今までの事をゆっくりと時間をかけて話した。俺なりにうまくまとめられたと思う。結局、無理矢理押し倒してしまった事は話せなかったけれど。俺達がつきあっていて、そして結婚したという事も。 話し終わった後の彼女はとても穏やかな顔をしていた。もしかしたら取り乱すかもしれない、そんな不安が無かった訳じゃない。それでも、彼女なりにうまく整理して、受け入れてくれたのだと思う。 「大丈夫か?」 「うん、ありがとう。話してくれて良かった。今までずっと不安だったから」 「そうか……なら良かった。でも、記憶に捕らわれて欲しくはないんだ。じれったいかもしれないけど、思い出せないからって焦る必要はない。大切なのは今ここにお前がいるっていうことなんだから。お前が望む限りずっと傍にいる。力になるから」 「私が望む限り?」 「ああ」 「そっか……うん。ありがとう」 「へへっ、気にするなって」 「一つお願いしてもいいか?」 「何なりと」 「私が眠れるまで……傍にいて欲しい」 「おやすいご用さ」 「ありがとう」 「うん」 「最後に……もう一つ訊いていいか?」 「何だ?」 「どうしてそこまで良くしてくれる?」 「ん……仲間だから、かな?」 「そうか……そうだよな」 「どうかしたか?」 「いいや、何でもない。それじゃ、もう寝るよ」 「ああ、お休み」 「お休み、カイ」
いつの間にか眠ってしまっていたようだ。柔らかな陽の光に目を覚ますと、椅子に座ったまま、彼女の布団の上に突っ伏していた。 「ん……?」 背中に何か重いものが乗っているような気がした。ゆっくりと頭を上げると、それが布団である事が解った。寝ている間にジェンドが掛けてくれたのだろうか? そのような疑問を抱きながら、彼女の方へと顔を向けてみる。 「おはよう。よく眠ってたな」 「あ……ああ。この布団、お前が掛けてくれたのか?」 「うん、風邪をひくといけないから」 「そっか。ありがとう」 「ふふっ、大した事じゃないよ」 「いつ頃から起きてたんだ?」 「そうだな、1時間くらい前かな」 「げ……」 「どうした?」 「……1時間も一体何してたんだ?」 「お前の寝顔を見てた」 「うわっ……やっぱ? 間抜けな顔見せちゃったな」 「ふふっ、可愛かったよ」 「冗談よせって、全く」 「冗談じゃないよ。それで、お前の寝顔を見ながらずっと考えてたんだ」 「寝顔はいいから。一体何考えてたんだ?」 「昨日……私達が住んでいた町の話をしてくれたよな」 「ああ、それがどうした?」 「行ってみたいんだ。リルハルトの町へ。そこでどのような生活をしていたのか、この目で見てみたい」 「ああ……うん、そうだな」 「どうかしたか?」 「いや、何でもない。そうだな、あそこに行ってみるのも悪くないかもな」 「本当に?」 「ああ、本当だ」
DAY41
リルハルト リルハルト行きに戸惑った理由、それは町の人たちに受け入れられるだろうか、という不安があったからだ。しかし、そのような心配はすぐさま徒労に終わった。 どうやら女王が手を回してくれていたらしい。町を破壊した元凶どころか、オッツ・キイムを救った英雄として俺達を迎え入れてくれた。その熱烈な歓迎ぶりには戸惑ったけれど、そこそこに切り上げて、逃げるように家の中へと入っていった。
「ここで暮らしていたんだ……」 部屋をぐるりと見渡しながら彼女が呟く。久しぶりに帰ってきた我が家に感動する様子もない。ただ目の前の景色を呆然と見つめながら、どこかしら戸惑っているようにすら思えたのだ。しばらくの間部屋の中を見て回っていたけれど、口を開くことなく、ただ一つ一つの物を丁寧に観察しているようだった。 それから後も、彼女の様子はどことなくおかしかった。一度だって笑いもしなかったし、殆ど口も訊かずに座っているだけだった。夕食だってそうだ。アドビスにいた頃の半分も食べなかった。いくら理由を問うても、ただ「疲れたんだ」と答えるだけで、何も話そうとはしなかった。 一体何が彼女を変えてしまったのだろう。そのような疑問に答えを見いだす事も出来ないまま夜は訪れ、結局その日は大人しく眠る事となった。 しかし、ここで問題が一つあった。この部屋にベッドは一つしかなくて、そして一緒に眠るわけにはいかないという事だ。彼女が俺に対して好意を抱いてくれているのは確かだろう。しかしそれは愛情ではない。だとしたら、一緒の布団に入るわけにはいかなかった。 「ジェンドはベッドを使って。俺はソファーで寝るから」 「どうして?」 「どうしてって……」 「これは二人用のベッドなんだろ? 今まで一緒に使っていたんじゃないのか?」 「あ……いや、でも……」 「違うのか?」 「いや……違わないけど」 「だったら問題ないだろ? ほら」 布団に入りながら俺を睨み付けるジェンド。いつになく強気な彼女に、思わず面食らってしまう。 「あ……ああ」 そろそろと布団に入って、そして彼女に背を向けた。自制心の一つや二つは持ち合わせているつもりだ。だけれど、どことなく気まずくて。一つには彼女の様子がおかしいというのがある。もう一つは、そういう関係でもない男女が一つの布団の中に入って、どう振る舞えばよいのか解らなかった。もちろん何をするわけでもないのだけれど、それでも色々と考えてしまうのだ。 そのような思惑とは裏腹に、彼女の細長い指が俺の身体に触れてくる。背中から肩、そして胸へと、まるで弄ぶように動かされる彼女の指先。その艶めかしい動きに思わず反応してしまう。 「な……何やってるんだよ」 その言葉にピタッと指が止まる。 しばらくの沈黙が続いた後で、かすれた彼女の声がそれを破った。 「……どうして何もしない?」 「どうしてって、一体何をするって言うんだよ?」 「私達……そういう関係だったんだろ?」 「何を言ってる……」 「この部屋に入った時にすぐ解った。ダブルのベッド、おそろいのカップ、きっちり二対の食器……どうして黙っていた?」 「…………」 「どうしーー」 「お前を追いつめたくなかったんだ。もしもそれを知ったら、お前は自分を責めるだろう? 俺を傷つけてしまった、辛い目に遭わせてしまったって。今のお前のように。そして記憶に捕らわれたまま俺を愛そうとしたんじゃないのか? そんな事をさせるわけにはいかなかったんだ」 背後から鼻をすする音が聞こえてくる。やっぱりーーそう思いながら、ゆっくりと彼女の方に身体を向けた。 薄闇の中に浮かび上がる潤んだ紅の瞳。微かに震える唇。痛々しいその姿に、目頭がカッと熱くなっていく。 「どうして……どうしてそうまでして私なんかを気遣ってくれる? お前がこんなにも良くしてくれるのに、私には何もしてやれなくて……迷惑を掛ける事しかできなくて……傷つける事しかできなくて……」 「ジェンド」 「私にはこんな事しかできないから……でも、それでもしお前が喜んでくれたら……」 「ジェンド、お前勘違いしてるよ。俺は傷ついてなんかいない」 「嘘付け……そうやってまた無理して」 「嘘じゃない。お前がイールズ・オーヴァにさらわれた時……正直もうダメだと思った。お前が死んでしまうのではないかと思って不安でたまらなかった。でも、お前はちゃんと生きててくれた。今だって、大好きな人が傍にいてくれるんだ。それなのにどうして傷ついたりする? 俺はお前の記憶を愛している訳じゃない。お前自身を愛しているんだから。お前が俺の事を忘れてしまっても……ずっとずっと愛し続けるんだから。例え一方的なものであっても、それが愛する事だって、ようやく解ったから」 「私が好きなら……だったら何で抱かなかった」 「お前は……本当にそうしたいと思っていたのか?」 「ああ」 「どうして?」 「どうしてって……」 「俺に負い目があったからじゃないのか?」 「…………」 「記憶があるとかないとか……そんな事問題じゃないんだ。一番大切なのはお前が俺の事を愛してくれているかという事。もし愛していないなら……お前を抱く事にどんな意味がある? そんなの……辛いだけだよ。もしも俺を喜ばせたいなら、精一杯幸せになって。お前が笑ってくれたら……それだけで俺は幸せなんだから。傍にいるのが俺でなくてもいい。お前が幸せになりさえすれば……俺はそれでいいんだから」 ジェンドの瞳から大粒の涙が零れ落ちる。か細い指でそっと俺の頬に触れて、そして顔を近づけてきた。それを拒む理由などどこにもなかった。彼女の為すがままに任せてゆっくりと目を閉じる。首筋に生暖かい吐息がかかって、次の瞬間、俺達は唇を重ねていた。 初めてそうした時のようなぎこちない口づけ。それでも、これほどまでに心地よい口づけは初めてだった。 「今のは無理したわけじゃないから……心からそうしたいと思ったから……だから……」 「解ってる。ありがとう、ジェンド」
2年後 精霊節の日
「なあ、ジェンド。今夜予定空けとけよ。連れて行きたい所があるんだ」 「連れていきたい所?」 「まだ内緒」 「何だよ、そんな事言われたら余計に気になるじゃないか」 「へへっ、見てのお楽しみだよ」 「ちぇっ……解ったよ。楽しみにしてる」 「そうそう、それでいいの」 「いつ頃出るんだ?」 「そうだな……7時頃でいいかな」 「そっか。じゃあいつもよりも早めにご飯にしようか」 「ああ、頼むよ」
この街には精霊節伝説が残されている。 三年に一度だけ、この大地に宿る精霊達が姿を現し、そして天へと昇っていく。降り積もった人間の罪を空に連れていくのさーー初めてここにきた年に、ある人がそう教えてくれた。 「次の精霊節、一緒に見ような」 そう約束したのに、当日になってつまらない喧嘩をしてしまって、結局一緒に見に行く事は出来なかった。 あれから三年。果たされなかった約束を胸に抱きながら、俺達は再び精霊節の日を迎えた。
「はぁっ……はぁっ……一体どこまで登るつもりなんだ?」 「文句言わないの。あと少し……ほら、見えてきた」 「本当だ……って、うわっ!?」 「ジェンド!?」 足を滑らせた彼女の手をとっさに掴んだ。一気に体重がかかってきて、こちらまで滑ってしまいそうになるのを、何とか足を踏ん張って持ちこたえる。 「大丈夫か?」 「ああ……助かった。うん、ありがとう」 「良かった。それじゃあ行こうぜ」 「あ……おいっ、いつまで手を握ってるつもりだ?」 「気にしない気にしない」 「気にするって……あ、もう!」
ラシャの丘は街中の人で一杯になっていた。ここから目前のラインハルト山を見ていると、三年前の記憶が昨日の事のように蘇ってくる。 ここでずっと待っていた。でも、彼女は来なかった。俺が悪いのは解ってる。それでも、とても悲しくて、寂しくて、胸がざわついて。あの時が二度目だった。孤独というもの強く意識し、かけがえのない彼女という存在を思い知ったのは。俺が手放そうとしていたものの大きさに、改めて気が付いた。 「……イ、カイ、大丈夫か?」 「え……?」 「ぼうっとして……一体どうしたんだ?」 「あ、いや、何でもないんだ。それよりも、ほら、始まるぞ」 山の麓がうっすらと蒼白い光に包まれていく。その光の海から数限りない蒼白の玉が産み落とされ、それらはゆっくりと天に登っていった。まるで蛍の光のように、闇に染まった空を、幾重にも連なった光の残像が埋め尽くしていく。 「綺麗だね……ジェンド」 応えは無かった。 舞い上がった光の帯は次々と月明かりの中へととけ込んでいく。それらが一際眩しく輝いた瞬間、彼女は俺の手を握る指にギュッと力を込めた。 ゆっくりと彼女の方に顔を向ける。彼女は空を見上げながら、その瞳からは一筋の涙が零れ落ちていた。 「ジェンド?」 「約束……守ってくれたんだな」 「え……」 「次の精霊節……一緒に……一緒に見ようって……」 自然と顔中の筋肉が弛んでいた。自分でも泣いてるのか笑ってるのか解らないくらいに。一度だけ唾を飲み込んで、それからゆっくりと口を開く。 「おかえり、ジェンド」 そして彼女の手をギュッと握りかえしてやった。
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