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 薄闇の中に彼のシルエットが浮かびあがっている。窓のすぐ近くで、月明かりに照らされた彼は、うっすらと淡い光を帯びていた。そのせいだろうか。私の瞳に映る彼は、いつもの男らしさからはかけ離れた、女性的な美しさを内に秘めているように思えたのだ。透き通った髪の毛、蒼白い腕、そして普段より小さく見える背中。それは等身大の彼なのかもしれない。
 どのような言葉をかけようか。未だにドアノブを握りしめたまま、そのような事を考えていた。しかし答えは見つからない。彼とて、私がここにいるのは解っているはずだ。それなのに何も言わないというのは、きっと、私と同じように考えているのだろう。
 ドアノブから手を離して、ゆっくりと、そして静かに彼のもとへと歩いていく。少しずつ大きくなっていく背中がたまらなく小さく見えた。それがとても悲しかった。彼が決して口にはしない想いが、そこに全て浮かび上がっていた。
 ローブの上からもそれと解る、盛り上がった上腕にそっと触れた。背中に頬をつけて、冷えかけた身体を優しく撫でてやる。その手をゆっくりと胸までまわして、彼の身体を緩く抱いた。
「おかえり」
「ただいま」
 言葉の糸が絡まり合っていく。その糸にたぐり寄せられるように、背中から顔を離した私は、彼の首筋にそっと唇をつけた。口付けと呼ぶにはあまりに拙い行為。それを幾度と無く繰り返していく。首筋から耳元へ。耳元から頬に。そして、おもむろに唇を重ねた。
「ベッド……ベッドにいこ」
 静かに、とても穏やかに、刻が流れていた。


 宵闇の中に、二人分の吐息が木魂していた。
 剥き出しになった肌と肌がぶつかり合っている。その度に粘り気を帯びた音が響き渡って、互いの体温が、じっとりと肌に絡まりついてくる。私達を包んでいる熱気、それは互いの身体が融け合っていくような錯覚を抱かせてくれた。熱に浮かされたような感覚の中で、その一体感はとても心地よいものだった。
 そんな状態の中で、歯を食いしばって、必死になっている彼を見るのが大好きだった。喉の奥から獣のような声を絞り出して、抗うように顔を歪める彼の姿が。余程酷い顔をしているのには違いない。だけど、他ならぬ私の為に頑張ってくれているのだ。そう思うと、何だか無性に嬉しかった。私だって、きっと同じような顔をしているのだろう。それでも、彼にならば見せても良いと思った。彼にだけは。
「ジェン……も……もうっ……」
 眉間に刻まれた皺が深くなって、抽挿がほんの少しだけ早くなる。彼がいきそうになるタイミングを見計らって、背中を思い切り抱きしめ、そして足を絡めてやった。
「あ……おいっ!?」
 絞り出したような声が響いた瞬間、身体の奥に生暖かい感触が広がっていく。
 荒い息を何とか整えようとしていた。体中の血が煮えたぎっているようで、頭の芯がピリピリと痺れている。朦朧とした意識の中で、私はただ「これで良かったのだ」と心の内で呟いていた。
 一方の彼は、脱力と驚きをごちゃ混ぜにしたような顔をして、呆然と私を見つめている。
 無理もないだろう。それを許した事など一度として無かったのだから。
「どうし……」
 彼の唇に人差し指を押しあててやる。
 最後まで言わせたくはなかった。だって、こんな素敵なことをした後で「どうして」なんて無粋すぎるから。私の決意を、台無しにされたくはなかったのだ。
「カイ、そう言う時は『愛してる』って言うんだぞ」
 喉の奥で観念したような笑い声を漏らす彼。髪をかき上げながら優しい口付けをして、そのまま耳元に顔を近づけてきた。そして耳たぶをペロッと舐めながら、穏やかな声でこう囁いた。
「ここの街外れに廃墟になった教会があるんだ。もう天井も落ちてボロボロになってるんだけど、知ってる?」
「もう! 耳元で囁くなって!」
「いいだろ。それで、知ってる?」
「ああ、知ってる」
「今から一時間くらいしてから、そこに来てくれないかな?」
「今から? 明日じゃダメなのか?」
「今がいいんだ」
 その時の彼は、少し目を細めて、とても穏やかな笑みを浮かべていた。そんな彼を見て、これ以上反論しようだなんてどうして思えるだろう。観念したような笑みを浮かべて、彼をギュッと抱きしめた私は「解ったよ」と耳元で囁いてやった。


 宵闇に包まれたリルハルトは酷く幻想的に見えた。
 柔らかな月明かりは闇にとけ込み、砂粒のような光がキラキラと輝いている。肌を撫でる風もまた、全てを包み込んでくれるような優しさに満ちあふれていた。
 昼間とは全く違う顔を見せるリルハルトの街。その柔らかな空気に身を委ねている私がいて、そんな私を受け止めてくれる優しさがあった。ここに私を傷つけるものなど何もないと、本気で信じることが出来た。しかし、所詮は仮初めの幻影に過ぎない。真に私を受け入れてくれる現実は、歩みを進めていくこの先にあるのだ。私が誰であろうと、どうなろうと受け止めてくれる優しい彼。その優しさが時として刃となって、この胸を鋭く抉る。いや、そうじゃない。私にはそうされる資格がないのだと、何も返してやれるものがないのだという負い目が、私を追い立てる刃となっていた。そもそも、私は彼に相応しいのだろうか? 私に彼の進む道を押しつける権利などあるのだろうか? 私の中には、そうあって欲しい願望としての答えがあって、それはただの我が儘に過ぎない事も知っている。私にとって彼が全てであり、彼を求める事によって、何もかも失ってしまうかもしれない。そんな矛盾を抱きながら、私は彼にすがりつくように、ただひたすら歩き続けてきた。

 道の向こうで光が揺らめいている。暗闇の中で、まるで道標のように浮かび上がる淡い橙色の光。一歩一歩踏みしめるたび、それは少しずつ大きくなっていく。私を待っていたと言わんばかりに、それはとても優しい色をしていた。
 周りを取り囲んでいた木々が疎らになっていく。光を手繰り寄せるように足を進めて、
その先に広がっていた光景に、思わず息を呑んでしまった。膝の高さまである草は月明かりに染まって、優しい風に靡きながら、金色の海原を作り出していた。その中心に建っていたのは古びた教会だった。主を失ってから久しいのだろう。既に天井は落ち、一部の外壁は崩れているようだった。
「カイ……?」
 彼の名を呼んでみる。しかし応えはない。辺りを見回してみても、彼らしき姿を見つけることは出来なかった。
「教会の中か」
 ぼそりと呟いて、それから教会の中へと足を踏み入れていった。

 ギギィと音を立てながら扉が開く。その場に立ちつくした私は、ふと空を見上げてみた。
 窓の外から差し込んでくる橙色の光のカーテン。天井から舞い降りてくる柔らかな光の粒。まるで、空気の一粒一粒が輝いているようだった。その光が幾重にも重なって、廃墟と化していたはずの教会を優しく彩っていた。
「ジェンド」
 柔らかな声が微かに空気を震わせる。私はゆっくりと視線を下げて、黄金色のヴェールの中に、声の主を捜していた。そしてついに見つけたのだ。凛とした表情<カオ>で私を見つめるカイの姿を。
「ここにいるよ」
 少しだけ目を細め、穏やかな声で返してやった。
 そう、私は確かにここにいる。二人を遮るものなど存在しない。いかなる距離をも、そこにありはしなかったのだ。
 自然と口元が緩んでいた。きっと、自分は穏やかな顔をしていただろう。とても優しい気持ちに包まれていて、何故だかそう確信していた。
 ゆっくりと、一歩一歩を踏みしめるように、彼のもとへと歩いていく。その様子をまばたき一つせずに見守る彼。この瞳に彼だけを映していたくて、私も、ずっと彼だけを見つめていた。
「贈り物があるんだ」
「うん」
「俺と……俺と結婚してください」
 彼の言葉が、胸に染みこんで来るような気がした。不思議な温かみを持った声は、すっかり冷え切った私の身体を、優しく包み込んでくれていた。
 嬉しくて、とても嬉しくて、気がついたら止めどなく涙が零れ落ちていて。瞳の中にぼんやりと映った彼を見つめながら、ぎこちなくこくりと頷く。
「……はい」
 そんな私の髪の毛を撫でながら、親指で優しく涙を拭ってくれる彼。とびっきりの笑顔を浮かべて、白爪草で作った冠をそっとかぶせてくれた。
「大好きだよ……ジェンド」
 柔らかな唇がそっと重ねられる。
 彼が私にくれたもの。二人きりの結婚式。そこには私が望む全てがあって。今までくれたどんな贈り物よりも素敵で、嬉しくて。きっと私ほど幸せな人間はいないだろう。彼はそう信じさせてくれる。そして、その確信は本物になっていく。
「私も大好きだよ」
 月明かりの下で、私達は永遠の契りを交わした。

to be continued...


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