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Kai DAY9

 混沌とした闇に包まれたアドビス、それは妖艶な女を思い起こさせる。どこか危険な香りを漂わせつつ、それでも男の心を魅了してやまない、魔力のようなものを内に秘めて。もしかしたら、俺達もそんな魔性に魅入られていたのかもしれない。
 時は既に深夜と呼んで差し支えないであろう頃。未だ生々しい傷跡を残した中庭へと、俺はやって来ていた。
「昼間は世話になったな」
 低く野太い声が鼓膜を震わせた。それは一瞬のうちに宵闇の中へと溶け込んでいって、その残像を求めるように、俺はゆっくりと顔をあげる。視界の内に現れたのは一人の男。吹き抜けになった天井から月光が差し込み、聖騎士団の鎧を艶めかしく照らし出している。少し視線を上げると、短く切りそろえられた髪に、逞しい髭を蓄えたその男の顔を見る事が出来た。瞳に映し出された蒼白い月明かりは、精悍な顔立ちに、ある種冷たい彩りを添えている。
「俺は何もやってないさ」
 そう答えて肩をすくめてみせた。しかし彼の表情が緩む事はない。俺の瞳をじっと見つめながら、その様子は何か別の答えを欲しているように思えた。つまり、今夜俺を呼んだ理由は、決してそのような賛辞を浴びせる為ではないという事。互いに命を預けあった仲だ。目を見ればおおよその事は解る。
「なあ、付き合えよ」
 有無を言わせぬ口調で言いながら剣を投げつけてくる。ずっしりと重い模擬剣だ。剣は言葉以上に雄弁に語るというなら、この習慣ほど厄介なものはないと心から思う。そう思いながら断れないのも悪習に他ならないが。
 無言のまま剣を抜いて彼と対峙する。仄暗い闇の中で妖しく光る目をしかと見つめ、右足を一歩だけ前に出した。これから先後退する事は許されない。それが俺達のルールであり、同時に、唯一共有し得る言葉でもあった。
 生温い風が頬を撫でたのを合図に足を踏み出す。風の抵抗を減らすよう身体を前に倒して、切っ先も後ろに向ける。彼の姿がどんどん間近に迫ってきて、その剣のリーチに入るすぐ手前まで近づいた所で、素早く剣を振り上げた。しかし、彼は依然として微動だにしない。
「どりゃぁぁぁぁ!!!!!」
 ギンッと鈍い音をたてながら、沈黙を守ってきた彼の刃が食らいついてくる。上半身だけでは抑えきれない程の衝撃だ。このまま無理に持ちこたえようとすればバランスを崩してしまいかねない。即座に刃を傾けると、勢いづいた彼の剣を空に流した。そのまま後ろ足に力を入れて踏ん張りながら、返す刀で、失速した刃を無理矢理振り下ろす。それは防御態勢に入った彼の刃と思い切りぶつかり、反動を受けてブワッと宙に浮かびあがった。
 終わりのない剣と剣のぶつかり合いの中で、彼は一度として仕掛けては来なかった。俺の太刀筋は完璧なまでに読まれていたのだ。俺が消耗していくのをよそに、彼の剣はいつまでも鋭さを失いはしなかった。
 焦らずにはいられなかった。俺が消耗すればするほど勝機は失われていく。しかし、このまま攻めていった所で勝てるとは思えない。そのような思いが頭の中をぐるぐると巡って、ついに一つの結論が頭にこびりついたまま離れなくなっていた。
 それを拭い取る事が出来ないまま、渾身の力をこめて彼の剣を弾き飛ばす。彼に一瞬の隙が出来るが、俺が剣を振り上げるまでに、十分持ち直せる程度のものだ。そう見越した俺は、地面と水平になるよう剣を持ちかえる。そのまま、槍を突くように前へと重心をかけていった。しかし、次に彼のとった行動は全く予想外のものだった。
 弾き飛ばされた剣を空中で逆手に持ち替えた彼は、それを勢いよく俺の剣へとぶつけてきた。横から思わぬ衝撃を受けた俺の剣は、いとも容易く進路を変えてしまう。そして俺自身が間抜けな格好のまま倒れ込んだ直後、首筋にスッと冷たいものが当てられた。
「お前の負けだ」
 感情のこもっていない冷たい声が投げつけられる。彼はすぐさま剣をしまって、俺は恐る恐るといった風に、ぎこちなく顔をあげた。
「あ……はは……負けちまったな」
 意識して軽率な笑い声を漏らした。この気まずい空気の中で、そうする他に何も思いつきはしなかったのだ。しかし彼はくすりとも笑わない。闇を震わせるかのような酷く低い声で、先を続けていた。そしてその言葉はこの上なく俺を動揺させた。
「いつからそんな投げやりな剣を振るうようになった」
「え……」
「例え相手を倒す事が出来たとしてもそれは『差し違えて』だ。かつては聖騎士団の長にまで上り詰めたお前にそれが解らぬはずがあるまい」
「その名前を出すんじゃない」
「何があった? 一体どういうつもりなんだ?」
「お前には関係ないだろ」
「関係ないわけがないだろうが! かつては命を共にした仲だ、お前の事を心配して何が悪い!!」
「それが余計なお世話だと言っているんだ。とにかく話す事はない。何も変わった事なんてないんだから当然だ。そうだろ?」
「あの女か」
「何……?」
「あのダークエルフのせいか」
「そんな風に呼ぶんじゃねぇ!!」
 腹の底からムラムラと怒りが沸き起こってくる。それに任せて彼の頬を殴っていた。顔を醜く歪めながら後ろずさった彼だったが、すぐに体勢を立て直して、今度は俺の頬をガツンと殴ってきた。脳みそが揺さぶられるような感覚にぐらりとよろめいてしまう。何とか倒れずには済んだが、目の前の歯を剥き出しにした男の顔は、二重にも三重にもダブって見えた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ」
 この時の俺を支配していたのは激情に他ならなかった。ただ闘争の本能のみに身を任せた俺は、獣以下に成り下がっていたのだ。
 彼の胸ぐらをめがけて、斜め倒しにした肩を思い切りぶつけてやる。ほんの一瞬ほど間をおいて、骨が軋むような鈍い痛みが上半身を伝った。左腕に鎧の冷たい感触を感じたのもつかの間。フワッと宙を舞うような妙な感覚が体中を駆け抜けていく。そして何が起こったか理解したのは、彼の身体越しに地面に倒れ込んだ瞬間だった。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
 もう一度咆吼をあげながら腹の上に馬乗りになる。
 忌々しげな瞳で俺を睨み付けるかつての戦友。その顔に刻まれた表情の僅かな変化すら見逃すまいと、目を見開いたまま拳を振り上げる。それを振り下ろすのに些かの戸惑いすら覚えなかった。
 ズンッと重い衝撃が拳に走る。しかし、彼とて黙ってやられるつもりはない。再度振り下ろした拳は、大きく分厚い掌に阻まれていた。そこに好機を見いだした彼は、もう片方の拳を容赦なく腹にぶち込んでくる。反動で身体がフワッと浮かんで、気が付いたら、為す術もなく地面に押さえつけられていた。
 相手に背と尻を向けた情けない姿で、俺はただ苦い敗北を噛みしめる事しかできないでいた。

「ったく……本気で殴りやがって。明日隊長にどう言い訳すりゃいいんだよ? 女王様を護ってくれた英雄と殴り合いをしました、なんて言えないぜ? 今更乱闘騒ぎを起こすような年でもあるまいしな」
「……悪かった。本当にすまない」
「ふふっ、まあいいさ。思い返してみると、本気で殴り合いなんてしたのは久しぶりだよ」
「俺もだ」
「実を言うとな」
「ああ」
「結構気持ちよかった。スカッとしたよ」
「そうだな……ああ、そうかもしれない」
「そいつは良かった。どうやら殴られ損にはならずに済んだようだな」
 再び静寂が訪れる。
 混沌とした闇に覆われたアドビスの夜。随分と年季の入った壁に背を付けて座る男が二人。相手は気心の知れたかつての戦友。何を隠す必要がある? 隠す事で何を守ろうとしている? もはや守るものなど、このなけなしのプライドの他に何一つありはしないというのに。あの二人に言う事は出来ない。でもこの男なら、俺の中でそういう想いが少しずつ大きくなっていく。
「好きな女がさらわれたんだ」
「ああ」
「俺には何も出来なかった」
「何もしなかったわけじゃないんだろ?」
「もちろん。もちろんそうだ。だけど助けられなかった」
「不可抗力というやつだな」
「あいつは俺を護る為に命をかけてくれたんだ。だから俺も命をかけてあいつを助け出してみせる」
「今のお前に何が出来る?」
「…………」
「さっきので解っただろう。少し頭を冷やせ。自棄になるな。何でも自分の中で片付けようとするんじゃない」
「だったらどうしろと言うんだ? 俺に解るわけ無いだろ? 頭の中がグチャグチャだ。何も考えられない。時間だってそんなに残されているわけじゃない。俺に出来るのはただ剣を振り回して先に進む事だけなんだ」
「解らないのか? それじゃあ俺が教えてやるよ。簡単な話だ。彼女を救い出してお前も生き残るか、敵と差し違える代わりに彼女を助けるか、それとも二人とも死ぬかだ。どんな複雑な事情があろうとも、この三つ以外にはないんだ。そして俺には、お前が初めから死を選んでいるようにしか見えない」
「…………」
「その先を考えた事はあるか? 独りぼっちになった彼女がどうなるのか、お前になら解るだろう」
「ああ、痛いほど解るさ!! 今だって……今だって苦しくてたまらないんだ」
「今お前がしようとしているのは、それを彼女に押しつけるという事なんだぞ。彼女に同じ想いをさせるという事だ。カイ、お前はその苦しみから逃れたいと思っているんじゃないのか? 死ねば全ての苦しみから解き放たれると、そう考えているんじゃないか?」
「…………」
「お前が本当に彼女の事を愛しているなら生き延びろ。生き延びてその手で彼女を救ってやれ。それ以外の事なんて考えなくていい」
 俺は決してその言葉を忘れないだろう。自分への戒めとして、そして真に俺の事を思ってくれる友の言葉として。忘れた頃に痛み出した頬に手を当てながら、そう誓っていた。

to be continued...


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