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DAY15 アドビス王都

 事態は想像以上の早さで進んでいった。城下は既に魔物の巣窟と化して、城内へと入る為には、非常用の地下通路を通らねばならなかった。そこで俺達を出迎えたのはむせ返るような血の臭い。そしてレファスタと同じく血で描かれた無数の魔法陣。酷い吐き気を何とか堪えながら、俺達は最上階の謁見の間へと向かっていった。

 ドアを開けるや否や、目の前にカイの身体が飛び込んでくる。俺達の登場など予想だにしなかったであろう。その顔に刻まれた険しさが一瞬ほどなりを潜める。
「おやおや……誰かと思えば王子様のご登場ですか? どこまでも私の邪魔をしなければ気が済まないようだ」
 部屋の奥に視線を移す。そこには仮面をつけたイールズ・オーヴァが、口元を歪めながら俺達を見つめていた。そして奴の向こう側にはジェンドが、真っ白なシーツに覆われた台の上に寝かされていた。
「一体どういうつもりだ?」
「どういうつもりと言われましても」
「これだけ多くの無実の人間を巻き込んで……飯事にしちゃ度が過ぎるんじゃないのか?」
「無実の人間? まさか本気でそのように思ってらっしゃるわけではないでしょうね?」
「彼らがどのような罪を犯したと言うんだ? 日々慎ましやかな生活を送っていただけだろうに。それをお前がぶち壊した」
「貴方は何も解っていない。人間などこの星の命を食いつぶす事しかできない愚かな生き物だ。生殖と淘汰を繰り返していく非生産的な被造物でしかない。この世界の創造者が神だというなら、彼の過ちはその統治を人間に任せてしまったという事。いや、そもそも人間如きに統治が可能だと考えた事自体愚かな事だ。私はこの世界に寄生する人間達を浄化する。これはこの世界のアポトーシスなのです。この星はその執行者に私を選んだ。私はこの世界を浄化し、新たなる世界を創造する。私は同じ過ちを犯しはしない。その意味において、私は神をも越えた存在となるのです」
「そのような事ができると思っているのか? それにどれだけご託を並べても、お前が人間だという事に変わりはない」
「私は人間を越えた存在となる。今現在の私が何であるかは重要ではない。私が何者であるか、それは全てが終わった後で決定されるべき事」
 ゆっくりと両手を差し出すイールズ・オーヴァ。その先に何かが浮かび上がってくる。半透明の緑や灰色で覆い尽くされた何か。徐々に輪郭を持ち始めたそれを俺は知っている。実際にそれを見た事はない。だが、奴の前に浮かび上がったそれは、地図で見たオッツ・キイムの姿に酷似していた。
「見なさい。私はこの世界を見下ろす眼を手に入れた。オッツ・キイムの真の姿を見た事など無いのでしょう? ネツアク、イエソド、イェールス、カレルア、ユリアヌス、レファスタ……全ての封印は解かれ、ヘキサグラムは動き出した。もう誰にも止める事など出来ない」
 イールズ・オーヴァの言葉にあわせて、一つずつ神殿が光を帯びていく。全ての神殿に光が灯り、そこから伸びていった光の線は、ゆっくりとヘキサグラムを描いていった。
「……そう言う事か。ヘキサグラムを発動させる為には大量の魔力が必要だった。それを手っ取り早く手に入れる為に、お前は魔術師達を利用した。その為の血と肉か……そんな事のために!」
「さすがだ。前回は魔力が足らなかった為に結界の発動までは至らなかった。だが今回は違う。全ての条件が揃った今、貴方達に邪魔はさせない」
「黙れッ!!!」
 剣を抜いたと同時に走り出すカイ。一方のイールズ・オーヴァに動じる気配はない。ただ、差し出した両の手をゆっくりと上げ、何か術を唱えているようだった。手の先から柔らかな光が生まれ、それは少しずつ球体を形作っていく。
 奴の一挙手一投足を逃さないように見つめながら、両の手をぐっと握りしめた。その拳に神経を集中させて、詠唱を必要としない低級魔術を展開させる。少しずつ熱を帯びていく拳。だが、それを今発動させるわけにはいかない。タイミングを見誤ればどちらかの魔法がカイを貫く事となる。
「兄さん、危ない!!」
 光の球が放たれたと同時にパッと手を開いた。この瞬間でなければならなかったのだ。両の手から紅に染まった光の玉が生み落とされ、それらは鋭い音を立てながら飛翔を始めた。幾度と無く交差を繰り返す光の玉。そしてあっという間にカイを越えて、彼の目前で奴の放った光球と衝突した。
 目映い光を放ちながら砕け散る互いの魔法。もくもくと沸き起こった煙がすうっと引いて、その先にカイの姿が現れる。次第に距離が狭まっていく中で剣を振り上げる彼。しかし、イールズ・オーヴァとて黙ってやられるつもりはない。奴の指先には再び光の球が現れて、放たれたそれは、今度こそカイの身体を捉えていた。
「うわっ!!」
 致命的なダメージは免れたようだった。肺が飛び出すのではないかと思う程の咳を何度も繰り返して、それでもカイは起きあがろうとしている。その姿を見ながら、ゆっくりと右手を挙げるイールズ・オーヴァ。ぶつぶつと何かを呟いてから、勢いよくそれを振り下ろした。
「イールズ・オーヴァァァァァァ!!!!!!」
 何とか立ち上がったカイも奴めがけて駆けだしていく。しかし目前まで来た所で、目に見えない壁が彼を弾き飛ばしていた。
「残念ながらあなた方のお相手をしている暇はないのですよ。私の代わりは彼らにしてもらいましょう」
 再び手を差し出すと、今度はカイの周りに大勢の魔物達が姿を現した。どうやらこれで時間稼ぎをするつもりらしい。馬鹿にするように喉を鳴らして、奴はジェンドの方へと振り返っていった。直後、壁に描かれていた魔法陣が紅の光を放ち始める。
「カイ、60秒経ったら戻ってこい! 俺が魔法で片付ける!」
 返事を待たずに詠唱を始める。今度ばかりは手抜きの魔法を使うわけにはいかない。それで対処できる敵の数ではないのだ。出来うる限り精神を集中して、一字一句正確に呪文を唱えていく。一つ一つの言霊が作り上げていく強力な磁場を全身で感じていた。しかし、完成まであと少しという時にそれは起こった。
「お兄様!!」
 突然飛び込んできた聞き覚えのある声。思わず術を唱える唇が止まってしまう。そして恐る恐る振り返った瞬間、俺の脇を数人の兵士達が足早に駆け抜けていった。
「ミト……」
 その名を口にしながら「しまった」と思った。あわてて振り返ってみるが、やはり混戦は始まっていた。
 魔法を使うわけにはいかなかった。兵士達を巻き込んでしまう事は避けられないであろうから。荒い息を吐きながら奥歯を噛みしめ、そして再びミトの方へと振り返った。
「どうしてお前がここにいるんだ!!」
「ライザが怪我をおしてやって来て、それでお兄様がここにいると……」
 背後から鈍い音が聞こえてくる。反射的に振り返ると、そこには既に息絶えた兵士が横たわっていた。その手に握られていた剣をすかさずもぎ取る俺。その上に右手をかざすと短く呪文を唱えた。それは微かな振動音をたてながら、やがて淡い光に包まれていった。
「お前達はここにいるんだ。いいな?」
「シオンはどこに行くんだよ!?」
「カイの所に行く」
「駄目だよ! シオンに剣なんて使えないだろ!! 襲われたらどうするんだよ!?」
「魔法をかけておいたから多少の事なら大丈夫だ。それにあの結界を破れるのは俺しかいない」
 みるみるうちに泣きそうな顔になっていくイリア。それを隠すように堅く目を瞑る。それから俺の身体をバンッと押して「行って!」と叫んだ。

 無我夢中で走っていた。
 剣にかけた魔法は、何ら問題なく動いていた筈だ。振り上げるのに些かの力も要さない、羽のように軽い剣。しかしどう扱って良いか解らなかった。振り上げた瞬間にやられてしまうのではないか。立ち止まったら逃げ場を失うのではないか。そのような不安と恐怖が俺を縛り付けていた。この時、既に兵士の半数以上がやられていた。
 どこをどう走ったか解らない。ただ、気がついたらカイのすぐ傍までやって来ていた。すぐに彼と背中合わせになって、振り上げた剣で魔物を威嚇する。
「俺が結界を破る。それまで魔物を近づけずにいられるか?」
「ええ、任せておいて下さい!」
「チャンスは一度しかないぞ。奴が次の手に出る前に終わらせるんだ」
「解っています!」
「行くぞ!」
 背後から肉を斬る鈍い音が聞こえてくる。しかし振り返りはしなかった。カイが命をかけて作り出した時間だ。ほんの僅かでさえ、それを無駄にするわけにはいかなかった。
 結界の前まで来た所で両の手を差し出した。足をグッと踏みしめ、それからゆっくりと目を閉じた。頭の中で、結界を解除する術を一気に組み立てていく。この状況において最も効果的で、能率よく働く魔法を。そして再び目を開くと術の詠唱を始めた。
 言葉を紡ぐ度に透明な結界の表面がぐらりと揺らぐ。水面のようなそれを生み出すのは屈折した光のヴェール。術の展開にあわせて、その揺らぎは少しずつ大きくなっていく。この磁場を抱き続ける事が如何に魔力を要する事か。何とか持ちこたえようという意志に反して、体中からするりするりと力が抜けていく。だが、ここで倒れるわけにはいかない。自分の身体に言い聞かせるようにグッと足を踏みしめる。それから、詠唱の最終段階に入った。
 掌と結界の間に稲妻が走り、それはバチバチと音を立てながら、結界全体を呑み込んでいった。これ以上は看過できないと悟ったのだろう。俺に何の関心をも抱いていなかったイールズ・オーヴァがゆっくりとこちらに振り返る。
 瞳に映った奴の顔がにやりと笑う。それから結界越しに俺と掌を重ね、何やら術の展開を始めたようだった。結界が消えた瞬間に攻撃するつもりなのだろう。そうなれば無防備な俺に抵抗の余地はない。
 結界の表面を這っていた稲妻が、その奥へと呑み込まれていく。蒼白い光を帯びる光の壁。どこからともなくひびが入って、それはピキピキと音を立てながら、まもなく全体へと広がっていった。そのタイミングを見計らって、奴の両手から光の玉が浮かび上がる。透明だったそれは血を垂らしたように紅に染まって、結界の前で交差しながら、くるくると回転を始めた。
 硝子が割れるような音をたてながら砕け散る結界。解き放たれたイールズ・オーヴァの魔法。視界が紅に染まった瞬間、突き飛ばされたような強い衝撃が身体を襲った。何が起こったのか理解できないまま、ただ背中に鈍い痛みだけを感じていた。肺が圧迫されてうまく息も出来ない。
 俺の名を呼ぶイリアの声が聞こえた気がした。床に爪をたてながら、その声をたぐり寄せるように、ゆっくりと目を開く。突然視界に飛び込んでくる毛むくじゃらの腕と鋭い爪。死ぬのかーー心の中でそう呟いた瞬間、拳のようなものが魔物を殴り飛ばしていた。
「シオン!!」
「え……」
「早く逃げるんだ! ほら!!」
 イリアの為すがままに上体を起こす。その先に見えたのはイールズ・オーヴァに剣を振り下ろすカイの姿。光の残像と化した太刀筋は奴の上体と重なっていた。
 奴が生々しい呻き声を漏らす。狂ったように魔法を放つ。カイの身体が宙を舞って、地面に叩きつけられる。反射的に彼女を押し倒した俺は、その上に勢いよく覆い被さる。狂気じみた顔つきのイールズ・オーヴァが近づいてくる。俺は確かに見たのだ。その先に立ち上がったジェンドの姿を。ゆっくりと上げた掌は奴の後頭部を捉え、その気配に気付いたようだった。奴が振り向こうとした瞬間、掌から赤い光が放たれる。思わず目を瞑ってしまうような目映い光を。そして次に目を開いた時、そこには床に崩れ落ちたイールズ・オーヴァの姿があった。後に残ったジェンドがゆっくりと顔をあげる。俺はその時に見た彼女の瞳を絶対に忘れない。紅に染まった虚ろげな瞳は、何かを訴えるように俺達を見つめていた。そこに意志の介在する余地などあろう筈もないのに、彼女の心の叫びを聞いた気がしてならなかった。不意にその瞳から光が消えて、彼女の身体がぐらりと崩れ落ちていく。
「ジェンド!!!」
 最愛の人の元へと駆け寄っていくカイ。その腕はしっかりと彼女の身体を抱き留めていた。
 全てが終わったのだと思った。これが幸せな結末に繋がるかどうかは解らない。ただ、これで全ての決着がついたと思った。しかし、その思いはすぐさま裏切られる事となる。
 部屋全体に描かれていた魔法陣が突然赤黒い光を放ちはじめ、次いで城全体がガタガタと強く揺れ始めた。その瞬間、イールズ・オーヴァの『もう誰にも止める事など出来ない』という言葉が頭をよぎった。オッツ・キイム中の力がアドビスに集められている。神殿によって保たれていたパワーバランスは既に崩れ去った。奴の術が完成していなかったとして、結集した力が暴走したらどうなるかなど、火を見るより明らかだった。
「まずいな……このままじゃ城ごと崩れちまう。カイ! ジェンドを連れて急いで逃げるぞ!!」
「こっちは俺一人で大丈夫です! だからみんなは先に!!」
「解った。イリア、ミト、急いで城の外に出るぞ!」
 互いに頷きあってから、部屋中をぐるりと見回してみた。あちらこちらに散らばる無数の遺体と遺骸の山。ミトの連れてきた兵士達は、為す術も無くやられてしまっていた。

 城下に溢れかえっていた魔物達は、いつの間にか姿を消していた。無人と化した路地を走る者達が四人。ジェンドはカイの背中におぶさっている。背後から聞こえてくる轟音はますます大きくなって、それはいっこうに収まる気配を見せなかった。
 目に見える、耳に聞こえる全てが、最悪の結末を指し示していた。これ以上逃げる事に何の意味があるのだろう? 僅かながらの距離を稼ぐ事で助かるというのか? そのような思いが頭の中に沸き起こってくる。
 先を急ぐイリア達を見つめながら、ゆっくりと足を止めた。聞こえてくる筈の足音が消えた事にすぐさま気付く彼女。
「シオン! 何やってるんだよ!! 早く逃げないと!!!」
 その声に反応してカイとミトも足を止める。一様に「どうして」という表情をしながら俺を見つめる三人。それに応えるように首を横に振ってみせた。
「駄目だ……もう間に合わない」
「シオンの馬鹿!! やってみなきゃ解らないだろ!!」
「お前だって解ってるはずだ。この至近距離で巻き込まれて助かるわけがない」
 それからミトの顔をじっと見つめた。彼女はすぐさま俺の真意を悟ったようだった。口の端を微かに弛め、応えたのはたった一言「そうですね」とだけ。彼女らしい簡潔なものだった。
「どういう事だよ!?」
「俺とミトで防御結界を張る。もしかしたらそれで生き残れるかも知れない」
「あ……」
「確かに……それしか方法はないかも知れない。俺は任せます」
「イリアは?」
「……ごめん。私も任せる」
「よし」
 ミトの帯剣を引き抜いて、切っ先を下に向ける。艶めかしい光を宿した刃に左手をかざし、先ほどと同じように短く呪文を唱えた。一瞬のうちに蒼白い光を帯びる刃。パッと手を離すと、それは柄を残して土の中へと呑み込まれていった。
「いいか、この剣を中心に俺とミトが結界を張る。イリアとカイは俺達の身体をしっかりと掴んでいるんだ。体勢は出来る限り低く保て。そうすれば風の抵抗を少なくできる。カイ、ジェンドの事を頼んだぞ」
「ええ、もちろんです」
 地面に横たわった俺とミトが剣を握りしめる。俺の方にはイリアが、ミトの方にはカイが、それぞれの身体にしっかりとしがみついていた。
 結界を張った瞬間、大地が張り裂けんばかりの爆音が鳴り響いた。少し遅れて、背後から突風が吹き荒れてくる。舞い上がった砂埃に紛れて飛び交う無数の石や材木。結界の内とはいえ、僅かながら衝撃が和らいでいるにすぎないのだ。抑えきれなかった力の波に、ずるりずるりと身体が流されていく。
 視線の先に紫色の何かが揺らめいていた。灰色に染まった景色の中で、唯一強烈な色彩を放つジェンドの髪の毛。冷静な思考などできよう筈もない極限状態の中で、俺は食い入るようにその景色を見つめていた。目瞬きをする度に遠ざかっていく彼女の姿。初めのうちは、それが意味する所など、考えもしなかった。しかし、ある瞬間を境に全てを悟ってしまったのだ。
 急いで傍にいる筈の「彼」の姿を探し求める。難しい事ではなかった。すぐ傍を探せば、必ず彼はいるのだから。二人は決して離れたりしないのだから。
 目があったと同時に、彼はフッと笑ってみせた。そして、その笑顔は俺を酷く不安にさせたのだ。
「カイッ!!!!」
 彼は何の戸惑いもなくミトを掴んだ手を離していた。彼が最後に見せた笑顔の意味、それは自分に出来る全てをやったのだという事。この世界を護る事ではない。ましてイールズ・オーヴァを倒す事でもない。それは最愛の人を護りきったのだという誇りだった。

to be continued...


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