマスターに話しかける。 「ん?」 少し擦れた、それでいて深みのある低い声が返ってくる。だがマスターは決して「どうした?」とは続けない。いくら親しくなろうとも自分と客の距離だけは弁えているのだ。だから客が話したければ親身になって聞いてくれるし、そうでないなら深追いはしない。 そういう人だから、俺達もつい色々な事を話してしまう。 「またジェンドと喧嘩しちゃってサ」 マスターに視線を向けると、苦笑いを浮かべながらそう切り出した。 それに合わせるように同じく苦笑いを浮かべたマスターはジェンドがしたように鼻で笑ってみせた。 「またか。懲りないやつだな」 「アイツに言ってくれよ。今日なんてさ『明日は何の日か覚えてるか?』だって、俺が覚えてないって言うといきなりキレるんだぜ?」 「『思い出の日』とかいうヤツだろ。女ってのは案外そういう事を大切にするからな」 「だろうな。よく解ってるじゃん」 「そりゃお前の二倍以上生きてるとな」 「ごもっとも。でも一体明日って何の日なんだか」 「お前達の記念日なんて俺が知るわけ無いだろうが。だけどな」 「知ってるの?」 「だからお前達の記念日なんて知らないと言っているだろう」 「じゃあ何だよ?」 「明日は精霊節だ」 「精霊節?何だっけ?」 「ん……知らないのか?ああ、そう言えば三年前にはここにいなかったな。まあ三年に一度起こる自然現象みたいなもんだ。夜になるとリルハルト山の麓からたくさん蒼白い光が天に昇っていくんだ。それを天に昇る精霊にかこつけて精霊節なんて呼んでるのさ」 「ふーん……何かジェドの木みたいだな」 「ジェドの木?ああ、そうだな。あれと同じようなもんだ。でも珍しい事知ってるんだな」 「だってジェンドと一緒に見たから……あれ?」 「どうした、飲みすぎて気分でも悪いのか」 「いや、そうじゃない。おやっさん、今さっき何て言った?」 「ジェドの木か?」 「そうじゃない。その前」 「精霊節の事か?」 その言葉を聞いた瞬間、体中から一気に酒が引いていったような気がした。 『次の精霊節、一緒に見ような』 この街に来た時に俺がそう言ったから、だから彼女は-- 「おやっさん、悪いけどこれで勘定してくれる?」 俺は財布から100アル取り出すとカウンターに置いて、そして後ろに向きかえった。 「あ……おい、カイ!」 「それじゃあ足らない?」 「馬鹿、多すぎだ。10アルだけでいい」 「ふふっ、マスターにはいつも世話になってるからさ。取っといてよ」 「後で返せって言っても知らないぞ?」 「言わないって」 そう言うと足早に出口へと向かっていった。 もう既に行き交う人もいない路地を走りながら、つくづく自分の馬鹿さ加減に呆れ返っていた。 彼女は二年間ずっとあの一言を大切に抱き続けてきたというのに、俺ときたらそんな彼女の気持ちを踏み躙ってしまったのだ。怒るなと言う方が無理だろう。 ぜいぜいと息を切らせながら、頭の中には今にも泣き出しそうなジェンドの顔があった。もう二度と傷つけない、悲しい思いはさせないと誓ったのに、俺はまたしても彼女にあんな顔をさせてしまった。そんな自分が不甲斐なくて、情けなくて仕方が無かった。 部屋の前まで帰ってきた俺は見慣れたドアの前で立ち止まると唾をゴクリと飲み込んだ。 二年間毎日見てきた筈のそれは鋼鉄の壁のように行く手を阻んでいた。 このドアを開ければジェンドがいる。でも彼女に何と声をかければいい?どうやって詫びればいい?そのような思いがぐるぐると頭の中を駆け巡って、中に入る事を躊躇させていた。 同時に、きっと恐れていたのだと思う。ドアを開けたその先に彼女がいなかったら、と。 意を決してドアを開けた俺を出迎えてくれたのは窓から差し込んでくる優しい月明かりだった。 その光を頼りにして部屋中をぐるりと見回してみる。 「……ジェンド」 部屋を出る前と同じ場所に彼女は眠っていた。 ベッドのすぐ脇で、布団もかけない彼女はただ枕に顔を埋めて眠っていたのだ。 その光景を目にした瞬間に彼女が何をしていたか理解できた。誰もいない部屋の中で、彼女は枕に顔を埋め、必死に声を殺して泣いていたに違いなかった。 誰かに傍にいて欲しかっただろうに、背中をさすって慰めて欲しかっただろうに−−彼女がそうする事を許しているのは俺の他にいないというのに。 俺は床に落ちていた布団を彼女の身体にかけると、やわらかなウェーブのかかった髪をそっと撫で、優しく口付けをした。 「ごめんな、ジェンド」 そして静かに立ち上がると開け放たれた窓の方に向かって行った。 蒼白の光に彩られた町並みを見ていると、不意にあの時の事が頭を過った。 あの時−−どす黒い欲望に任せて彼女を抱いてしまった忌まわしい過去の事を。 冴え冴えと輝く月に彩られた物言わぬ世界の中で彼女と俺しかいなかった。俺は彼女の事しか頭に無くて、そして力ずくで奪う為に彼女の心と身体に消えない傷をつけた。そうする事でしか彼女の視線を自分に向ける事は出来ないと思って、そうすれば彼女の心を奪う事が出来るのではないかと本気で思って。 いつも自分の視点でしか物を見る事が出来なかった。そして彼女と一つになりたいという願いが叶った今、その先の事など考えられもせず、ただあるのは彼女はずっと傍にいてくれるのだという根拠も無い安心と、そして自分に対する慢心だけ。彼女と再会して結ばれた時はただ嬉しくて、でもそれまでの旅の目的を果たした後に何をしていいのか全く解らずに、その答えをいつも先延ばしにしていた。ただ毎日一緒にいるだけで、もう進む先も無い閉塞感を抱きながら、どうしてよいか解らなかった。そしてその答えを求める事すら止めてしまったその瞬間、俺はあの時と同じように彼女の心を酷く傷つけてしまった。ずっと二人の間の距離が広がってきたと思っていたけれど、その距離を作ってしまったのはほかならぬ俺自身だった。彼女と一つになったことで安心して、そこから自分を高めていく事を忘れてしまった。 だけどもう逃げる事は出来ない。 自分はどうしたいのか、彼女とどう関わっていくのか、自分をどう変えていくのか−−今の俺には彼女の傍にいる資格など無いのだから。 Zyend 〜 darkest night, holy night 窓から差し込んでくる陽の光に目を覚ました私は、知らぬ間に布団がかけられていた事に気付いた。 どうやら私が眠った後に彼が帰ってきたらしい。 未だ胸の内に残るわだかまりを感じながら、ぐるりと部屋を見回してみた。 しかし彼の姿は見当たらない。 「いない……か」 誰にも聞こえないくらい小さな声で呟いて起き上がる。そしてベッドの方に視線を向けた瞬間、その向こうに眠る彼の姿が飛び込んできた。 昨晩私がそうしたように、彼は床に枕一つ置いて布団もかけずに眠っていた。 今まで二人で一つの布団を使っていたのだ。当然といえば当然か。 無邪気な顔をして眠る彼を可愛らしく思う反面、今の彼を捉えきれずにいる自分自身がいる事も確かだった。彼の瞳に私は映っているのか……もはやそれすら解らなかった。 「誰が看病すると思ってるんだ……か」 ぼそっと呟くと、先ほどまで私に掛けられたいた布団を手に取り、彼の身体に掛けてやる。 その瞬間、目蓋をピクッと震わせた彼はゆっくりと目を開いた。 「あ……ジェンド」 私はその呼びかけに応える術を持っていなかった。 反射的に視線を逸らして、そのまま彼に背を向ける。 「ジェンド……あの……昨日は悪かったよ、本当に。俺全然覚えてなくて……」 「…………」 「次の精霊節……一緒に見に行こうって約束したんだったよな。それなのにお前の気持ちも考えないで酷い事言っちまって……」 「お前はどういうつもりで言ったんだ?私がどんな気持ちで聞いていたと思ったんだ?」 「俺は−−」 「−−聞きたくない」 「…………」 「食事は昨日の残りがあるから、暖めて勝手に食べればいい」 「ジェンド」 「…………」 「俺待ってるから。あの場所で待ってるから、だから……」 私は視線を床に落とすと、その言葉に答える事無く部屋を後にして行った。 Kai 〜 the moment i escaped from being a boy, the moment i began to be a man ラインハルトのはずれにあるラシャの丘には大勢の人間が集まっていた。 この丘からはラインハルト山が一望出来る。だから精霊節になると町中の人々がここに集まってくるのだ。 果たして彼女は来てくれるのだろうか−−朝からずっと抱き続けていた不安は少しずつ胸を縛り付けて、息をする事すら苦しく感じられた。 彼女がここに来ないというなら、それは仕方の無い事だ。今回の事は切欠に過ぎなかったし、ここまで二人の間の溝が広がった原因は至る所にあった。だから今までの俺達でいるならこれから先の事など考えられはしないし、別々の道を歩いた方が互いの為にもなるのだろう。惰性で傍にいるだけの先の無い関係など彼女は望んではいないし、それに甘んじてきた俺でさえも間違いだと思う。だからやり直せるものならばやり直したいし、そうしなければ俺自身どんどん駄目な人間に成り下がっていくだけだろう。 その時、ラシャの丘がそれまでににない熱気と喧騒に包まれた。 人々の視線の先を追ってみる。ラインハルト山の麓から無数の蒼白い光が生まれ、それは瞬きながら空を駆け上っていた。まるで無垢な魂のように、美しい蒼白の光は空高くに光り輝く月明かりと混ざり合っていく。その幻想的な光景に目を奪われながらも、俺の胸の内は酷くザラついていた。 ここにジェンドがいない−−ただそれだけの事なのに心がカラカラに渇いて、一人だけ取り残されたような気がして、酷く寂しくて……それ以上何を求めるわけではない、ただ彼女に会いたかった。一緒に時間を共有したかった。繋がっていたかった。そして気がついたら人ごみの間をぬうようにして走り抜けながら必死になって彼女の姿を探していた。 あれほどまでに賑わっていたラシャの丘も今はひっそりと静まり返っていた。 行き交う人の姿も疎らで、地面に座り込んだ俺はただ呆然と暗がりと化したラインハルト山を見つめているだけだった。 結局彼女は来てくれなかった。それが答えだったのだ。 俺は限りない喪失感と空しさに抱かれながらもずっと彼女の事を考えていた。 彼女と出逢った時の事、岩を投げつけられた事、何度も喧嘩した事……そして初めて二人の心が繋がったと思えたあの瞬間。 どうしてだろう。今なら全てが新鮮に蘇ってくる。その時の生々しい感情まで一緒に。 その一つ一つがまるで宝物のように輝いていて、俺はそれを掴もうとするのだけれど、ただただその手は空を切るだけで。 結局、俺は色褪せる事の無い写真の中で微笑んでいるだけだった。 Kai 〜 i dance a walz with my heart vacant 明かりも無い部屋の中で彼女は立ち竦んでいた。 窓の外に浮かぶ蒼白い月を見つめながら、その背中はいつになく寂しげで、細い身体は抱きしめたら壊れてしまうのではないかと思うほど華奢に見えた。 そんな彼女に近寄りがたい何かを感じてその場に立ち止まる。 しんと静まり返った部屋の中で、鋭い刃物のような沈黙が暗闇を支配していた。 「……どうすればいいか、ずっと迷っていた」 その言葉に何も応えられなかった。 この小さな部屋の中で二人を分け隔てる距離などほんの僅かなものでしかないのに、その距離があまりに遠く感じられたからだ。 手を伸ばせば触れる事も出来る。抱きしめる事だって出来る。でも本当の彼女はそこにいなくて。 いつの間にか……俺は彼女の事を見失っていた。すぐ傍にいる彼女の事を見ようともせずに手放してしまった。そして気がついたら全然知らない彼女がそこにいて、俺はどうして良いか戸惑っている。その資格すらないというのに。 「何も言わないんだな。このままどんどん離れていって、それでいいのか?」 「……ごめん」 「私が聞きたいのはそんな言葉じゃない!!」 「俺……」 「……もういい」 そう言うと彼女はゆっくりとこちらに振り返った。 月明かりを背に受けてその表情はよく見えない。それでも、彼女の感じている苦しみだけは痛いほどに伝わってきた。 「少しでも期待した私が馬鹿だった」 そう吐き捨てるように言って歩き出す彼女。少しずつ輪郭がはっきりとしていく中、眦に溜まった涙がキラリと光る。 薄紅色の唇は微かに震え、絡まりあった視線を逸らすように俯いた彼女を気がついたら抱きしめていた。 「馬鹿……止めろ……」 それでも彼女は抵抗しなかった。ただ俺の腕の中で微かに震えながら涙を押し殺しているようだった。 そんな彼女を抱きしめながら、こんなにも小さな身体に多くの苦しみを背負わせてしまった自分に激しく後悔した。そして無防備な姿を曝け出した彼女を見て、心を許して唯一支えになる事が出来るのは俺だけなのだという理由も無い確信と、何があっても彼女の支えになりたいという思いが胸の内にあった。 「止めない。俺解ったんだ、一番大切なのはお前だって。お前が傍で笑っていてくれる事が一番嬉しいって。今までそれが当たり前に思えて……知らないうちに甘えてたんだ。何の努力もせずにお前に求めてばっかりで、すぐ傍にいるのに、お前の事を見ようともせずに……本当に馬鹿だった。ごめんな……ジェンド」 「本当……だ…………」 「一人でいて思い知ったんだ。お前じゃなきゃ駄目だって、お前がいないと駄目だって……だから…………もう一度だけチャンスをくれないか。俺、お前にふさわしい男になるから。精一杯頑張るから。お前が認めてくれるような男になったら、次の精霊節、一緒に行ってくれないか?」 その言葉に彼女は応えはしなかった。 代わりに俺の身体をギュッと抱きしめて、何度も何度も頷いてくれた。 俺はそんな彼女の耳元にそっとキスをすると、長い間口にした事の無かったその言葉を囁いた。 「ジェンド……愛してるよ」 |
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fin |
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>>afterwords 最後まで読んで頂きありがとうございました。この作品は"kokoro"シリーズのシーズン完結作となります。"kokoro"では二人の対立を、"brutish children""uncoeur""傷跡""sacred tears"では和解を描きましたが、未だ完全にわだかまりの無い状態にまでは至っていませんでした。ジェンドとカイの間には依然として罪悪感や遠慮という物があり、完全には打ち解けていなかったように思います。ですので、今回"透明な貴方と踊るワルツ"ではそういったわだかまりが解消した後を描きたいと思いました。時間系列を考えても"kokoro"と"透明な貴方と踊るワルツ"では5年以上の開きがあり、それを考慮した結果、性格描写の面でも敢えてそれを反映させました。結果、皆さんにも違和感を抱かれた方、嫌悪感を抱かれた方も少なからずおられるかもしれませんね。私自身は「人に受ける作品を書こう」というよりも「自分の好きな作品を書こう」というコンセプトで書いていますので、今回も書き手の我侭にお付き合い頂きありがとうございました。今回でストーリーの一塊としてのシリーズは終わりますが、設定上このシリーズとリンクする事もあると思いますので、その時は別シーズン、番外編等でよろしくお願いします。 少し内容にも触れておきますと、今回の話は非常に書きにくかったです(^^;テーマ自体はっきり言ってしまうと"倦怠期"ですので(汗)非常に難しい上、プロット無しの勢いだけで書いたのが見事にアダとなりました……第一稿は散々なものだったので(完成版もですけど(^^;)そこからプロットを作って整形するという痛い事をやりまして。でもまあ"kokoro"シリーズ自体実験的な作品ですので、それを考えれば中々書いていて楽しい作品ではありましたね。何よりも女の子してる(漢字変換したら「女残してる」とでた(笑))ジェンドが書けて嬉しかったです。普段は男っぽい彼女なのですが、時々見せる女の子らしさってのは大好きです。そうそう……あと、カイファンの方ごめんなさい。何か特に前半酷い男でしたね(汗)最後に、男ほどデリカシーの無い生き物はいない、という誰かの名言を残して(笑)お別れしたいと思います。色んな意味でそろそろ潮時でしょうから…… P.S.この作品のエピローグに該当する"I wnna see you smiling at me..."を近日中にアップします。少々大人向けの内容が含まれますのでページは隠したいと思いますが、その時は |
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