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DAY3 SION

 誰も口を開こうとはしない。
 誰もその役を引き受けたいとは思っていない。
 たまらない閉塞感の中で、ただ時間だけがゆっくりと流れていた。
 窓の外に斜陽が見える。部屋中がオレンジ色に染まって、壁には細長い影が映し出されている。この部屋の中で、全てが停滞していた。ただ世界の枠組みだけが、全てを置き去りにしながら動いている。
「状況を整理しないか」
 決して広いとは言えない、それでも、二人が生活するには十分なカイとジェンドの部屋。二つしかない椅子に俺とイリアが座って、ジェンドはドアに、カイは窓際に、それぞれが身体を預けている。一様に沈痛な面持ちで、地面を睨み付けながら。
「父上……いや、国王のことは俺達も知っている。前に会った時、その時にはもう」
 目頭が熱くなっていた。唇が強ばって、声も微かに震えていた。これ以上続けたら泣いてしまう。直感的にそう思った俺は、それ以上続けることが出来なかった。だから、逃げるようにして項垂れるほか無かったのだ。
 その場の誰もが気づいていただろう。顔こそ見えなかったが、皆の視線が突き刺さってくるのをひしひしと感じ取っていた。それを意識した瞬間、体中が一気に熱気を帯びていく。弱みを見せてしまったこと、そして下手に同情されたことが辛くて、きっと恥ずかしかったのだと思う。
 そんな俺の手に、イリアの小さな掌がそっと重ねられる。掌の暖かな感触がとても心地よかった。優しく撫でてくれる感覚は、母親が子供の頭を撫でるそれに近かったのかもしれない。受け入れられる安心感と言おうか、そのようなものを体中で感じていた。
「……大丈夫だ」
 自分に言い聞かせるように呟いてみた。イリアを安心させてやるという事、自分を前に進めるようにするという事ーーその二点において、そうする必要があったのだ。
 言葉というのは不思議なもので、口に出してしまえば、それが本当にそうなるように思わせてくれる。例えよいことであろうと、悪いことであろうと。
 ゆっくりと顔を上げて、唇の端に微かな笑みを浮かべてみせた。俺が考えていることを察したのだろう。彼女も唇だけで笑顔を作ると、重ねた手にギュッと力を込めてくれた。
「国王が政を続けるのは不可能だと誰もが思っていたし、実際にその通りだった。だから、王権は王妃であるルハーツに委譲された。だが、それは形式的なものに過ぎなかった。国王が生きている限り、それは完璧なものとはなり得るはずがない。ヒエラルキーの頂点に君臨するのは国王であって、決して王妃ではないからな。だから、彼女にとって国王とは煙たい存在だった」
 誰もが無言のまま耳を傾けていた。イリアは心配そうな顔をして俺を見つめていたし、ジェンドは強ばった顔をしたまま地面を睨み付けていた。カイはカイで、時たますまなさそうな視線を俺に向けていた。
「そんな中現れたのがイールズ・オーヴァだ。奴は地位と引き替えに国王暗殺を持ちかけたらしい。要するに、自分を重用してくれれば国王を殺してやろうと、そういうわけだ。今から思い返していみると、それも奴の『お戯れ』に過ぎなかったのかもしれないけどな。とにかくだ。まんまと引っかかったあの女は、安易に奴を導き入れてしまった。国の中枢だけじゃない。心の一番深い所までな。アドビスの地に眠る力を欲していたヤツにとって、それは都合の良いことだった。そして、奴の目的を成し遂げる為に必要不可欠だったのがダークエルフの血だ。しかし、その目論見は思わぬ所で頓挫する事となる。奴の計算はどこかで間違っていた。話を聞いている限りだと、何かが不足していたようだな。そして今、奴は再び俺たちの前へと姿を現した。それが何を意味するかは、想像に難くない。つまり、不足していた何かを手に入れたと、そう受け取っていいだろう。違うか?」
 誰も答えはしなかった。ジェンドとカイは俯いたまま、俺の言葉を認めたくはないようだった。もっとも、別の理由で認めたくないのは俺も同じなのだが。
 しかし、それを許せるような状況にないのは明らかだった。二人には答えを出して貰わなくてはならない。それも今すぐにだ。
「問題はこれからどうするかという事だ。進むか……それとも退くか」
「……よう」
 今にも消え入ってしまいそうな声だった。弱々しく、擦れた、酷く低い声。その場にいた誰もが、声の主をじっと見つめている。
 視線は促している。彼の決意を、もう一度示すようにと。中途半端な態度など許されるはずが無かった。
 彼は圧倒されていたのだろうか。その顔は酷く青ざめ、身体は微かに震えているようにすら見えた。まるで怯えた子供のように。
「逃げよう……どこまでも逃げれば、いつかはヤツも諦めるさ。ジェンドは俺が守るから。絶対に守ってみせるから!」
 そのような彼の姿を見たのは初めてだったんだ。過去に何があったのかは知らない。何故聖騎士団を捨ててしまったのかも。だけれど、俺の知っている彼はこんな風じゃなかった。陽気で、男らしくて、頼りがいがあって、妙に大人びた所があって。この男が俺の知っているカイだなんて、どうしても思えなかった。認めたくなかった。
 怒りと苛立ちが止めどなく沸き起こってくる。彼に対して反感を抱かずにはいられなくなっていく。そして俺は、その言葉を口にしていた。感情のこもっていない、酷く冷淡な口調で。
「いつまでだ?」
 彼の瞳孔がキュッと収縮する。唇をわなわなと震わせ、その視線は宙を彷徨っていた。俺に焦点を合わせようとしていたのだろう。だけれど、どうしてもうまくいかなくて。その顔に動揺の色が広がっていく。少しずつ生気が失われていく。その様子を、俺は睨み付けるように見つめていた。
「いつまで逃げる? 奴の目的がジェンドである以上、いつかは必ず俺たちの前に現れるぞ? 逃げ切る事なんて出来るわけがない」
「シオン!!」
「イリア、お前は黙ってろ。遅かれ早かれ終わりは来るというのならそれでもいい。それを許すのであれば……自分たちで決めるんだな。おとなしく最後の刻を待ち続けるか……それとも必死になって抗うのか」
 それが誰に向けられたものかは解らない。ジェンドは嫌悪感を剥き出しにしたため息を吐き捨てると、睨み付けるように俺を見つめ、カイの方へと視線を移した。
「……私はもう逃げない」
 くるりと身体を翻すジェンド。カイの応えを待たずに、そのまま部屋から立ち去ってしまった。
 カイは今にも泣き出しそうな顔をして、ただじっと床を見つめていた。


□□□


 その夜、俺たちはいつもより早く床についた。
 夕方の一件以来言葉を交わしはしなかったし、どう接して良いかも解らなかった。彼女の方も、何となく俺を避けているようで。何とも言えない後味の悪さを抱いたまま、古びた宿の一室で、ただ沈痛な静寂に耐える他なかったのだ。
 眠ってしまえば何とかなると思っていた。明日になれば、何もかも元通りになっている。あいつは笑顔で「おはよう」と言ってくれて、俺も笑いながらそう返せると信じたかった。
 だけれど、布団の中に入ってもますます頭が冴えていくだけだ。記憶の奥底で揺蕩う夕方の光景が、何度も何度も、頭の中で繰り返されていた。
 独善的な自分。決して間違った事は言ってはいない。けれど、正しい事を言ったかと訊かれれば、正直答えに窮してしまう。もしも俺がカイの立場だったなら……きっと彼と同じ事を望んだろうから。それに、好きな女の前で否定されたとしたらーー

「ねえシオン……起きてる?」
「ああ、どうしたんだ?」
「そっち、行ってもいいかな」
「な……何だよ、いきなり」
「ふ〜ん」
「だから何だって」
「別に嫌ならいいよ。一人で寝るから」
「誰も嫌だなんて言ってないだろ。いきなりだったから、ちょっと驚いただけだって」
「へへっ、じゃあ行っていい?」
「……好きにしろ」
 暗闇の中に布団が擦れる音が響き渡る。そして床が微かに軋んだ瞬間、俺は胸騒ぎを覚えて、彼女の方へと振り返った。
「おい、暗いからきをつけーー」
「ひゃ……!?」
 間抜けな叫び声と共に、ドスンという鈍い音が響き渡る。
 それを聞きながら、右手を額に押してつけて「やれやれ」と呟く俺。まったく、いつもながらお約束を外さないヤツだ。
「大丈夫か?」
「うにゃ〜〜痛いよぅ……」
「だから気をつけろって言っただろうが。ほら、手貸せよ」
「うん、ありがと」
 彼女の身体をぐいと引き上げてやった。髪の毛がフワッと舞って、微かに甘い香りが漂ってくる。こんな風にして女を感じる瞬間、俺はどうして良いか解らなくなってしまう。胸が熱くなって、無性に恥ずかしくなって、まともな思考が出来なくなってしまう。
「あったかいね」
 さも嬉しそうに言うイリア。ふふっと笑いながら、俺の寝間着を握りしめてくる。
 柔らかい肌がそっと身体に触れた。心臓が飛び出しそうな程どきんとして、一気に体中が熱気を帯びていく。この感覚は一体何なのだろう。もちろん女に対する嫌悪感とは違う。こいつと旅を続けるうちに、少しずつ良くはなってきたんだ。それはさておいても、これが「嫌悪」なんかとは程遠い感情である事ははっきりと解る。解るんだけど、それが何かと考えるたび、頭の中がぐちゃぐちゃになってしまう。
「そ……そうか?」
「うん。とっても気持ちいい」
「…………」
「…………」
「…………」
「大切な人を失うかもしれないって……辛いね」
「……ああ」
「私ね、話聞きながらずっと考えてたんだ。もしシオンがいなくなったらどうしようかって……そんな風に考えると怖くて仕方なくて……」
「イリア」
 彼女の方に身体を向ける。泣きべそをかきそうな顔にそっと触れて、髪の毛を優しく撫でてやった。少し前、彼女が俺にそうしたように。こいつがくれたもの、俺もやることが出来るかな。その問いかけを、心の奥底で何度も繰り返していた。
「前にも言っただろ? もう二度と一人にはしないって。ずっと傍にいるって」
「うん……」
「だったらもう怖がるなよ。な?」
「イェールス神殿で……あの時、生きて帰れるとは思ってなかったでしょ?」
「そんなことーー」
「あるよ。シオンの顔を見てて解ったんだ。もうお別れだって、そんな顔してた」
「でもちゃんと生きて帰った。今もお前の傍にいる。そうだろ? これからもずっとだ。俺の言葉、信じられないか?」
「……ずるい」
「何が?」
「そんな風に言われたら『信じられない』なんて言えないじゃないか」
「ふふっ、それでいいんだよ」
「むぅ……」
「だったら、お前がつかまえてろよ。俺がどこにも行かないようにさ」
「どうやって?」
「そうだな。紐でくくりつけとくとか」
「ははっ、それいいかも。赤い紐でね」
「いや……そいつはちょっと……」
「わぁ〜赤くなってる。か〜わいい!」
「ちぇっ、これだよ」
「へへっ、でもちょっと安心したかも。ありがとね、シオン」
 先程までの彼女はどこに行ったのだろう。今は口の端に笑みを浮かべ、目をきらきらと輝かせている。それからゆっくりと顔を近づけてきて、ほっぺたにチュッとしてくれた。
 物凄く恥ずかしかったけど、それに劣らないくらい、それ以上に嬉しかったんだ。俺の事を思ってくれる人がいると、肌で感じる事が出来るから。その温もりを感じていると、とても満たされた気持ちになるから。

「それじゃあ行こうか」
 地平線の遙か彼方、太陽が昇り始めたリルハルトの朝。まだ薄暗い大通りに佇みながら、二人の思い出が詰まった家をじっと見つめていた。もう二度と帰ってこれはしないのかもしれない。もしかして、俺はとんでもなく残酷な決断を押し付けてしまったのかもしれなかった。昨日よりも少しだけ大きくなった葛藤を胸に。三人の顔を見つめながら、そう呟いた。
「……ああ」
 カイとジェンドは繋いだ手をきつく握りしめ、そっと頷いていた。二人の向こうに広がる空は、まるで血を垂らしたかのように赤く、紅に染まっていた。

to be continued...


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