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DAY2 Zyend

 街中に昨日の爪痕が残っていた。
 ある家は焼け落ち、路上には市場の品々が散らばって、それも無惨に踏みつけられて。生々しい暴力の痕を見る度、私の胸は酷く締め付けられた。それでも、これだけの被害を出しながら死者が出なかったのは、せめてもの救いだったのかもしれない。
 足早に街路を歩いていく。鼻につく焦げ臭い匂いを振りきるように風を切っていく。
 私を見る誰もが顔を曇らせ、ダークエルフの名をひそひそと口にしていた。それがたまらなく嫌で仕方がなかった。少し前までは当たり前の事だったというのに。私自身、それを良しとしていた筈なのに。一度受け入れられると、その感覚に慣れてしまうと、もう二度と元には戻れなくなる。

 あの刻、私は私でなくなった。
 それは突如リルハルトの街に降り立ったエンシャント・ドラゴンに端を発する。破壊の限りを尽くす奴に、私たちは何年ぶりにか剣をとった。剣の腕には自信があったし、どうにか出来ると本気で思っていた。
 しかし、奴の黄金の瞳に魅入られた瞬間、私は自分を手放してしまった。四肢の統制は失われ、思考すらも、どす黒い闇の中に消えようとしていた。体中に鳥肌が立つような悪寒が走って、異様なまでの高揚感に包まれて。気がついた時、私はカイに剣を向けていた。自分でも何をしているのか解らなかった。ただ、頭の中に響き渡っていたのは「殺せ」という男の声だけ。私を唯一戦慄させる、あの男の声が。私を正気に戻らせたのは、獣の咆哮のようなカイの叫び声だった。その瞬間、巨大な火の玉が頭上を駆け抜けていったのだ。巨大な爆音と共に、ドラゴンが崩れ落ちる音が響き渡る。私は振り返ることも出来ず、自分が何をしてしまったかすら解らず、ただその場に立ち竦んでいる事しか出来なかった。呆然としながら、頭の中に漂っていたのは「私は何をしてしまったのだろう」という混沌に満ちた疑問だけだった。

「どうしたんだ?」
 どうやらぼうっとしていたらしい。背後から声が飛び込んできて、思わずハッと息を呑んでしまう。
 それは少し高めの、透き通った声だった。どこかで聞いた覚えがある。どこで聞いたのだろうか。そのような事を考えながら、ゆっくりと振り返ってみた。
 私の前に立っていたのは、未だあどけなさを残した、そんな雰囲気の男だった。
 絹のような金色の髪の毛。少年のような顔立ち。それとは見合わない鋭い眼光。そしてアドビスの印章が刻まれた、滑らかな生地のローブ。まさに矛盾という言葉がぴったり合うような容姿を、どう形容したものかと迷ってしまう。
 そして、その矛盾を端的に表しているのは、クレリックの国<アドビス>に生まれたウィザードであるという事。昨日、間一髪の所でエンシャント・ドラゴンを倒してくれたのも、カイの知り合いだというこの男だった。
「お前は……確か……」
「シオンだ」
 言葉に窮した私に自分の名を告げるシオン。その顔には複雑な笑みが浮かび上がっていた。冷笑するような、それでいてほっとしているような、何ともはかりがたい微笑。この男を見ていると、相反するものを内に秘めているようで、どうにも不思議な感覚にとらわれてしまう。
「ああ、そうだったな。それで、一体どうしたんだ?」
 彼は「愚問だな」と言わんばかりに、フンッと鼻で笑ってみせた。どうやら彼の癖らしい。会って間もないというのに、もう何度となく聞かされていたから。
「それはこっちの台詞だ。こんな所でぼーっと突っ立ってるから、周りが変な目で見ているぞ」
 視線だけ周りに流してみた。誰もが恐怖と蔑みの入り交じった目で私を見つめている。声に出さなくとも、その目に「ダークエルフ」という名が映し出されている。そして目があう度、それが誰であろうと、気まずそうに視線を逸らすのだ。
 昨日とは全く違う視線、それは久しく感じたことのないものだった。
 この街なら大丈夫だと、過去など忘れて生きていけると、そう思ってたのに。だけれど、私がダークエルフだというのは消しようのない事実なのだ。そして、人々のダークエルフに対する視線も決して変わりはしない。
 そのような事を考えていると、体中を震わせるような笑いが腹の底から沸き起こってくる。行き場を失った視線を彷徨わせ、自嘲的な笑みを浮かべながら、唇をそっと開いた。
「そんな理由じゃないだろ? お前だって解っているはずだ」
「かもな。だけど、そんなに自棄になるもんじゃないぜ」
「自棄か。一体お前に何が解ると言うんだ?」
「解るさ」
「解るわけないだろうが! アドビスに生まれて、何不自由なく温々と育ってきたお前に、一体何が解るって言うんだ!? 軽々しくそんな言葉を口にするな!」
 軽々しい同情の言葉に怒りを禁じ得なかった。胸の辺りにモヤモヤと怒りが垂れ込め、打ち震えるような激情が体中を支配していた。
 そんな私の姿を見ても、彼は表情一つ変えはしなかった。感情を置き忘れてきたかのような顔をして、それがかえって腹立たしかったのだ。
 歯をギリッと噛みしめながら、彼との距離を一気に詰めていく。そして口を開こうとした瞬間、彼は抑揚のない声でこう言い放った。
「ここで騒ぎ立てると本当にそういう目で見られるぞ。場所を変えよう」
 けろりと言ってのける彼に呆然とする私。このような反応など、予想だにしていなかった。いかにも軟弱そうに見える彼のことだ。きっと怯えて逃げて行くに違いないと、そう思っていた。
 だが彼は、呆気にとられている私など我関せずといった感じだ。
「行くぞ」ともう一度だけ言って、私とすれ違うように歩いていく。
 しばらく突っ立っていた私だったが、致し方なく、彼の後を追っていくことにした。
 従う必要など無かったのだ。だけれど、彼の纏っている不思議な雰囲気に、何故だか自信の満ちた言葉に、どこか惹かれていたのかもしれない。それは、カイに抱いている感情とは全く異質のものだけれど。

 五分くらい歩いてきただろうか。既に周りに人家はなく、あるのは鬱蒼と生い茂る木々の連なりだけだ。葉の隙間からは陽の光が洩れ入って、地面に複雑な陰影を映し出していた。
 ここまで来れば大丈夫ーーそう思ったのだろう。シオンの奴が徐に足を止める。
「確かに、俺はアドビスで何一つ不自由なく育ってきた。ただ一つを除いてな」
 その言葉の真意をはかりかねた私は無言で先を促した。
 ゆっくりと私の方へと振り返るシオン。その顔を見た瞬間、思わず息を呑んでしまった。そこにいたのは、先程までとは全く違う、苦悶に満ちた表情を浮かべた彼だったのだ。
 何がそうさせていたのかは解らない。私達を取り巻く空気と言おうか雰囲気と言おうか、そのようなものに近寄りがたい何かがあったのは確かだと思う。だから、無言のまま立ち竦んでいるしかなかったのだ。
「俺が俺でいる自由を除いて。誰もがウィザードとして、シオンとしての俺を認めはしなかった。ただ王子としてのみ……それ以外の俺を認めようとはしなかった」
 一言ひとことが異様な重みを持っていた。それは心の奥底にずしんずしんと響いてきて、私は言いしれぬ不安に囚われていたのだ。そう、その先を聞く事を恐れている。彼の言葉によって肯定される事を。私が認めまいとしてきた「あること」が肯定されるのを。
 私よりも遙かに幼く見えるこの男は、実は私よりもずっと大人で、全てをあるがままに受け入れてきたのだ。
「あんただって同じだろう? 誰もがダークエルフとしてのあんたしか見ていない。ジェンドとしてのあんたを否定している。だがそれがどうした? 奴らはダークエルフというものを見たことがあるのか? よしんば言い伝えのダークエルフがそうだったとして、あんたがそうであるとどうして言える? 所詮はそんなものさ。誰も中身など見ようともしない。器しか見ていないんだ」
 淡々と語る姿を見つめながら、先程の鋭い眼光の意味を悟った。そして彼の存在を酷く身近に感じた。私が剣や暴力に依拠したのと同じく、冷徹な瞳をもって自分を否定する世界と向き合うことでのみ、彼は自分を保つことが出来たのだ。
 いつの間にか彼に心を許している自分がいた。きっと、それは傷の舐めあいに等しい行為なのだろう。しかし、今の私にとって、それが一番丁度良かったのだ。カイには、彼の事を本気で愛しているから、だから本当のことは言えないから。
「一つだけ訊いていいか?」
「何だ?」
「私はどうなる?」
「さあ。だが、イールズ・オーヴァの目的がお前である以上、あらゆる手段を講じてくるのは間違いないだろう。奴がどういう出方をするか解らない以上、それを防ぐのは難しい」
「やはり……私はいるべきではないのだろうな。これ以上一緒にいたら、カイを傷つけてしまうかもしれない。もしそんなことにでもなったら私はーー」
「本当にそれでいいのか?」
「そんなの、解るわけ無いだろう!」
 叫ばずにはいられなかった。そんな私になど構わず、少しだけ俯いたシオンは、口元に微笑を浮かべながら先を続ける。
「俺が知ってるアイツは昔っから女好きでさ。アドビスでも、女と来たら見境無く声をかけるようなヤツだった」
「………………」
「だがな、俺が知る限り、どんな女にだって、あんたに向けるような視線を向けていたのを見た事はない。それは本気であんたに惚れてるって事じゃないのか? 俺だったら……理由は何であれ、イリアがいなくなったら耐えられない。自分が死ぬよりずっと……そして、何も出来なかった自分を一生悔やむだろうな。カイがそう思うかどうかは知らないが」
「怖いんだ……自分が自分でなくなるのが。何をするか解らない自分が……怖くてたまらない」
「ーーこの世界に対する強い執着があればもしくは、自分の奥底の一番大切な部分は失われずにすむのかもしれない」


 どこをどう辿ってきたかは解らない。気がついたら辺りは真っ暗になっていて、私は家の前に立ちつくしていた。
 どう言い訳をしたものか。呆然とドアを見つめながら、考える「ふり」をしてみる。それが今の私に出来る限界。これ以上を望むなんて馬鹿げている。このくたびれ果てた頭で、おおよそ小細工を弄する事など、どうして出来ようか。そんな事をするくらいなら、この場に倒れ込んで、そのまま眠ってしまった方がいい。何も考えずに。面倒な事を全て忘れて。
 でも、そうするわけにはいかなかった。例え何を忘れてしまっても、私にはただ一つだけ、決して忘れるわけにはいかないものがあるのだ。
 ため息を噛み殺して、ドアノブに手をかけた。木が軋む音と共にゆっくりとドアが開いていく。その先には彼が、薄暗い部屋の中で、ベッドの上に腰掛けていた。その顔は酷くやつれ、一日でこんなにも変わるものかと思うほどだった。
「……もう帰ってこないかと思った」
「どうして?」
「俺に訊くのか? 随分じゃないか……」
「そうだったな。すまない」
 傍らに座って、すっかり冷たくなってしまった掌に自分のそれを重ねた。弄るように指を絡めてやる。しかし彼は微動だにしない。項垂れたまま、ただ床を見つめているだけだ。
「こんなに冷たくして……風邪でもひいたらどうする」
「そんなの、どうだっていい」
「嫌だよ。私は」
 絡めた指を解いて、手の甲を優しく撫でてやった。慈しむように優しく。冷たかった手が少しずつ温かみを帯びていく。
 彼の手が冷たく凍ってしまうその時に、私は決して傍にいたいとは思わない。冷たい静寂の中で、そのような事を考えていた。そんな辛い役目を果たせる自信など無いし、乗り切れるとも思わない。願わくは、その前に私が消えて無くなるように。それが我が儘に過ぎないのは解っている。だけれど、彼のいない人生など耐えられる筈がないから。きっと、彼もそう思ってくれているに違いなかった。暗く冷え切った部屋の中で、こんなにも身体を冷たくして、ただひたすらに私の帰りを待って。どれだけ不安だっただろう。どれだけ怖かっただろう。ごめんな、カイ。
 ゆっくりと顔を近づけていく。じっと床を見つめる、青ざめた彼の顔に。それから頬に口付けをした。二度、三度、数えるのも馬鹿馬鹿しくなるくらいに。
 はじめはじっとしているだけだった。私が何をしても、微動だにせず、暗闇に目を凝らしているだけで。それでも、いい加減悪いと思ったのだろう。ゆっくりとこちらに顔を向けると、とても優しい口付けを一つ、私の唇に落としてくれた。
「お風呂……入ろうか」
 熱に浮かされているような気分だった。ぼんやりと彼を見つめながら一言、妙に女ぶりながら言ってみる。
「……うん」
 ため息をつくような、そんな感じで一言だけ。当たり前になった行為の前で、それ以上の言葉は必要なかった。何も特別な事じゃない。ただいつも通りのことを、いつも通りにやるだけ。少し淡々としているかもしれないけれど、それが私達のやり方だった。

「こうやってジェンドと入るのも久しぶりだな」
「そうか?」
「そうだよ。お前いつも嫌がるじゃないか」
「だって、恥ずかしいんだから仕方がないだろ」
「恥ずかしがるような仲かよ」
「それとこれは別問題だ」
「そんなもんか?」
「そんなもんだ」
「ま、俺は気にしないけどな」
「私が気にする」
「はいはい。解ったって」
「ほら、背中洗ってやるよ」
「ん……サンキュ」
「…………よし、これでいいぞ」
「それじゃ、俺も湯船に入るかな」
「ちょっと待って、端によるから」
「それくらいでいいよ。うん、大丈夫」
「狭いな」
「まあな。でも、ぴったりくっついていい感じじゃん?」
「くっつきすぎだ。私はもうちょっと離れていてもいい」
「ははっ、そんなつれない事言うなって」
「なあ」
「どうした?」
「私のどこがいいんだ」
「何だよ、唐突に」
「別に。ただ訊いてみたかっただけだ」
「そうだな。女らしくもないし、乱暴だし、すぐに岩投げてくるし。何で惚れちゃったかな」
「おい」
「でも、お前が初めてだったんだ。自分の命を捨ててでも守りたいと思ったのは」
「私は嫌だ。自分の為にお前が死ぬなんて……絶対に耐えられない」
「俺だって嫌だよ。自分の為にお前が我慢して、いなくなってしまうのは」
「……指、ふやけてきたな。そろそろあがるか」
「そうだな」

 カイの奴に先にあがらせて、私は湯船につかったままでいた。どんなに肌を重ねても、どれだけの月日が過ぎ去ろうとも、やはり裸を見られるのは恥ずかしい。一緒に着替えるのなんてもってのほかだし、先に着替えていたら、何だか見られているような気がするから。だから、彼には先に着替えさせて、部屋の方で待っているよう言っている。
「部屋の方に行ってるぞ」
 彼の足音が遠ざかっていく。それを聞きながら、のそりのそりと湯船から出て行った。それから大きめのバスタオルをとって、その中にバッとくるまる。
「ふぅ……」
 身体がどうしようもなく火照っていた。汗はもうひいているし、温度だって高いわけじゃない。バスタオル一枚じゃ肌寒いくらいだ。それなのに、身体の芯はどんどん熱気を帯びて、心臓の鼓動は次第に早くなっていって。
 生娘じゃあるまいし。バスタオルをギュッと握りしめながら、心の中で呟いてみた。
 そう。これからしようとしている事は、私が出した一つの答えであり、その表明なのだ。
 バスタオルを胸に巻き付けた私は、拳をギュッと握りしめると、彼の待つ部屋へと歩いていった。

to be continued...


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